第11話 言ってしまった……

 私がレオン様に「俺の女神」と言われてから半月。私にはいつの間にか、とある悪評が立てられてしまっていた、らしい。

 「らしい」というのは、皆はそう言うけれど、私はそうは思わないからなのだけれど。


 私に関する噂がわざと言っているのではないかというぐらいよく聞こえてくる。

 でも、どうせ噂話をするなら、私なんかの話ではなく、素晴らしい暗黒時代の話にしてほしい。人の悪口を言うより、そっちの方が絶対に楽しい。


「ロッテルダム公爵家のご令嬢、王太子殿下の婚約者に選ばれたみたいだけど。王家は何を考えているのだろうな?」


 庭園でのお茶会で、レオン様が私の暗黒時代愛を見込んでくださったからである。


「聖女の名門だというのに、暗黒時代のことを好きだなんて、聖女失格では?」


 私はまだ十六歳だ。そもそも聖女かどうか判別する成人の儀を受ける年齢に二つ足りないというのに何を言っているのだろう。そもそも聖女に失格も合格もないはずだ。

 シュトー神という方には嫌われそうではあるけれど。


 というわけで、私が元女神だとか伝えたら、非難轟々というレベルではすまない気がするぐらいには悪評──と皆は言っている──が立っていた。




「……で、その不名誉な称号をいつまでつけているつもりかしら。ブレシア様?」

「アマルナ様? これは不名誉な称号ではありません。勲章くんしょうですわ」

「おはようブレシア。不名誉な勲章とは何だ? 俺が潰してやる」

「おはようございますレオン様。その必要はございませんわ。聖女失格の称号は、私にとって名誉ですもの」


 いつものように、王太子妃教育までの時間を談話室でつぶしていると。やがてアマルナ様が、そしてユージン様をお供に引き連れたレオン様が入ってきた。

 レオン様が一番最後に来るなんて、珍しいこともあるものだ。それはさておき。


「名誉? 聖女失格が?」

「しっかり聞こえているではありませんの!」

「聞き間違いかと思っただけだ。聖女が輩出されることは名誉なのだから」


 たしかに、この時代に生まれ育ったレオン様にとっては、聖女とはまさに「名誉」なのだろう。

 しかし、暗黒時代を生きた私にとっては違う。私はレオン様とは違い、単純に暗黒時代について「知っている」だけではない。

 私の価値観はなのだ。


「暗黒時代の多神教支持者の私にとっては、唯一の神が選んだ聖女など、何の価値もありませんわ」

「では今の時代この国に聖女の力は不要か?」


 レオン様の言葉に私は固まる。どうやら深く深く誤解させてしまったらしい。


「今この国に聖女の力が必要かと問われれば、必要だと思います」

「あら? ブレシア様は暗黒時代を至上としておりませんでした?」


 不思議そうにそう口にするアマルナ様。しかし、私は別に暗黒時代の考え方が常に最善だとかは思っているわけではないのだ。


「もちろんです。暗黒時代信奉者の私は、今の時代の聖女がどうとか思っていないのです。だって、暗黒時代の神々に取って代わっている神の力なんて、私には書き損じた紙のように使い物ではないと思っておりますもの。……でも」

「でも?」


 私の言葉を復唱するレオン様。私だって強気でそう言えるのは聖女の力があるからなのかもしれないけれど。

 とはいえ、それもシュトー神からもらった力だと思うと、何か気に食わない。


「今の時代に不要とまでは考えておりませんわ」

「ふむ」

「暗黒時代には多くの神々がいらっしゃいましたが、今の時代に神はシュトー様ただお一方のみ。このような状況で聖女の力がなくなってしまえば、人々は心の柱を失うでしょうし」


 つまり、昔は何かあれば近所の神様に言えばよかったのだけれど、今は一人しかいないことになっている。

 昔の神々の役割を果たしているのが、今の聖女というのが私の考えだ。


 私の答えに考え込むレオン様。もしかして暗黒時代の女神として今の答えは失格だっただろうか? いや、彼には元女神だと伝えた覚えはないのだけれど。

 私がレオン様からの審判を内心オドオドしながら待っていると、やがて彼の口角が上がった。


「なるほど。君は自分を、自分の考えを強く持ちながらも、他者の信仰には寛容なのだな。やはり君は俺の……いや、この国の女神だろう」

「買い被りすぎですわ……っ!」


 それ以上いけない。ダメ、絶対。

 このままではレオン様が怒られてしまう。


「この国はシュトー神ただお一方を崇めておりますし、それに。……私はまあ、どちらかというと女神だとしても暗黒じだ……」


 いけない! うっかり口を滑らしてしまうところだった。これだけは言ってはいけないことだ。

 元女神だとばれていませんように。そう心の中で必死にお祈りしながら、レオン様の次の言葉を待っていると。


「ハハッ! そうか、暗黒時代の女神というのも悪くはないかもしれないな。いや、ブレシアなら絶対に」

「あ、あのあのあのっ」

「ブレシアにはきっと白いドレスが似合うのだろうな」


 顔から蒸気が出そうなほど熱い。いや、身体じゅうから出そうだ。泉があったら入りたい。


 レオン様は何とも思っていなさそうなのだけれど、私としては大問題だ。

 元女神だとばれたら、さすがのレオン様も私を生かしてはおけないかもしれない。他の皆から最悪処刑も……。


「私は女神ではありません……っ!」


 そう。私は女神ではあるのだけれど、女神ではない。だから、嘘はついていない。

 だというのに、レオン様はものすごく不思議そうな顔をしている。


「何故だ?」

「私はロッテルダム公爵家に生まれましたもの。女神ではありませんわ」

「そうか……そうだな。君の言う通りだ」


 やっとのことで納得してくれた。よかった……と思ったのは一瞬のことで。


「だが、君のことを女神と形容するのは、あながち間違ってはいないのではないか?」

「えっ……理由をお聞きしても?」

「君は暗黒時代を愛しているが、それでも他者の信仰には寛容で……」

「違いますっ!」

「ブレシア……?」


 違う。寛容ではない。でも、いい言い返し方が思いつかないので、少しだけ話題を逸らせてしまおう。


「その証に、私は暗黒時代という呼び名に怒っているのです」

「そうか。では、ブレシアのことだから何か呼び方の候補を考えていたのではないか?」


 さすがレオン様。私の婚約者だ。行動パターンを完全に読まれている。


「ええ。『キラキラ時代』という呼び名を広めようかと思っておりまして……」

「ブレシア様。ひとつ、よろしくて?」

「アマルナ様……?」


 私が気持ちよく「キラキラ時代」という呼び方を提案しようという気持ちになっていたちょうどその時。

 神妙な面持おももちのアマルナ様に話を遮られてしまった。


「ブレシア様が心の中で暗黒時代をどう呼ぶかはご自由です。しかし、皆様が暗黒時代をどう呼ぶかはまた別です。殿下が言えばきっと皆様表では呼び方を変えるでしょうが、裏ではわかりませんわよ?」


 すごくわかる。私はついアマルナ様の言葉に深々と頷いてしまう。

 「呼び方を変えなさい」なんて命令、誰がまともに取り合うだろうか?


 しかも、皆からネガティブなイメージを持たれているものの呼び方を変えるという命令。聞いてくれないどころか、信用まで失いかねない。

 私は別に、レオン様に迷惑をかけたいわけではないのだ。


 ここで、ずっと黙っていたユージン様がとうとう口を開いた。


「殿下。おわかりかと思われますが……いくら愛する婚約者様からのお願いとはいえ、名前を変えるなどと馬鹿げた命令を出すのはおやめください。少々変わった趣味をお持ちだという枠では収まりきらなくなります」

「そうだな。本当は俺も呼び方を変えてやりたいが……。俺の婚約者を傾国の美女にするわけにはいかない」


 レオン様の言葉から、彼はこの婚約に本気なのだとわかって、嬉しい。

 私は先ほどのアマルナ様のお言葉以上に、それはそれは深々と何度も首肯してしまった。


 溜め息が、それもいくつかの溜め息がハモった気がしたが、たぶん空耳だ。うん。

 キラキラ時代がダメなら、他の候補は……そうだ。


「では、私はこれから暗黒時代のことを『豊穣時代』と呼ぶことにいたしますね」

「そういう話ではありませんわ……とブレシア様に言っても無意味そうですわね」

「たしかに広めたいですが、処刑されるのは嫌ですし、レオン様にご迷惑をおかけするつもりはございませんわ。でも、いい響きだとは思いません?」


 豊穣時代。いい響きだ。豊穣の女神として地元の皆様から祀られていた私が広めていくのにこれ以上にピッタリなものはない。


 ふとガッツポーズをしながらレオン様の方を見やると、彼の双眸そうぼうが私をしっかりと捉えていたことに気づいてしまう。

 あれ、これは見なかった方がよかったのかな、と思ったけれど。


「『豊穣時代』……いい響きだな」


 そう口元を手で隠しながら、彼は横を向いてしまった。心なしか顔が赤くなっている気がするけれど、今の会話のどこにそんな要素があっただろうか?


 それでも、自分が思っていたことそのものが彼の口から告げられたことが嬉しい。やはり私たちは何から何まで息ピッタリだ。うん。

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