第二章 過去と現在と

第10話 「君は俺の女神だ」

 私がユージン様のお父君、バハルダール侯爵と会ってから一週間後。


 メリダと共に連れて来られたのは、いつもの部屋だった。室内には当然のようにアマルナ様もいるのだけれど、今部屋の中にいるのはレオン様含め私たち四人だけだ。


 ユージン様も廊下を歩いている途中で一瞬だけ合流したのだけれど、部屋の扉を閉じると再び廊下に出て行ってしまったのだ。


「アマルナはブリストル公爵に話が行っているから知っていると思うが……。ブレシアに伝えねばならないことがある」

「私に伝えなくてはならないこととは……?」

「ブレシア。近々、父上は俺に国王の位を譲位じょういするつもりだ」

「えっ!?」


 衝撃だった。たしかに、いわゆる暗黒時代では、このくらいの年齢で家主になっていることも珍しくはなかったのだけれど……。


 しかし、現代のベルゼール王国の貴族社会において、まだ二十にもならないのに当主に、それも一国の主になるという話は聞いたことがない。

 私が不勉強なだけかもしれないけれど。


「レオン様ではなくて、レオン陛下……?」

「まだ国王ではない。あと即位した後も陛下呼びはやめてくれないか……?」

「……? わかりました。でも、私がこのような話を聞いてしまってもよろしいのですか?」


 私も陛下と呼ぶのはちょっと抵抗感があったのでちょうどいい。

 もし公的な場では陛下と呼ばなくてはならなかったとしても、私的な場では絶対に呼ばない自身がある。


「近いうちに発表されることになっている話だ。ブリストル公爵は現宰相だから既に知っているが、他の貴族はまだだ。でも、ブレシアなら言っても大丈夫だと思ってな」


 レオン様に信頼されている……のは嬉しいのだけれど。

 透き通る金の瞳に見つめられた私は、彼に心の奥どころか、魂の奥底まで見透かされているような感覚を覚えた。


 もちろん、そんなことはないはずなのだけれど。……元女神だとバレていたらどうしよう、なんてね。


「ところで、陛下はなぜ」

「俺に位を譲るか、ということか? 父上は体調がかんばしくない。聖女の力でも治せなかったのだ。ゆえに、遠方の地で療養する、と」

「はぁ」


 聖女の力。おそらく、ここでレオン様の言っている聖女というのは、おそらくメリダよりも強い力を持っている方なのだろう。


「レオン様。私に仕えてくれているメリダは、肩こりを軽くするスキルが使える、と言っているのだけれど」

「メリダ……アウグスタ子爵の娘か。彼女は石板が光を帯びた程度だったと聞いている。父上に癒しのスキルを使ったのはモントレー前侯爵夫人だ」

「あら。ブレシア様の大叔母様ではありませんこと?」


 アマルナ様の言葉に、レオン様が首肯する。必死に頭の中の家系図を引っ張り出してきた私は、大叔母様のことをやっとのことで思い出した。

 彼女も私の妃教育の先生の一人だ。むしろ、なぜ今まで気がつかなかったのだろう? 貴族の家系図は複雑だから覚えるのもひと苦労だ。


「そう、ですわね。母いわく聖堂内を覆う光だったと聞いていると。大叔母様に直接確認したわけではないのですが」

「私もこの目で見たわけではないが、同じような話を聞いている。父上がそうおっしゃるのだからそうなのだろう。さすがは聖女の名家と呼ばれるだけはある」


 聖女の名家というのはつまり我が家、ロッテルダム公爵家のことなのだろう。しかし。


「私は聖女になれる気がしませんわ」

「なぜだ? 君もロッテルダム公爵家のご令嬢だ。むしろ君が聖女でなかったら、誰が聖女になれるというのだ?」

「いいえレオン様。私は暗黒時代を愛しているのです。シュトー神に真っ先に嫌われてしまいそうな私が聖女……だなんてこと、あるわけがないと思いませんこと?」


 と口では言ってみたものの。今の私はたしかに癒しのスキルやら、パンを正確に投げるスキルやら、心を読むスキルやら……と色々なスキルを持っているのだ。

 もっとも、メリダや皆の話を聞く限りでは、成人していない私がスキルを持っているというのはおかしな話なのだというけれど。


 というわけで、私が聖女だというレオン様の予想は、完全には間違っていないと思う。単純にスキルを与えるというシュトー神に対していい感情を抱けない、私の心の問題だ。


 そう。私ひとりの問題なのだけれど、レオン様はそうは思わなかったようで。

 顎に軽く握った右手をあて、難しそうな顔をして考え事をしていた。


「大丈夫ですかレオン様?」

「ブレシアが聖女ではない? ありえないだろう……?」

「……こうなった殿下は長いですわよブレシア様」


 アマルナ様がお茶を口に含みながら、レオン様の秘密を教えてくれる。

 いや、秘密ではないのだろうけれど。私の知らないレオン様のことを知っているアマルナ様が、ちょっと羨ましい。


 ふと、再びレオン様の方に顔を向けてみると、彼と視線がばっちり合ってしまった。


「ブレシア」

「何でしょう?」

「間違いない。君は俺の聖女だ」

「は?」


 思わず素で答えてしまった。でも仕方ないと思う。

 私はレオン様の言っている言葉の意味が理解できないのだ。


「……すまない。君は俺が好きな暗黒時代の話を気兼ねなくできる、唯一の相手なのだ」

「は、はぁ」

「だから君は俺の聖女だ。──君に会えてよかった、ブレシア。君が俺の婚約者で」

「……そういうことでしたか。それでしたら私だって同じです。婚約したら、奇異な目で見られることも覚悟していたのですが。……レオン様はそういった方ではなくて。もう他の方との婚約なんて考えられません」

「ハハッ! そうか。君の言う通り、たしかに聖女ではないな。君は、いや貴女は俺にとって女神様も同然だ」

「えっ?」


 聞き間違いだろうか? でも今、レオン様は確実に女神様と言ったはず……。いや、たしかに私の前世は女神なのだけれど、でも今は。


「殿下。ブレシア様を女神と言うだなんて、わたくしたちのシュトー神に不敬ですわよ」

「アマルナ。そう怒るな」

「いいえ。臣下として一言申し上げますが……」


 アマルナ様の言葉が、私の聞き間違いではないと教えてくれる。でも、もしかしてレオン様にも心を読むスキルがある……?

 私は顔が急激に熱くなっていくのを感じて、両手で隠した。


 ないない。読まれていたらとっくに女神だとばれていただろうし。

 ついでに、アマルナ様も呼び捨てだということをいちいち気にしているという理由で「心が狭い女」認定も受けかねない。


「ブレシア……どうした? 熱でもあるのか?」

「い、いえ。大したことでは」


 レオン様は席を立ち、私の隣にしゃがみ込むと、私の額に自身の手を重ねた。


「熱いな。今すぐ医務室に運ぼ……」

「自分で歩けますわっ」


 ああっ! どうして前世女神として長生きした私が、人生経験が圧倒的に短いレオン様にこうも翻弄ほんろうされてしまうのだろうか?

 たしかに、人間としてはレオン様の方が年上なのだけれど……何というか、いたたまれない。




 この日の私は、結局過保護なレオン様のせいで、一日中レッスンを受けることなく医務室で休むことになったのであった。

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