第9話 騎士団長≠暗黒時代の騎士に詳しい方

「ねえ、ブレシアはどうしてすぐに暗黒時代の話を振るの? いや、結果的にそれで宮廷の貴族たちを返り討ちにしたと言えなくもないけどさ」

「暗黒時代のことが好きだからですわ! 逆にそれ以外の理由がありまして?」

「いや、ブレシアのことだからそうだと思ってはいたけどさぁ」


 カトラリーの動きを止め、子供のように駄々をこねるお兄様。私がコッペパンを構えると、全然違う方向に向けられていた視線が一瞬でこちらを向く。

 そこまで警戒しなくてもいいのに。絶対に死なないのだから。


「いい時代だったのですよ? 暗黒時代と言いますけれど」

「それは今日散々王宮で語ってきたんでしょ? 喉を潤さないと明日また語れなくなってしまうよ」

「まあ! それはつまり、明日の朝でしたら聞いてくださるのですね、お兄様!」

「えっ……明日の朝もダメだよ? 今度は明日の昼に喉が渇いて、妃教育の時に声が小さいとブレシアが怒られるかもしれないからね」


 そう。今日レオン様に呼ばれた理由は、明日から始まるという妃教育についての説明のためだった。

 ちなみにこの呼び出し理由を知ったのは、アマルナ様に「暗黒時代は素晴らしい」と言わせる宣言をした後だ。


「心配してくださるなんて、お兄様は本当に優しい方ですね。ですが、わたくしは幼い頃より礼儀作法をバッチリと叩き込まれておりますから。心配は要りませんことよ」

「いや心配しかないから。サンドイッチを投げないかとか、コッペパンを投げないかとか」

「あらお兄様。私が他家とのお茶会でそのようなことをしたことがありまして?」

「ないけどさ! それはそれ、これはこれ!」


 先に王都に出て来ていたお兄様は知らないかもしれないが、つい先日まで領地で療養する母と共に暮らしていた私は、厳しいぐらいにマナーを叩きこまれていたのだ。


 もっとも原因は幼い頃、私がお兄様に向かってたわむれにバゲットを投げたせいなのだけれど。

 それ以来、投げる食べ物はコッペパンとかスコーンといった小さい、あるいは柔らかいものだけにしている。


「ああもう! わかったから、明日の夕食の時なら聞いてあげるから! だから今日は話すのなしだよ。いいね?」

「ありがとうございます、お兄様!」


 私は感謝の気持ちを込めて満面の笑みを浮かべたのだけれど。


「あー、でも暗黒時代の話なら僕よりも王太子殿下の方が喜ぶんじゃないかな?」


 お兄様から返ってきたのが苦笑だったので、思わず私はお兄様の真横を通るようにコッペパンを投げつけて──聖女のスキルで机の下を通して手元に戻した。

 女神だった頃同様に、どうやらどこまでも飛ばせそうだ。


 私が見える範囲内なら、なのだけれど。


「えっブレシア。今パン投げなかった?」

「パン? 投げておりませんが……ほら」

「おかしいなぁ……。あんなに大きなもの、見間違えるわけがないんだけどなぁ……」

「疲れているのですわお兄様。しっかり休みませんと」


 夕食と入浴を終え、この日も読書ルーティンをこなした私は、明日に備えて早めにベッドに潜り込んだ。




☆☆☆☆☆




 翌朝。私は今日もメリダを伴って王宮に来たのだけれど。


「ごきげんよう。どちら様でした? 私と暗黒時代のお話をするというのでなければ通していただきたいのですが」

「まあまあ、そうおっしゃらずに」


 私はその約束の部屋まで向かう道中、声がよく響き渡る廊下で中年男性に絡まれていた。昨日はこの方と会わなかったから、たぶん私たちは初対面で会っているはずだ。

 もしかしたらどこかですれ違っていたのだろうか?


「話をするなら名乗るべきでしたね。私はバハルダール侯爵家当主のルーアンと……」

「あら。バハルダール侯爵閣下でしたか。……ということは、もしかして暗黒時代の騎士様についてもご存知だったり!?」


 引き締まった身体に、オールバックにしたシルバーブロンドの髪。年齢のわりに落ち着いた雰囲気を放っているその方は、今自身のことをバハルダール侯爵と名乗った。

 ということは、彼こそがレオン様の後ろに控えているユージン様のお父君ではないだろうか。


 噂に聞けば、その侯爵はこの国で一番腕が立つと噂の、現役の騎士団長なのだ。

 ということは、少年時代に騎士物語をたくさん読んできているはずで、その流れで暗黒時代の騎士について調べていてもおかしくない、はず。


「ロッテルダム嬢? 私は暗黒時代のことは……」

「ご存知なのでしょう? ぜひ、ぜひ語り尽くしましょう! 特に当時の騎士様の……」


 侯爵が右足を一歩後ろに下げ……たのは気のせいだろう。私程度の小娘相手に引く侯爵ではないはずだ。


「ブレシア? 随分と楽しそうだな」

「……っ。レオン、様?」


 遠くからよく響く足音、そして声。

 侯爵が声の主の方を振り返ると、そこにいたのは私の婚約者となったレオン様だった。昨日も一昨日も会っているのだから、間違いようもない。


「これはこれは殿下。ご機嫌麗しゅう」

「侯爵。彼女に何か?」

「あのっ、レオン様」

「ブレシア?」


 私のことを胡乱うろんな目で見つめるレオン様。きっと、彼の婚約者である私が廊下で楽しげに大声を上げていたから、何事だと思っているのだろう。


「実はですね。私は先ほど侯爵に暗黒時代の騎士様について話を聞こうと思いまして、」

「騎士、様?」

「レオン様? 何かお気に召さないことでも?」


 レオン様は騎士ではない。王子だ。もしかしたら嫉妬している……わけはないか。「君を愛する気はない」と言ったのだから。

 不実行気味ではあるけれど、愛なんてどうでもよさそうな彼のことだから、きっと気にしてはいないのだろう。


 それがちょっと寂しい。……あれ?


「暗黒時代のことなら、侯爵より私の方が知っていると思うが」

「そ、そうですね。暗黒時代について詳しいレオン様の婚約者の身であるというのに……。バハルダール侯爵閣下、先ほどは失礼いたしました。また暗黒時代について存分に語らいましょうね」

「は、はぁ」


 暗黒時代語りの約束を取り付けることに成功した私は、心の中でひそかにガッツポーズした。


 とはいえ侯爵とレオン様を比べるなら、断然レオン様だ。

 そろそろ新たな暗黒時代仲間も欲しいが、そもそも暗黒時代仲間候補であるレオン様とも大して仲を深められていないのだから。


「お迎えありがとうございます、レオン様。でも、どうしてこちらに?」

「あ、ああ。君が二日も連続して遅刻して来るというのが、想像できなくてな」

「心配、してくれたのですか?」

「さあ、どうだろうな? ……行くぞブレシア」


 そう言って私の手をとって歩き出すレオン様。どうやら彼の手は私よりも大きくて、温かいらしい。


 彼が迎えに来てくれた理由がわからなかった私は、今日が初日だというのに、レッスンの間ずっと、その理由を考えてしまっていた。

 心を読めば一発なのだろう。でも、私はとてもそうする気にはなれなかったのだ。

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