第7話 聖女のスキル

「……ということがありまして」

「はぁっ!? いや、ブレシアならやりかねないって知ってるけど。知ってるけど!」


 父が婚約の契約書にサインをし、私がレオン様と堅い握手を交わしたその日の夜。私たち兄妹は夕食を取っていた。今日も父は帰って来ていない。


「だからって……どこの誰が『君を愛する気はない』と言ってきた婚約者と熱い握手を交わすっていうの? たしかにスコーンを投げるよりはマシだけれど」

「どこの誰って私ですが?」

「いやそうだけど、そうじゃなくて」


 どこか煮え切らない様子のお兄様に、私はその手元目めがけてコッペパンを投げつける。


 これは私がお兄様の妹だから──そして、聖女のスキルのおかげ事故がないように投げることができるから──許されていることであり、元女神だとバレたら即刻、神ハラ案件だ。


 というか、今この国のみんなが信仰している神様の方が神ハラしている気もする。パンを投げるだけの私なんて、そんなのに比べたらマシな方だ。たぶん。


 コッペパンは私の狙い通り、お兄様が手にしたナイフを遠くに弾き飛ばし、お兄様の右手にスッポンと収まる。

 使用人に床に落ちたナイフを拾わせてしまうことになってしまったあたりは、ちょっと申し訳ない。


「……ってブレシア、食べ物を粗末に扱うのはダメだからね!」

「お兄様以外にはしませんわ。それに、私だって食べ物を粗末にしないように細心の注意を払っております」

「いやそれでもダメだから! あと細心の注意って何!?」


 おほほほほ、と笑ってみたものの「そんなんじゃ誤魔化されないからね! もう殿下にもしたんでしょ!?」とお兄様。

 安心してください。我が家の美人には傷ひとつつけませんから。そう言えば逆にお説教が長くなる気がするので言わないけれど。




「ごちそうさまでした」


 私たちは夕食を終えると、それぞれ自身の私室に戻った。


「おかえりなさいませ、お嬢様。お茶を用意しておきました」

「ありがとうメリダ」


 恐縮でございます。そう私に向かって頭を下げるのは私つきのメイド、メリダだ。後頭部でお団子に結い上げた髪は黒髪で、瞳はこの国では珍しい緑がかった灰色だ。


 アウグスタ子爵家出身の彼女は、公爵家で学ぶそれには劣るけれど作法もバッチリ。

 というわけで、レオン様の婚約者となった私は今後、彼女を伴って王宮に行くことになっているのだ。


 私はお茶を飲む前に……本棚へと向かう。


「昨日はたしかこの本の半分ぐらいまで読んだはず……うん。しおり」


 私は毎晩、本を読むことにしている。暗黒時代の本だ。


 私の部屋は自分で言うのも何だけれど、令嬢度がとても低い。

 入って左側の壁が本棚で占められている……のはいいのだけれど。そこにあるのは流行りのロマンス小説なんかではなく、学術書、学術書、学術書ばかりである。それも暗黒時代の。


 父がほとんど家にいないのをいいことに、私は学術書を買い漁ったのだ。

 それも、わりとタブー視されているというか、少なくとも好意的には見られていない時代についての研究書を、である。


 この様子を父が見たらどうなるかは──運命のみぞ知る。少なくとも元女神の私も知らない。


 私はとりあえず昨日読みかけだった本を片手に、人を駄目にしてしまう柔らかソファに腰を沈めた。


「お嬢様、今日はお疲れでしょう。肩をもみましょうか?」

「もしかして、久しぶりにあの『スキル』を?」

「はい。本来聖女のスキルは私利私欲のために使ってはならないとされていますが、この程度なら許されるはずです」

「それじゃあ任せたわ」

「任されました」


 私の後ろから、メリダが聖女のスキルを使いながら、私の肩をほぐしていく。聖女のスキルがあるおかげか、とても気持ちいい。

 ソファと合わせてさらに駄目になってしまう。……最高。


 メリダは成人の儀を受けた時に石板が光ったのだという。つまり、彼女も聖女なのだ。

 聖女であるかどうかは、成人の儀で石板を触れた時に石板が光るかで判断するのだとか。


 私は一度も見たことがない。暗黒時代にはそのような儀式はなかったし。

 そして今世も連れて行ってもらったことはない。十八歳になったら受けるのだとは思うけれど。


 たぶん私が死んだ後で流行り始めた儀式なのだろう。少なくとも私がいた泉の周りの地域で、そのようなことをさせた覚えはない。


「メリダ。聖女のスキルって本当に成人の儀を終えるまで使えないの?」

「お嬢様? もしやまだ、成人の儀を終える前から聖女のスキルを使えるとお思いなのですか?」

「本当なのか、当事者の話を聞きたくって」


 気持ちいいなぁと幸せに浸りながら、メリダの答えを待つ。


「本当ですよ? その日までは全く力を使えなかったのですから。石板が光ったと思ったら、いつの間にか使えるようになったのです」


 ちなみにメリダが授かったスキルは「肩をもみほぐすだけで相手を幸せにできるスキル」らしい。「それってスキルなの?」とか「変なスキルね」とか思ったけれど。何度も言いたくなったけれど。

 彼女の腕は間違いなく一流だ。


 メリダのスキルは珍しい方らしく、例えばよくある聖女のスキルには「他人の傷を治せるスキル」とか「火を簡単に起こせるスキル」とかいったものがあるのだとか。


 ただ、成人した時にわかるのは聖女のスキルを持っているか否かという点と、持っている場合はその力の大きさの二点だけであり、どのようなスキルかは使ってみるまでわからないらしい。


「メリダ、変なスキルもらったのって、何か神様の恨みでも買ったとか?」

「いえ、そのような覚えはありませんね。私は神様に会った覚えなどありませんので。もしかしたら、知らぬ間に恨みを買っていたかもしれませんが、それならきっと聖女のスキルすらいただけなかったでしょうし……」


 言われてみればそうだ。前世で女神をしていた私も、その神様には会ったことがない。

 暗黒時代について調べるついでに読んだ限りでは、今の神はかなり昔から信仰されているらしいのだ。彼女が神に会っているわけがなかった。


「あ、ありがとうメリダ。わかった、わかったから。うん。ありがとう」

「? お嬢様の役に立てたようなら何よりです」


 天にも昇りそうなぐらい気持ちいい。このスキルは反則だと思う。


 とりあえずわかった。彼女が言うのだから、成人前の私が聖女のスキルを使えると言っても信じてはもらえないだろう。確実に。


 とはいえ、使えるものは使えるのだから何か有効活用できないだろうか。例えば送り込まれた刺客に対して正確にナイフを投げるとか。──よけいにお兄様に怒られそう。

 ……一応幼い頃に擦り傷を治せた覚えがあるので、そっちは使い道があるかもしれない。


 メリダのおかげでだいぶマシになったけれど、今日はレオン様との対面があったからか疲れがひどい気がする。早く寝た方がいいかもしれない。

 というわけで、私はメリダにお願いして、入浴を終わらせるとすぐにベッドに入ってしまった。明日からも頑張ろう。


 ──すべては、リヒトの最期を知るために! だってさすがに生きているはずはないから。私が知る限り、暗黒時代の人間が生きているはずはないのだから。


 私のように生まれ変わったとかではないなら、なのだけれど。

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