死の点呼

景華

死の点呼

 ジジッ──ジジジッ──……。

「出席番号13番、川崎絵麻」

 ジジッ──……プツッ……。




 小学校の卒業式の当日。

 担任が亡くなった。


 前日に脳梗塞で倒れて、そのまま──。



 私のクラスはとんでもなく荒れたクラスだった。


 授業中は廊下でサッカーをしたり、しょっちゅう火災報知器を鳴らしてまわったり、消化器をぶちまけて廊下に夏のゲレンデを作ったり。

 教師の言うことなんて無視。

 彼らへの罵倒や度を超えた態度によって、何度も担任が変わった。

 校長からも「あのクラスはダメだから」と影で言われていることを、私たちはちゃんとわかっていた。



 そんな問題だらけの私たちのクラスは、六年生からまた新しい人が担任になった。

 白髪混じりの頭に、四角い黒縁のレンズに茶っぽい色のついた眼鏡。

 人の良さそうな笑顔に、私は“この人はすぐに辞めちゃうな”と他人事のように傍観していた。



 だけどその先生は私たちの気持ちに寄り添い、ダメな時には思い切り叱り、きちんと私たちの心の声を聞き、家庭に問題のある場合は家族ともコミュニケーションを取り、積極的に関わった上で更生させていった。


 きっと皆、認められたかったんだ。

 私たちを認めてくれた人。

 それが井上はじめ

 私たちの六年生の時の担任だった。



 卒業式の日の朝だった。

 いつまで待ってもクラスに来ない担任。

 バタバタと足音が行ったり来たりと慌ただしい廊下。


 担任が亡くなったと聞いた時の衝撃は忘れられない。

 卒業式はクラス全員が目を真っ赤に腫らした状態での入場だった。



 あれから20年。

 私たちももう30を超え、同窓会が開かれることになった。


「あ!! 絵麻!!」

 細く高い声で呼ばれて振り返ると、親友の香澄がこちらに手を振りながら駆け寄ってくるところだった。


「香澄!! 久しぶり!! 結婚式以来だね!! 元気してた?」

「元気だけど、寝不足かなっ。今下の子の夜泣きがひどくてさ。毎日睡眠時間2時間よ」


 よく見ればうっすらと化粧の下から浮き出るクマが。

 子育てって大変なんだなぁ。

 結婚もまだの私には遠い話ではあるけれど。


 この歳になってくると親や親戚からは「結婚はまだか」とか「早く孫が見たい」とか、勝手なことばかり言ってくるので、最近は実家からも足が遠のいてしまった。



「大変なんだね。今は子どもたちは旦那さんが?」

「うん。たまには見てて、って押し付けてきたわ!! いつも家事に育児に仕事に色々やってるんだから、こう言う時ぐらいやってもらわないとね!!」

「あはは、確かに!! でも旦那さん、今頃大変そうだね」

「良いのよ、たまには大変になってみれば!!」



 たまの息抜きになっているようで、明るい笑顔を振りまきながら香澄が言って、私たちは笑い合った。

 久しぶりにあったと言うのに変わらない気安さに安堵しながら、私たちは再会を喜び合った。



「お、絵麻に香澄じゃん!! 久しぶり!!」

 明るい声が私たちの名前を呼んで、声のした方を見ると、そこにいたのは明るい金髪に人懐こそうな笑みを浮かべた男性だった。


「もしかして和也君? 川上和也君……かな?」

 私が半信半疑に発すると、彼は「おう。覚えててくれたか」と嬉しそうに笑った。


 川上和也君。

 私とは出席番号が前後だから席も近くて、それでも時々話すくらいの仲だった。


 彼はサッカークラブに通っていて、運動神経抜群で明るくて、クラスの人気者。

 ひどく荒れていた数人とも、クラスの隅っこで様子を伺っているような子たちとも自分からぐいぐいと関わっていた彼を嫌いな人間は、おそらくいないと思う。


 私もその一人で、実は彼は私の初恋の人でもある。

 人見知りであまりしっかりと話すことができなかったけれど。


「二人とも綺麗になったな!!」

「あら、私たち、元から綺麗だから!! ね、絵麻」

「ふふっ、そうね」

 冗談めかして言うと、和也君は「おっと、これは失礼。もっと綺麗になったな」と気取って言ってみせた。



「和也君は今何してるの?」

 確か夢はサッカー選手になることだって言っていた。

 今もまだしているのかな。

「あぁ、普通のサラリーマンだよ」

 笑顔で答えた和也君だけれど、その表情はどこか固くて私は「そうなんだ。頑張ってるんだね」と当たり障りなく答えた。



「それよりさ、三船のこと知ってる?」

 少しだけ声量を落とし和也君が聞いて、私と香澄は顔を見合わせてから首を傾げる。

 その反応を見て知らないと言うことを認識した和也君が、私たち二人に顔を近づけてからこそっと口を開いた。


「──死んだんだってよ」


「え!?」

「嘘!?」

 香澄と二人、驚きの声をあげる。


 三船君──三船康介君は、私たちのクラスで特に荒れていたグループの一人だ。

 小学校卒業してから中学はとても落ち着いていた彼だけれど、高校生になると悪い友達と付き合うようになって、裏の世界にズブズブと嵌まってしまったと風の噂で聞いていたけど……。


「あの……何で? 裏の世界の抗争的な?」

「いや、詳しくはよく知らないんだけどさ、あいつと仲が良かった翔吾……山部翔吾が言ってたんだよ。三船が、死ぬ前までずっと怯えてたって」

「怯えてた?」


 誰かに狙われてたってこと?

 裏の世界ではよくあることなのかしら?

 まさか他殺!?

 それとも何かに怯えた末の自殺……?

 良くない想像ばかりが頭の中をよぎっては消えていく。



「なんか、ラジオからずっと声が聞こえるんだってよ」

「ラジオ?」

「いや、ラジオ聴くようなタイプ? あの人」

 揶揄うように眉を下げながら言う香澄に、私も同意するようにしっかりと頷く。


「それがさ、知らない間に携帯にラジオアプリがインストールされてて、自動で声が流れるらしいんだ。アプリを削除することもできなくて、スマホごと変えてもまた知らない間にインストールされてるらしい」


 何それ……。

 呪いか何か?

 私と香澄は二人視線を合わせてごくりと不安と一緒に唾を飲み込む。


「でさ、その声が問題なんだよ……」

 また少し声のボリュームを落としてから彼は続ける。

「驚くなよ? 井上先生だ」


「「井上先生!?」」

 

 私と香澄の声が重なって、つい大声となって口から出てしまった。

 思わぬ大きな声で挙げられた名前に、周りの同窓生数人がこちらを振り返った。


「シーっ!! お前ら驚くなって言ったじゃん」

「いやいや、驚くに決まってるよ!! だって井上先生って……」

「そう、俺らが小6の時に亡くなってる。でも、先生が呼ぶんだってよ……」

「呼ぶ?」


 聞き返すと和也君が眉を顰め、私たちに再び顔を近づけてから小声で言った。

「点呼だよ。点呼。先生が、三船の名前を呼ぶんだと」


 点呼……。

 毎朝必ず行われた出席確認を思い出す。

 最後の日だけ、行われることのなかった点呼。


「死んだはずの先生に名前を呼ばれ続けながら、三船、死んじまったんだと」


 背筋にゾワゾワと何か気持ちの悪いものを感じる。


「先生の……怨霊?」

 私の小さな呟きを、香澄がおかしそうに笑い飛ばす。

「いやいやもう20年以上経ってんのよ? なんで今更。しかも怨霊に殺されるとか、非現実的すぎない?」


 確かに心霊現象で死ぬとか非現実的すぎて信憑性に欠ける。

 でもラジオのこともあるし、不可解なことが多いのも確か。

 私たちがその妙な小気味悪さに言葉をつぐんだその時。



「あのさ、今、もしかして井上先生の話してた?」


 大柄で少しお腹の出た、優しそうな顔の男性が声をかけてきた。

「斎藤か? 斎藤…圭佑?」

 和也君が記憶を頼りに名前を挙げると、彼はゆっくりと首を縦に振って「うん、久しぶり」と言って力無く笑った。


「井上先生の話、だよね? さっきの。僕も山部君から聞いたんだ例のアプリのこと」

「あれなぁ。ま、山部が勝手に言ってることかもしれないし、気にすんな」

 斎藤君の少し沈んだ声のトーンに、和也君は心配させないようにと言葉を返す。


「違うんだ!! ……僕の妻も、亡くなる前、呼ばれたんだ。──井上先生に」

「妻?」

「うん。クラスにさ、佐藤梨花っていただろう? 彼女と数年前に結婚したんだよ、僕」


 佐藤梨花。

 後ろの隅の席でいつも漫画を描いていた、メガネの女の子が頭の中に浮かぶ。

 いつもひっそりと一人で描いて、確か将来の夢は漫画家だった。


「でも彼女、身体が弱くて昨年闘病の末に亡くなったんだ」


 知らなかった。

 あまり関わりがなかったとはいえ、クラスメイトだった子の訃報を聞くのはさっきの三船くんもそうだけれど、なかなかに堪えるものがある。


「そっか……辛かったな、お前も」

 そう言いながら慰めるように斎藤君の丸みを帯びた肩へと手をやる和也君。


「ありがとう。でも、一年も闘病してたからさ、僕も彼女も別れる覚悟ができてたんだ。だから大丈夫だよ。……それでね、彼女がいよいよもう無理かもしれないってなった時に、嬉しそうに言ったんだ。“先生が私の名前を呼んでる”って」


「先生が!?」

 なんで先生が、佐藤さんを?

 あんなに大人しくて、目立たない子を先生が呪い殺す?

 いや、そんなはずがない。

 なら怨霊の線はないってこと?



「インストールしたはずのないラジオアプリがインストールされててさ、亡くなるまでの数日間、ずっと名前を呼ばれていたみたいだ。僕も彼女が亡くなる前にそのアプリを見せてもらったんだけどさ、彼女が亡くなった後に見たら……消えていたんだ、そのアプリが」


 ぞわぞわと鳥肌が立つ。

 他の二人も同じようで、香澄なんかは肩を震わせて体を抱きしめるように自身の両手で両腕を抱えている。


「次は……誰なんだろうな……先生に呼ばれるのは」


 ぽつりと呟いた和也の言葉に、私たちは何も返すことができず、しばらく口をつぐんだまま立ち尽くした──。






 それから1週間後のことだった。

 和也君から私に電話が来たのだ。


『どうしよう。先生に呼ばれてる』──と。


 最初は私を怖がらせる冗談だと思っていたけれど、彼のただ事ではない様子と震えているような声に、仕事が早く終わる翌日の夕方に会って話を聞く、ということになったのだけれど……。


 その翌日の夕方である今。

 いくら待っても彼は来ない。


 もう1時間以上待っているけれど、一向に来る気配も無ければ連絡もない。

 何度か電話をかけているけれど、ずっと繋がらない。

 諦めて帰ろうか、そう思いかけたその時。



「♪〜♪」

 私の携帯の着信が鳴った。

 ディスプレイには『香澄』の文字。


 私はすぐに電話を取り「もしもし香澄? どうしたの?」と声をかける。


 スピーカーの向こうから、何やら嗚咽のようなものが聞こえる。

 香澄、泣いてるの?


「ねぇ、どうしたの、香澄? 何かあったの?」

 私が極力落ち着いた声で宥めるようにたずねると、彼女は嗚咽を漏らしならもこう答えた。


「か……かず……和也が……死んだ……」


 は?

 和也が?

 え、待ってどう言うこと?

 だって私、彼と待ち合わせを……。


 頭のなかがぐちゃぐちゃになって、何と言っていいのかわからない。


「け、今朝、いきなり倒れて……亡くなった……て……。わ、私、この間の話のことで、怖くなって、詳しく聞いておこうと思って和也に電話したの。そ、そしたら和也君のお母さんが出て……さっき死んだって……。明日の朝葬式が行われるみたい……」


 嘘でしょ?

 まさか本当に……井上先生の呪い?


「と、とにかく、私、和也君の家に行ってみる」


 お母さんが電話に出たって言うことは、和也くんはまだ実家にいるってこと。

 彼の実家の場所ならわかるし、そこへ行けば何かラジオについての手がかりが掴めるかもしれない。


「わ、私も!! 私もいく!!」

「大丈夫?」

「うん……。子供たちは保育園に預けてるし、私も気になるから」

「わかった。じゃぁ、和也君家の近くの公園で待ち合わせよう」


 そう言って私は通話を切ると、待ち合わせ場所へと急いだ。






 公園で香澄と合流して、二人で和也君の家へと赴き、チャイムを鳴らす。


 すると「はい……」と静かな返事と共に、60代ぐらいの女性がドアを開けて現れた。

 髪はボサボサ、目は虚ろ、頬には湿布が貼られている。


「あの、先程お電話した小森香澄です。こっちは同じくクラスメイトだった川崎絵麻です。突然押しかけてしまって申し訳ありません。どうしても、和也君に会いたくて……」


 香澄が言うと、女性は驚いたように目を大きく開いてから

「和也の母です。どうもありがとう、香澄さん、絵麻さん。どうぞ上がってください。和也は中です」

 と言って、私たちに入るように勧めてくれた。



「お邪魔します」

 案内されて玄関へ入ると、隅の方にたくさんの空になった酒瓶が転がって、わずかに異臭が漂っていた。

 薄暗い廊下を曲がり、畳の部屋へとたどり着くと、その1番奥の仏壇の前に彼はいた。



「和也……くん?」


 当たり前だけど返事はない。

 白い顔をして眠っているだけ。


「なんでこんな……」


 信じられない光景に私たちが言葉を失っていると

「綺麗でしょ? 突然倒れてそのまま亡くなったから、外傷はないの」

 そう言いながら和也君のお母さんが私たちにお茶を差し出した。


「あの、和也君、なんで……?」

「脳梗塞だそうよ。それもひどいものがいきなりきたみたい」


 視線はもう動くことのない息子にうつしながら、和也君のお母さんはどこか落ち着いていて、私はなんだか違和感感じざるを得なかった。

 だけどその理由はすぐに明かされることになる。


「私ね、この子がこうなって、少しホッとしているんです」


 実の母親から出たその言葉に、私たちは驚き息を乗む。


「あの、それはどういう……?」

 恐る恐る香澄が尋ねると、和也君のお母さんは困ったように眉を下げ無言で自身の長袖の裾を捲り上げた。


 そこにはたくさんの青い痣が出来上がっていた。

 もうもう薄くなっているものもあり、それが昨日今日でできたものだけではないことを悟る。


「これは、この子が私にしたことです」


 和也君が?

 明るくて優しい、皆の人気者だった彼が?

 到底信じられなくて、私は「まさか……」とこぼした。


「本当なんです。この子、小さい頃からずっとサッカー選手になるんだって頑張ってきて、大学でもオファーが来るほど腕を上げていったんです。そしてそのオファーを受けるか否かの時、私が事故で入院をしてしまった。母一人子一人で生きてきましたから、和也は私のために、そのオファーを蹴るしかなかったんです。そしてその代わり、この子は普通の会社に就職して、入院費や生活費を賄ってくれていました。でも段々とストレスやサッカーを諦めざるを得なかったという思いからお酒が多くなり、酔って暴れては私に暴力を振るうようになったんです。毎日のように……」


 そうか。

 同窓会でサラリーマンをしていると答えた時のあの固い表情。

 あれは彼の気持ちの表れだったんだ。

 

 本当はサッカー選手になりたくて、ずっと頑張ってきたんだもんね。

 それを諦めるしかなかった時、彼はどんなに苦しんだだろう。

 だからといってお母さんに当たっていいことにはならないけれど。


「私があの時事故を起こさなければ。離婚しなければ。後悔してもしきれないですが、私も限界でした。だから、こうなってくれて、少しだけ安心しているんですよ。私も、この子も、解放されたんですから」



 それから私たちは、なにを言っていいのかもわからないまま、ただ和也君の動くことのない顔をしばらく見つめてから、彼の家を後にした。


 あの和也君が暴力なんて……。

 考えてもみなかった。



 三船君は悪いことに手を染めていた。

 和也君はお母さんへ日常的に暴力を振るっていた。

 佐藤さんは闘病生活を斎藤君と一緒に耐えてきた。


 3人ともまるで接点がない。


 でも、亡くなる間際、佐藤さんは先生の声が聞けて嬉しそうだったって斎藤君は言っていた。

 他の二人は恐れていたのに。

 それはもしかしたら、二人の罪悪感から来ているものなのかもしれない。


「ねぇ、香澄。先生は、二人を叱ろうとしていたのかな」

「叱る?」

「うん。悪いことをしたら容赦なく叱ってたでしょ、先生。でも頑張っている時にはこれ以上ないほどに褒めて、暖かく包んでくれた。佐藤さんは嬉しそうに先生に呼ばれてることを告げたんだよね? それは先生が、彼女に頑張ったねって思いを込めて点呼していたからじゃないかな?」



 それは勝手な私の推測だけど。

 そう思えてならなかった。


「うん……そうかもしれないね」

「香澄。頑張って生きようね。お互い」

「……うん。そうだね」


 そんな話をしながら、私たちは別れた。

 そして明日からまた、お互いの生活を生きる。


「死の点呼……か……」



 責任感の強い先生だったから。

 道を外した教え子に喝を入れなければと思ったのか。

 それとも亡くなることを察知して、それまでの人生よく頑張ったねと褒めてあげようとしたのか。


 果たして私の時はどっちなんだろう──。




 ジジッ──ジジジッ──……。

「出席番号13番、川崎絵麻」

 ジジッ──……プツッ……。


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