華緋ースカーレットの垂れ糸ー

西野ゆう

第1話

 腹を突き上げる炸裂音の後、降り積もった小枝を踏み鳴らすような音。

 その心をチクチクと刺す音にも聞こえる音と共に降る火花。あるいは、星と呼ばれる火薬を包んだ紙の成れの果て。その光もやはり、心を刺す。

 予告もなく夜空に咲き始めた花。

 私は女の独り暮らしには過分に思われる量の缶チューハイをリュックに忍ばせ、コンビニからの帰りに足を止めて見上げていた。

 チリチリチリチリ。

 色を変えながら花弁のように、落ち葉のように降ってくる。

 その色が滲む。

 涙が溜まっている。そう自覚していても、そのまま空を見上げていた。

「最近多いですね」

 私のすぐ近くでマスク越しのくぐもった女の声がした。私に話しかけているのだろう。それが分かっても、私は視線を向けなかった。

 大通りから住宅地が立ち並ぶ生活道路に入っている。この近所に住む人だろう。

「そうですね」

 続く言葉は複数の人格を伴っているかのように、同時に頭の中だけで呟かれた。

「奇麗ですよね」「余程花火が余っているんでしょうね」「お金は自治体が出しているんでしょうか」「今どきこの程度の花火じゃ密になんてならないのに」「だれが喜ぶのかな」「ほんと、バカみたい」

「お母さん、すごーい! 花火!」

 女は子連れだった。「凄いね、奇麗だね」と言う声が遠ざかっていく。

 その声と足音は小枝を踏む音にかき消され、初めからそうだったかのように私は独りになっていた。

 チリチリチリチリ。

 打ち上るときの笛の音も、炸裂音も、何故か耳に残らない。繰り返しならされるのは、胸を突くあの音だけ。

 そのうちに腹の下の方から腕を入れられ、胸の中にある私の何かを掴まれるような苦しさが続いた。

 痛い。

 放してよ。

 苦しいから。息ができないから。

 放して。

 息を吐けるが、吸う力が出ない。いや、吸う方法が分からない。

 息苦しくて、とうとう溜まっていた涙が溢れ出した。

「花火なんか上げても誰が助かるわけでもないのに」

 遠くで聞こえた気がした。

 それとも無意識に私が口に出したのか。

 濡れた目の周りを乱暴に拭って、声が聞こえた方に目を向けた。

「なあ、そう思わないか?」

 ああ、私の声じゃなかった。あの人の声だ。

 いつも公園入口にある柵に寄っかかって立っていたあの人。そうやって準備に時間がかかっていた私が部屋から出てくるのを待っていたあの人。

 あの人の幻が、いつもの柵に見えた。

「ああ、お姉さん、ごめんね。つい愚痴っぽくなっちゃって」

 あの人に見えたその男は、缶ビールを飲みながら空を見上げていた。

 ドーン! という音に、体中が震えた。空には大きな花が咲いている。緋色の花だ。

「お姉さん」なんて私に向かって言ったが、その男は私よりも随分年上のようだ。父ほどの年齢まではいかないだろうが。

「そこ、どいて下さい」

 私の口からは挨拶など出てこなかった。両手でリュックの紐を握り締めて言う私に、男は一瞬思い切り嫌な顔を見せたが、すぐに苦笑に変わっていた。

「ここは俺の場所じゃないってか。悪かったね。俺もどうせ帰る途中だったし」

 最後には同情のまなざしを向けた男に、急に私は羞恥を覚えた。

「あっ、あの、ごめんなさい!」

 私の声は花火の炸裂音にかき消されてはいないだろうか。もう一度「ごめんなさい」と男の背中に声をかけると、男はビールを飲みながら歩き、もう一方の手を空に掲げて去っていった。

 去っていく男の足並みに合わせて、またチリチリチリチリと音が響き、胸を締め付ける。

 独りだ。

 急に叫びたくなった。この夜の住宅地で。

「叫んでも良いよ」

 花火がそう言っているかのように、連続で炸裂した。

「あああああ!」

 私はその花火に甘えた。

 そうか。泣けと言っているのだ。この花火は私に泣き叫べと。

 これが最後の花火だと、しだれ柳が空を覆った。

 その色は、普段よりも赤く見えた。行き場のない怒りのせいか、溢れ続ける涙のせいか。

 スカーレットのしだれた華が、私の胸でチリリと燃え尽きた。

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