20ー花弁ー

 桜奈が出ていった浴室で僕は一人になった。久しぶりの一人きり。湯の中と大気中で寒暖差を感じる。風が弱まり室内に循環する生温かい空気が水面を刺激して静かな音が流れる。

「そうだ。僕は孤独感が好きだったな。」

 誰かに言うためではないのに口に出した。なんでだろうな。自分でも理解ができない。口に出せば何かが変わるかもしれない。口に出せばもっと深い何かを知れたかもしれない。行き場のない言葉が僕から出たのにさほどの意味はないのかもしれない。

「あ~あぁ」

 僕は両腕を「く」の字に曲げて浴槽の淵にかけて体を預け、全身でだらんとして気の抜ける声を出した。さっき桜奈が話したようにこの三日間では本当に様々なことがあり、それはすべて僕の思い出として深く残った。だからこそ一人という解放感や優越感がなんとも心に染みるがさっきまでとは違うということがひしひしと感じさせられる。

「はぁ」

 弱い自分を理解するたびに他人身近な人に助けられる。それを知っていたからこそ僕は一人の時間が好きだったのかもしれない。

 さっきまで聞こえなかったジャグジーの音が今は僕の中に広がっていくようであり、眠気を誘う音が夢の世界へ誘いそうであった。


 湯船に浸かってから25分くらい、桜奈が出て行って5分くらい経ったころに僕は様子をうかがって風呂から出た。あまり考えるべきじゃないけども脱衣所には甘い香りと妙なぬくもりがありいたたまれない背徳感がある。

 気持ちを紛らわせようとスマホをいじり、普段着ない浴衣の着方を調べてみる。意外と簡単なもので僕はすんなりと着ることができた。

  ガラガラ

 僕が脱衣所の戸に手をかけて大きめの音が鳴った。部屋の中は何となく静かな気がしたので僕はそっっと顔をのぞかせる。

 すると部屋の奥で小さなクッション付きのアームチェアに座った小動物がそこにいた。頭を右に傾けて部屋にあった枕を握って眠る彼女はわざとやっているかのようだ。温泉から上がって間もないということもあり浴衣からこぼれ出る肌は薄い桜色に染まっている。桜奈にBIGなお胸がないことで浴衣に遊びが生まれており、そのこともあって柔らかそうな肌は少々は色っぽく演出されていた。

  ゴックッ

 おそらくさっきのことで泣きつかれてしまったのだろう。

 僕はそっとスマホを取り出してそっと桜奈の目の前まで進んでミュートにしたスマホでシャッターを切った。筋肉すべてが仕事をしていないように腑抜けた顔で眠る彼女を僕はそのままにしておくことができなかった。気づいたらスマホを捨てて肩の上から手を回して優しく彼女を後ろから抱きしめていた。僕の首の筋肉も仕事を忘れたようで彼女の頭に僕の力が加わっていた。

「…………」

 僕が言ったこの言葉もどうせ桜色のこの子に伝わらないんだよな……。


  —2020年11月4日20:02— 桜奈の死まで93時間50分


 外の嵐は止んでおり、うっすらと出ている月明かりのもと照らされてる。

 各部屋に膳の状態で運ばれてきた夕食をとると桜奈は瞼をうとうととさせ眠ってしまった。疲れたような鼻での笑みをした影二は布団を敷いて寝かせる。

「やっぱりきれいだな」

 眠っている桜奈はいびき一つかかず小さくまとまっている。夕飯が運ばれてきて影二が無理やり起こしたのでやはり疲れているようでさっきと似たような形で眠っている。時折桜奈が艶のある寝言を言うので影二はその都度ドキリとするのだがそれ以外は深い顔で片足立膝をつきながら桜奈の寝顔を観察していた。

「うさ耳……ねこ耳……」

 変な声が聞こえるがそれを聞いているのは渉影二ただ一人。

 寝顔を見ているかと思えば視線は外を向き始めた。暗い中でも室内から見える薄い白く紫色のキキョウの花。幾輪もの花が咲き並んでいるがその中でも目立っているのが一輪。五枚ある花びらの4枚は散って残りは一枚しか残っていないというのに美しい。絶対に落ちないという意思を感じさせるような花。

 ぐっと胸に手を押し当てている影二は涙を流していた。

「………色を見せてよ」

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