12ー二点間距離ー

 桜奈は潜る。

 桜奈は水の中で目を開けることが嫌な上に、海の中は視界が悪い。そんな状況で半目を必死に開けて沈んでいく影二を捉えようとしている。影二との距離を確認してそこまで離れていないことだけはわかったようで一瞬だけ軽く息を吐いてほほが緩んだ。

  ジャボボォォ、ジュボボォォ

 そんなに距離がないといえども下に行こうとすればするほど掻く水は重く、まるで影二に近づかせないような重さを持っているようで気泡の粒が大きくなっている。命綱の影響もあって思うように影二の近くに行くにつれてより険しい顔へと変化し続けていた。

 やっとこさ影二に手が届く位置まで泳いだ。そこで桜奈が目にしたのは太陽の光が海に射し込んで顔が照らされた影二。影二なのだが顔は笑っているように感じていた。安堵と同時に桜奈の背中に冷たい何かが走ったのは言うまでもない。

 桜奈は海の中で少したじろぐもすぐに影二を抱えて水面に昇っていった。


 桜奈が冷たい海から引き揚げた影二は目を閉じて青いボートの上に横になっていた。

 影二が海に落ちるとそれを確認した宿主はエンジン付きのボートを出して二人に近づいていたために二人のところに着いたのは影二が打ち上げられてから少しだけ経った頃だった。その間に桜奈は影二対して保健体育の授業で習ったように壊れたライフジャケットを外して胸に耳を当てて影二の心音を聞いたり、呼吸ができていたりするかを確認していた。流石と言うべきであろうか、桜奈はテキパキと弱音ひとつ言わずに口を絞りながらその行動をしていた。

  ドゥッック、ドゥッック、ドゥッック……

「良かった、音はしている」

 ゆっくりとした心音は桜奈を安心させるのに足る情報であった。だがしかしよくよく確認すれば影二の体には一般的に人に見られる胸元の動きはなかった。

「おい、嬢ちゃん!すぐにその子をこっち乗せぇ!」

 いつの間にか横にいた宿主に対して僅かに驚きながらも切り替えて影二に膝と首を支えに持って手渡している。

「はい。あまり水を飲んでいないため鼓動は動いてはいますが息はしていません」

「うんじゃけえ、俺が人工呼吸すんから嬢ちゃんはカヌーとこん船をひもでくっつけてくれ」

 そう言うと横になっている影二をこなれた手つきで後頭部を持ち上げて顔をつけている。桜奈は言われたことをやり終わると笑いと憔悴を基にした顔を作って、一言で言い表せないほどの感情をあふれ出しながら二人を見守っていた。


 ―2020年11月3日17:51― 桜奈の死まで110時間1分


「眠っていたのか……。夢か…。」

 僕が目を開けるとそこは宿舎設営のバルコニー。周りを見渡せばすでに陽が落ちておりいくらかの星が見える。弱く風が吹いていて毛布がかかっていたとはいえ上裸だったので寒い。

「起きたかい!とりあえずうちの浴場貸すからお風呂入ってきな。あんたたちの部屋のお風呂はあの可愛い子が入ってるからね。さっきまでずっと死にそうな顔してここにいたんだけど、良くないと思って今さっき部屋の湯船に浸かりに行ったよ。だからあんたも入ってきな!」

 僕は部屋に置いてある、用意されているはずの寝間着と昼間に買った下着を取りに行った。借りた合鍵で部屋に入ると勢いよく流れていく水の音がする。話にあったように今はシャワーを浴びているらしい。僕は物音を立てずに要件を済ませると部屋を去った。


 僕は風呂場を貸してもらうと湯船には浸からずにシャワーだけを浴びて出て、もう部屋に戻ってきた。さっき衣服を取りに来た時に開けた窓が新しい風を呼び込んで戻ってきたときの302号室はさっきまでの部屋とは大違いであった。

 僕はそんな部屋の真ん中にある背もたれ付きの座布団に座っている。僕は今着ている用意してもらった水色と白のボーダー柄の寝間着を眺めたり寝ている時に見たあの変な夢を思い出していた。

  ガチャリ

 音が聞こえると僕と同じ格好をした女の子が脱衣所より出てくる。

 何も言わずに近づいてきて、髪すら乾かさないで当たり前かの様に胡坐で座っている僕の足の上に腰を下ろした。ちょこんと収まりがよく座っているものの僕のほうに体重をかけてく。そのため、ほんのりと甘い匂いが鼻元を刺激して普段なら理性がおかしくなってしまいそうだ。

「……影くん」

「ありがとう。」

 話し出そうとした桜奈に対して僕は落ち着いた声で遮った。脳を経由していない言葉だった。

 その声に違和感を抱いたのか、はたまた言葉自体に何かを感じたのか犬が振り向くような素早いかわいらしい振り向きをした。大きく目を開けて眉は上げているのに顔には「え?」と書いているような顔だ。

 無意識ではあるだろうが「じゃあ」と言わんばかりに桜奈は右手で髪をかき上げて耳が見えるようにした。

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