11ー急転ー
岸から35mほど離れたところまでパドルを漕いで僕らの青と赤のボートは大きな海の上に浮かんでいる。海に入ってから三十分は経過しているだろう。僕らは子供らしい鬼ごっこをするなどして時間を忘れるほど楽しんでいた。カヌーで前に進むときに体の横を通り抜ける潮風はまとわりつくような暖かさとそれを流し落とす涼しさを兼ねていた。
ズザァ――――
周りを海で囲まれたボートの上にいるのだから当たり前だけれども波の音が聞こえる。だが不思議なことに陸地から聞いた音より小さく穏やかだ。
「カヌーの体験なんて初めてだよ!ありがとう♪」
素直に感謝する桜奈はかわいいが、顔の周りに花を咲かせながらもパドルを持っているのはシュールで面白いので僕は小さく笑う。
「良かったよ、ちょっとだけ心配していたからね。それにしても腕痛くないの?」
カヌーを初めてやってみたが思った以上にきつい。毎日部活で鍛えていたはずの僕の腕が張ってるのに対して、陸上部で毎日足を鍛えている桜奈がつらくないわけはない。運動部とはいえ華奢な体なのでとても心配だ。
「実を言うと二の腕がパンパンなんだよね」
桜奈はパドルを前方に置いて右手でぷにぷにとした力こぶを作る。力が入っているようでその腕はプルプルと振るえてる。腕にばかり目が行っていたが、彼女の顔に視線を向ければ口をすぼめながら顔を赤くして自身の力こぶを睨むように見ている。そうかと思うと僕のほうを向いてやわらかい顔で微笑んだ。
「でも、楽しいよ!」
「桜奈は海が初めてなんだよね?」
「あれ?そんなこと影くんに話したっけ?たぶん誰にも言ってなかった気がするんだけど……」
「三回くらい前のリープで話してくれたんだよ」
大きな声で話していると頬を赤らめながら5mほどあった二人の距離を縮めて桜奈が向かってきた。
ドトンッ!
二つのボートの頭部が接触する。悪く言えば玉突き事故だ。
「あっ」
バチャン
その衝撃にバランスを崩して桜奈は前のめりに僕のほうに水の中に落ちる。音とは裏腹にぬめりと水に入った。
海は透けるほどきれいというわけではないが黄色い物体が浮かび上がってきているのがわかる程度には透明度がある。
パハァ
小さな水しぶきと軽く吸う息。長い髪の毛は波を打ってわかめのような形を作りっているのでせっかくの流れるような髪がだいなしだ、と思う反面に井戸から出てきそうな女のように髪の毛がダランとしているので声を出してしまうほど面白い。
それを良しとは思わなかった桜奈は僕のボートを力強く揺らし始めた。髪の毛のせいで顔が隠れているからはっきりとは見えないがすごく無邪気な顔をしている気がする。変なことを考えていたせいで思わずバランスを崩した。
「ちょ、待っ、うわっ!」
キュッ、バシャン!
僕は見事に背面から落ちた。
ボートは転倒して腹を上にして浮いている。影二はバランスを崩して海に落ちていった。ドッキリ番組で芸人がやるようなきれいな落ち方だった。
ただ落ちたのであれば良かったのだが影二は落ちる拍子に抗っていたため、ライフジャケットがボートの金具に引っ掛かり、そこから生まれた傷のせいで空気はすべて漏れ出していった。
咄嗟のことで影二は上手く泳げずに深く深くへと沈んでいった。
上がってこない影二に対して妙な寒気を感じ取った桜奈は瞬時にライフジャケットを脱ぐ。そして、ボートにあった麻で作られている10mほどのロープで足とライフジャケットを結びつける。その状態で両手を重ねて腕を伸ばして勢い良く飛び込む。
…………
そこに音はなかった。
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