9ー愛ー

  ―2020年11月3日12:08― 桜奈の死まで115時間45分


 野外の環境に比べて活気のある店内。駐車場は満車でネットの飲食店情報サイトでは星4.2の評価であるのもうなずける賑わいだ。僕らは入り口から入ってすぐ右手の4人用の席に着いた。桜奈が上座に、僕は入り口の観葉植物の横に座ると細いおじさんが氷の入ったウォーターピッチャ―とグラスを二つ持って明るい顔でやってくる。コップに結露があることからよく冷えていることがうかがえる。

「お客さんたちは他県からの旅行の方かな?うちはね、鰊の麹漬け定食が自慢でね、何を食べるか迷ったらそれを頼むといいよ」

 桜奈に目配せすると大きく頷いたのでそれを二つ頼む。

 店員さんがキッチンの方向に歩いていくと僕はおもむろに美味しそうなコップに手を伸ばした。今日は夏のような暑さであったため、口に含んだ少量の水は喉を少しずつ潤しながら体の中に流れていった。しみ込んでくる水は痛みを伴いながらもそれが気持ちいい。

「……フッ」

 不意に桜奈が笑う。何事かと僕は桜奈のほうを向けばグラスを持った桜奈が一人で笑っていた。

「同じ行動するものなんだね」

 話を聞けば水を飲むまでの動作が寸分の狂いもなく鏡写しのように行っていたそうだ。その話を聞いて僕も不意にクスリと笑みがこぼれた。いや、僕の笑みがこぼれたのは久しぶりに正面から桜奈の笑顔を見れたからかもしれない。

 そうこうしていると二人前の食事が運ばれてくる。

「お待ちどう。鰊の麹漬け二人前ね。お二人は高校生のカップルかな?」

 僕と桜奈はわずかにコクリと頭を下げた。

「ハハッ!いいね!二人はそっくりだ。じゃあ、たくさん食べないとね。これはサービス」

「ありがとうございます!」

 目の前に出されたのは白米に味噌汁、たくあんとメインに鰊の麹漬け。そしてゼンマイの煮物。鰊の麹漬けは軽く炙って湯気が立っており五感のうちの二感覚を刺激して否応なく食欲をそそられる。ゼンマイの煮物はゼンマイを主役に糸こんにゃくや油揚げが和えられていて甘く煮付けされているのがよくわかる。

  パシャパシャ、パシャッ

 普段定食では写真を撮らない桜奈も食の魅力に惹かれてスマホで思い出に残している。色々な角度から複数枚の写真を撮る桜奈が時折こちらを見てほほ笑むが天使すぎる。たまに見せるほほ笑むときに目が細くなるのがたまらない。ゆっくりしているのもいいが温かいうちに食べたいというのも本音なので僕は先に食事に手をつけた。

「いただきます」


 まず口にしたのはゼンマイの煮物。ゼンマイのコリコリとした触感が味の記憶を掘り起こした。甘みのある味付けは心にしみこんでくる。

「影くんどうしたの?」

 不意に言われた言葉に困惑したが自信を確認すると僕はご飯を口に運びながらも泣いていた。

「ごめん、僕にもわからないや。」

 小粒で少量の涙玉なみだまが顔に張り付いて滑り落ちる。

「考えられるとしたらこのゼンマイの煮物なんだけど、前に食べたことのある味な気がするんだよね。でも、前に食べた時よりも暖かいし、何よりおいしい。もちろん味付けが全然違うだろうから当たり前だけど……」

「それって前に言ってた山奥に籠っていた時に食べたんじゃないかな?だとしたら多分それは【愛】だよ」

「アイ?」

「そう、愛。人との関わりだよ」

「関わり…か。」

「自分一人で作った味だったからおいしいと思っても物足りなさが感じられたりしたんじゃないかな?」

「そっか…、そうだね」

 鰊をもぐもぐと頬張りながら話す桜奈は小動物のようで、桜奈が話した理由以外にも人と食べれるおいしさを感じたんじゃないかと思わされた。そう思うと自然と僕の右手は伸びて桜奈の頭に置いていた。なでるわけではなく、ただ置いているだけであった。


 山残亭を後にして一旦宿の334号室に戻った。荷物をいくつか取り出して二人は宿から20分程の場所にある賑わいのある街に行った。そこで明日着る服を買うと時間が押していたためすぐさま引き返して宿に到着した。

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