8ー宝石ー

  ―2020年11月3日10:42― 桜奈の死まで117時間10分


 大きなトンネルを抜けるとそこには限らない藍色の水の集合。つまるところ果てしない海が広がっていた。陽気な陽が反射して水は各々でその存在を主張している。

 長野の民からすると海なんてそう簡単に拝めるものではない。だからこそ二人はバイクに乗りながらも目奪われ、唾をのんでいた。

「こう、何というか、すごいね!ここに来るまでにもいくつか海は見たけどこの海は生きてるね!」

「そうだな。後で海に行ってみるか」

「賛成♪」

 ここは長岡市。朝の準備をして昨日着ていた衣服を宅配でそれぞれの自宅に郵送した後、白馬から約150分のドライブを経てたどり着いた。道中で[August]の舞台である新潟市に時間がなくて行かないことを影二の口から伝えられると桜奈は子供のように駄々をこねた。最終的には納得していたがトンネルを抜けるまでずっとヘルメットの中で器用に左右両頬を膨らませていた。もちろん桜奈は大きな男の背にガッチリと身体を委ねているのでその顔を影二が見ることはなかった。

「着いたよ」

 高速道路から下道に降りて海沿いの小さな駐車場で止まった。なびいてくる潮風が心地よい駐車場。ここに白いワンピースとソフトハットをかぶっている女性がいれば絵になりそうな落ち着いた駐車場。

「ここが目的地?」

 一週間で行く予定の市町村等は移動中に話したがそこで何をするかは話していなかったので小さく首をかしげてきょとんとしている。周りには大きな建物が一つ、二つ、三つと数えられるほどしかない。

「そうだよ。それでここが今日の宿」

 そう言って影二が指をさしたのは一番海に近い場所にあり、見当たす限り一番大きい民家のような建物。決して新築というわけでなく、その上新築のような小綺麗さではないが隅々まで手入れの行き届いている好感の持てる建物。二人は荷物をすべて持って一応看板を確認してからその建物に入っていった。


  ウィ~~~ン

「やぁ、いらっしゃい」

 扉を開けて暖簾をくぐると出迎えたのは50代くらいの髪を後ろで束ねているおばちゃん。ピンク色のシャツにどこで買ってきたんだ!?と思わせる短パン。おばちゃん界のおばちゃんを象徴するようなおばちゃんだ。掃除機をかけていたことからここの宿の管理人ひとだろう。

「昨日電話させていただいた渉です。二名で予約したやつです」

「あ~、はいはい、渉さんですね。部屋はもう片付いてるのでどうぞ。302号室ね」

 お金を払った後に渡されたのはイルカのプラスチックキーホルダー付きのカギ。三階の左手一番奥らしい。なので僕らは階段を上ろうと一段上に足をかけた。そこでまだ何か話し忘れたことがあるのか再度しゃべりかけられる。

「あ、そうそう、昨日言ってた体験は午後だからね。三時に受付に顔出して。あと夕食と明日の朝食は出すけどお昼は違うから通りを挟んだ[山残亭さんざんてい]で食べてきなよ。にしんの麴漬けがおいしいからそれを食べてきな。あとね……」

 女将さんのブレーキは機能してないようでずっと喋り続けている。嬉しいのだが桜奈のために熱心に予約を取っていたことなどを笑いながら話されてシュンとなってしまった。僕以上に桜奈は恥ずかしそうに頭上でヒヨコを回していると相乗効果で体温の上昇をはっきりと感じたので話を区切る。

「ありがとうございます。頼んでいた寝間着は用意してありますか?」

「それなら夕方5時頃持っていくよ」

「ありがとうございます。では僕らはここらへんで。」

 僕は桜奈の手を引っ張って334号室に逃げ込んだ。部屋を確認すれば格子のついた窓が入り口とは反対側に一つあり、広さは12畳ほどある。部屋の真ん中には背もたれ付きの座布団が向かい合うように二つあり、とても雰囲気が良い部屋である。

荷物をかたずけてだらだらと二人の時間を過ごした後、部屋の窓を開けて僕らは紹介された[山残亭]に向かった。部屋には季節外れの風鈴のチリンとした涼しい音が残されていった。

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