第20話「光の巫女」

 体の奥が熱を帯び、鼓動は痛いくらいに跳ね上がる。その痛みに耐えながら、行く手を阻む光の壁に手を伸ばした。


「俺を、外に……ティークのもとへ行かせてくれ」


 指先が触れた瞬間、光の結界は粉々に砕け散る。俺はティークのもとへ駆け出した。


「ティーク!」


 ガルード兵はこちらに気付き、ティークに向けていた銃口を俺に移した。ティークを守らなければ、その想いが響音ラドとなり、形となる。

 体にまとう光がガルード兵達の足元から湧き上がり、つたのように絡みつく。その瞬間、彼らの体は一瞬で砂と化し、光となって夜空に舞い上がった。その光景にイリアスは驚倒し、言葉を失っていた。


「ティーク、大丈夫かっ」


 座り込んでいるティークに駆け寄り、怪我をしてる手や頬に触れる。すると、ティークは苦しそうに表情を歪め、俺の手を引き離した。


「放っておいても、よかったのに」

「えっ……?」

「生きていても意味なんてないのに……!」


 声を震わせて語気を強めたティークは、まるで悲しみや憎しみの全てをぶつけるように、俺の腕を強く握った。


「意味がないって……」

「皆と学校に通ったり、お喋りしたり、イディと二人で出かけたり。そんな小さな夢さえ、私には許されない! 結局、私はこの力には勝てないのよっ」


 『ガルードをも一掃できる圧倒的な力だ! その力をここで利用しなければ、いつ利用するというのだ』――脳裏を過ったのは中隊長の言葉だった。

 あの瞬間、ティークは嫌でも思い知らされたはずだ。必要なのはティークという存在ではなく、稀覯禁書イストリアとしての力だけだと。それに追い打ちをかけるように、イリアスも稀覯禁書イストリアとしてのティークを欲している。ティークが最も望まない、その力を……。


「私は、存在しちゃいけないの。だからっ」


 それ以上言えないように、俺はティークを抱き寄せていた。


「ロクス、離してっ! 私はっ」

「そんなこと、勝手に決めるなよっ。本当は、それを一番否定したいくせにさ……」


 抵抗していたティークの手は、震えながら俺の背を掴んだ。すがりつくその体を抱き寄せる腕に力を込めれば、それに応えるようにティークも強く引き寄せる。


「でも、私の力は……」

稀覯禁書イストリアとか謌人ソニドだとか、そんなのどうだっていい。ティークが〝ここに居たい〟って思うだけで十分意味があるんだ。それ以上の理由なんていらないだろ」

「……っ」


 声を殺して泣くティークを宥めるように背をさする。その時、頭上で装填の音が響き、固い感触がこめかみに当てられた。

 見上げた先にいたのはイリアスだった。嘲笑するような眼差しも、俺やティークを捉えている碧色の瞳も、何もかもが憎らしくて、威嚇するように睨みつけた。


「撃ちたいなら撃てよ。その前に、俺が始末してやる」

謌人ソニドの力を持つガキか……ふんっ、強気なものだな。だがお前の言動一つで、少なからず三つの命が消えることになるぞ」


 と、イリアスはスッと手を挙げた。

 そこへ連行されてきたのはアーデン、イディ、教官の三人だった。捕まった時に暴行を受けたのか、教官に至っては銃傷の外にも殴られたような痕があるし、口元も切れて血に染まっていた。


「アーデン、イディ! くそっ、教官にまで!」

「勝手に動くな」


 イリアスが声を低めたとたん、ガルード兵は三人の頭に銃を突きつける。下手に動けば撃つという脅しを見せつけられ、悔しさに唇を噛んだ。


「それでいい。では、大人しく同行してもらおう。抵抗しなければ、お前達にも危害は加えないから安心しろ」

「……わかった」


 渋々立ち上がった、その時――青い光を纏った一匹の蝶が、目の前をヒラリと横切った。どうしてこんな所に蝶がいるのかと思う程度でそれほど気には留めなかったが、ティークは違っていた。


「この蝶は……!」

「ティーク、どうした?」

「ロクス、私から離れちゃ駄目っ」


 何かに焦った様子で俺の腕を引く。不思議に思っていた矢先、ザワザワと風が吹く音にも似た奇妙な音が辺りに響き始めた直後、無数の蝶が周囲を埋め尽くし、その場に居た全ての者達に向って一斉に襲いかかった。

 だが、それは一瞬だった。蝶は体にぶつかると同時にその身を光に変え、ドーム状の結界を張って一人ひとりを包み込んだ。


「一体、何が起こっている! 稀覯禁書イストリア、貴様の仕業か?」


 拘束する結界の壁に手をつき、イリアスは声を低める。ティークは静かに首を横に振った。


「私じゃないわ。この帳ノ謌は……私には操れない。創世新月樹の生み出す響音ラドを操れるのは、一人しかいないから」


 と、ティークは頭上を仰ぎ見る。その視線を追って見上げた誰もが驚いた。

 いつの間に現れたのか、上空に一機の飛行船が浮かんでいた。その機体に刻まれていたのは光の園リヒト・ガーデンの紋章だった。


光の園リヒト・ガーデンだと? なぜこんな場所に連中が来る……?」


 地上へ降りてくるその飛行船を、イリアスは忌々しく睨みつけた。

 不時着した飛行船から姿を現したのは、幼く若い巫女達に警護された光の園リヒト・ガーデンの主・大巫女ミュア・シゼル。書人リヴルを保護し、神聖なる光の園リヒト・ガーデンで創世新月樹を守る者。そして、稀覯禁書イストリアを世界から隠してきた親玉というわけだ。


「これはこれは、大巫女様。お久し振りでございますね」


 歩み寄ってきた大巫女に対し、イリアスはわざとらしくお辞儀をする。大巫女は纏っていたローブのフードを脱ぎ、無表情のまま軽い会釈を返した。

 大巫女と呼ばれるほどだから、もっと年老いた老婆を想像していたのだが、予想に反してその姿は若かった。おそらく30にも満たないだろうか。アッシュグレーの髪に、銀色に近い灰色の瞳は、どこか妖しい美しさを宿していた。


光の園リヒト・ガーデンの主が、何故このような場所においでなのですか?」

「何故? 理由はおわかりでしょう。この戦いを止めるために参ったのです」

「止める?」


 その答えに、イリアスは冷笑した。


「一体、大巫女様に何の権限があって止めるなどとおっしゃるのですか?」

「……まさか、我々と交わした条約を破るおつもりですか?」


 と、質問に質問を返した。イリアスはとたんに言葉を詰まらせた。

 光の園リヒト・ガーデンはエルメナートが管理する地ではあるが、どの国にも属さない中立国のような特殊な政治が機能している。なんでも、創世新月樹を守るため世界各国と平和条約を結んで戦争を回避しているらしい。


 例えばエルメナートとガルードが国同士で戦争を起こしたとしても、ガルードと独自に条約を結んでいるため、エルメナートに攻め入れても光の園には手出しできないと言うわけだ。大巫女がイリアスに言った〝我々と交わした条約〟というのは、おそらくその事だろう。


光の園リヒト・ガーデンに根付く創世新月樹は、世界を巡る響音ラドを生み出す源。それを守るため、我々は各国と条約を交わしているのです。ですが、あなたはそれを破り、光の園リヒト・ガーデンの領内にて戦闘行為を行った。これは条約に反します」

「違反? 今までにもこの辺りで争いはあったはず。だが、光の園リヒト・ガーデンは一度たりとも出ては来なかったでしょう? 条約など口実に過ぎないのでは?」


 含みのある問いを投げ、碧色の瞳はティークを横目で捉える。要するに、今まで傍観していた光の園リヒト・ガーデンが出張ってきたのは、この戦争にティークが関わっているためだと、イリアスは言いたいのだろう。


光の園リヒト・ガーデンから滅多に出られない大巫女様が、なぜ稀覯禁書イストリアがここにいると掴んだのか。まさか、どこかで見物でもしていらしたのですか?」

「一つだけ申すなら。世界を巡る情報は常にワタクシの耳に届く、とだけ言っておきましょう」


 言葉の中に威嚇を混じらせ、大巫女は目を細めてイリアスを睨み返した。多くを語らないその言葉が焦りを煽ったのか、イリアスはほんの一瞬だけ表情を歪めた。


「ガルードと交わした平和条約の規定により、光の園は両国に停戦を要求します」

「停戦……?」

「従えぬと言うのであれば、こちらも容赦はしません。Hauge Guru, Ekurok Retara Pash Isam――」


 語りかけるように古語オルド・スペルを唱え、イリアスを捕える結界に触れたその瞬間――結界は激しく火花を散らし、イリアスは苦しげな呻き声を上げて跪いた。

 結界の中で何が起こっているのかはわからないが、大巫女が古語オルド・スペルを唱えることでイリアスの身に苦痛が与えられているのは確か。その体はガタガタと震えていた。


「一世紀以上も、使わなかった条約を……持ち出すとはっ。余程、焦っておられる……ようですね、大巫女様」

「これ以上、あなたと話すことはありません」


 冷たく突き放すように告げ、大巫女は結界から手を離す。とたんに結界が消え、与えられていた苦痛からも解放されたらしく、イリアスは深く安堵の溜息をもらした。


「……一時、撤退する。急げっ!」


 覚束ない足取りで立ち上がり、戸惑う兵士達にそう告げる。失礼します、と丁寧に頭を下げていたイリアスだったが、その秀麗な顔には不服の色が濃く浮かんでいた。

 光の園の介入によって、カルナドを包囲していた戦艦は撤退を始めた。一つ、また一つと地平線の向こうへ引き上げていく戦艦を、俺とティークは黙って見つめていた。


稀覯禁書イストリア、心配しましたよ」


 不意に声をかけられる。優しい笑みを浮かべている大巫女の姿に言いようのない嫌悪感を覚え、俺は顔をしかめた。


「心配? 冗談だろ。あんたが心配してたのはティークじゃない。ティークの持つ記憶と力じゃないのか?」


 喧嘩腰で突っかかる俺を、灰色の瞳がしっかりと捉える。心の奥まで見透かされるような気がして、思わず視線を外した。


「あなたが、彼女を守ってくれたのですね。感謝します」

「……ティークを連れ戻すのか?」


 質問とは違う言葉を返す。大巫女は呆れたような笑みを浮かべ、そうですね、と静かに頷いた。


「本来居るべき場所に帰る、ただそれだけのこと」

「本人が嫌がってるのに、帰るっていうのはおかしいと思うけど?」


 嫌味な言葉をなげかけるが、子供の戯言だと相手にしていないのか、大巫女は答えずにきびすを返した。


「あなた達にも光の園リヒト・ガーデンへ同行してもらいます。稀覯禁書イストリアの存在を知った以上、このままにはしておけませんので」

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