第19話「古代の力」
最近になって気付いた――ティークは無理をしている時は必ずと言っていいほど、明るく笑って「大丈夫」と口にする。グエンに言われた言葉に傷ついているはずなのに、心配させないようにと明るく振舞っていたように思う。
おそらくこの場にいる誰もが気付いているはず。だから敢えて何も言わなかった。
「俺もティークを手伝ってくるかな? あの様子だと、たくさん食事を運んできそうだからさ」
「……そうだな、そうしてやれ」
教官は小さく頷いて、俺の肩を軽く叩く。三人に見送られるまま、俺は部屋を出た。
その足で広場へ向かった。ティークの姿を探して辺りを見回すと、噴水前に立てられた簡易テントでその姿を見つけた。何やらもめているのか、ティークは担当の軍人を相手に文句を言っていた。
「えぇー、貰えないんですか? 少しくらい、分けて下さいよ」
「余分にあげられるほど数も多くないんだよ。悪いね」
次が
「貰えなかったみたいだな」
声をかけると、ティークは反射的に顔を上げる。一部始終を見られていたのだと気付き、照れくさそうに笑った。
「ケチだよね、あの軍人さん。少しくらいおまけしてくれてもいいのに」
「仕方ないだろ。ほら、諦めて帰ろう」
行くぞと、手を差し出す。うん、と頷いて手を伸ばしたティークだったが、
「まだ、お腹空いてなくて。ちょっと運動してから帰ろうかな? あっ、ロクスは先に帰ってていいよ?」
そのまま背を向けようとしたから、俺はティークの手を強引に掴んだ。
「俺も腹減ってないから付き合うよ」
「もしかして、一人にしたら危ないとか思ってる? ふふっ、大丈夫だよ? 私、ここの軍人さんより強いから」
と、ティークはおどけて見せる。だから俺は――
「それは心配してないよ。だって、本当に強いだろうから」
本音を言えば、何かあったらと思うと心配でならない。けれど、今は生真面目な言葉なんて必要ないと思った。
心配してないと言われ、ティークは笑いながらも不服そうに膨れっ面になる。
「ここはお世辞でも〝一人にしておけない〟とか言って欲しいものなんだけど?」
「それじゃ、一人にしておけないから俺についてきて。ちょっと気晴らしに散歩でもしないか?」
不思議そうに首を傾げるティークの手を引き、俺は町の入口へと走った。
サンドモービルで町の外へ──北へ二キロほど走らせれば、目的地である【蒼の泉】が突如として姿を現す。
広大な砂漠の真ん中、ぽっかりと口を開けて広がる直径20メートルほどのその泉は、1000年前に隕石の落下によって出現したらしい。宝石のトルマリンを溶かしたようなブルーに染まり、月明かりを吸い込んで自ら光を放っているかのように闇の中で鮮やかに浮かび上がっている。
時間の流れが止まったような、或いは全く別の時間の流れが存在するような、何とも不思議な気分にさせてくれる場所だった。
「前に一度、ジイちゃんに連れてきてもらったことがあって。カルナドの近くだったなぁって、さっき思い出したんだ」
靴を脱ぐのも面倒だからと裾を膝の上まで捲り、ザブザブと泉へ入る。ティークも同じように泉へ足を踏み入れると、物珍しそうに泉の底を覗き込んでいた。
「綺麗だよな」
「うん、凄く綺麗」
「ここなら誰もいないし、無理に笑わなくてもいいだろ?」
誰もいないこの場所なら、気を張ることも遣うこともなく、辛い顔も悲しい顔も思う存分見せられる。そう思って、俺はティークに背を向けた。
今、どんな顔でこっちを見ているのだろう。余計な気を遣うなと迷惑そうな顔をしているのか、それともいつものように笑っているのか。
「この泉がクライスドールの近くにあったらいいのにな。そうしたら、いつでもティークを連れてきて」
その時――言葉を遮るようにして、背中にコンと何かがぶつかる。ほんの少しだけ振り返ると、ティークは俺の背にそっと寄り添う姿が見えた。
「ティーク?」
「……少しだけ、このままでいてもいい?」
すがるように訊ね、躊躇いがちに俺の腕を掴んだ。
「大丈夫。きっと、大丈夫。こうしていれば、もう少しだけ頑張れると思うの」
ティークは自らに言い聞かせるように呟いた。
どんなに長く転生し続けていようと、アスル大戦を経験していようと〝人〟である限り、不安や焦り、悲しみや痛みは覚えるもの。きっと、中隊長グエンに言われた言葉にも深く傷ついているはずなのに、大丈夫だと言って誤魔化して……。
こんな時、どう言葉をかけていいのかわからなくて、ただティークの手を握り返すことしかできなかった。
「ティーク、俺……」
声をかけたその時、静まり返った辺りに突如爆音が轟いた。音のした方へ振り返ると、夜空に向って立ち昇る一筋の黒煙が見えた。
「あの方角って、まさかっ」
「カルナド!」
街が近づくにつれて爆音と銃声がはっきりと聞こえ始め、焼け焦げた匂いと火薬の匂いが風に乗って流れてくる。
「何だよ、あれ……」
砂漠の山を一つ越え、カルナドの街が見下ろせる場所でサンドモービルを止めた。
見たこともない大型の陸上戦艦がカルナドを包囲し、街に向って砲撃を繰り返している。その戦艦にはガルードの紋章が刻まれていた。
「あんな型の陸上戦艦、初めて見た」
「嘘……そんなはずないのに。どうして【アルマ】が!」
「アルマ? ティーク、知ってるのか?」
訊ねると、ティークは戦艦を見つめたまま小さく頷いた。
「アスル大戦時に使用された戦艦で、トルエノと同時期に私と仲間が設計したものなの」
「もしかして、ガルードにはアルマの技術が残っていたのか?」
「それはあり得ないわ。アルマもトルエノも全て破壊して、一隻も残さなかったわ」
それが事実なら、どうしてそんなものをガルードが所持しているのか。答えの出ない疑問に困惑する中、不意に砲撃が止んだ。
一隻の戦艦から、甲板へ出てくる人影が見えた。闇夜を切り取ったような黒髪に、それをいっそう際立たせる赤い軍服を纏った青年――ガルード帝国第三皇子であり次期皇帝、イリアス・ガルードだった。
「次期皇帝自ら戦地に出向くとはね」
「でも、どうしてわざわざこんな所に……?」
――― 『エルメナート軍に告ぐ。稀覯禁書を、ティーク・クローディアをこちらへ引き渡せ。大人しく要求を呑むならば、我が軍はすぐさま攻撃を中止する』
拡声器から響いてきたイリアスの言葉にハッとした。
わかったような気がした。カルナドに着いて間もなく戦闘が起こったあの時、ガルード軍は攻撃を仕掛けておきながらすぐに撤退した。ティークの力を前にして勝ち目がないと判断して引き上げたのだとばかり思っていたが、それが間違いだったのかもしれない。
おそらく、あの待ち伏せも戦闘も、全てはティークを探し出すためだったのでは? だからすぐに撤退し、どこかで待機していた軍を率いて、こうして戻ってきたのではないか? ティークを手中に収めるために――
「目的は、ティークだったのか。ティーク、俺は街に戻って教官達を探す。ティークはこのまま……」
言いかけて言葉を失った。攻撃を受ける街を見据えるティークの目は悲しみを宿しながらも、どこか虚ろで、がらんどうだった。
そのまま崩れてしまいそうな気がして、俺は思わず手を伸ばした。その時、戦艦のサーチライトが俺とティークを照らし出した。
「まずい! ティーク、早く逃げろっ」
ティークだけながら逃げ切れる。焦る俺とは裏腹に、ティークはいつもように笑いって、ギュッと首元に抱き着いた。
「ティーク……?」
「Nipek,Aoka Utuyashikarap Kitumam―――」
「っ!」
耳元で囁かれた
ティークが離れたとたん、青い光の結界が俺を守るように包み込む。まるで鋼鉄のように固くて、何度叩いても外へは出られなかった。
「危ないから、ロクスはここにいてね」
「ティーク、何考えてんだ!」
ティークは何も答えず、こちらに背を向ける。同時に謌人の力を解放し、戦艦に向かって行った。
「私ならここに居るわ、イリアス皇子!」
その声に気づき、イリアスは甲板から身を乗り出す。ティークの姿を捉えたイリアスは驚くと同時に、嬉しそうな冷笑を浮かべた。
――『
イリアスの指示を受け、ガルード兵達はティークのもとへと駆け寄る。だが、ティークも大人しく捕まるつもりは毛頭なかった。
「Rera Rui, Moshiri Shoka Arapare Emush―――」
古語と共に辺りの風が激しく震え、鋭い刃となってガルード兵達に襲いかかり、ガルード兵達の身を切り裂く。ティークの先制を受けたガルードは止むを得なく応戦。
向ってくる戦車を一瞬で砂へと帰し、風を操ってガルード兵を薙ぎ払うティークの力は圧倒的に見えた。だが、その姿に違和感を覚えた。
「おかしい……ティークがあんな攻撃をまともに受けるなんて」
攻撃はしても、ティークは自らを守るために力を使っていなかった。そのせいで弾丸はティークの腕や足を掠め、その白い肌を切り裂いて服が赤く染まっていく。
まさか、あえて攻撃を受けているのか。そうこう考えている間に、ティークに異変が起こった。
歩む足が止まったかと思うと苦しそうに肩で荒く息をし、そのまま力なく膝をついてしまった。その身を包んでいた金色の光も弱々しく点滅し、赤毛が瞬く間にもとの白金色に戻っていく。
この隙にガルード兵はティークを取り囲み、動くなと四方から銃口を突き付ける。ようやく抵抗を示さなくなったティークを見、甲板から見下ろしていたイリアスは苦々しい表情で溜息をついた。
―― 『
その指示は俺の耳にも届いた。
「くそっ! このままじゃティークが……何で解けないんだよっ!」
出せと叫びながら結界を叩くが、一向に消える様子はない。
どうすればここから出られるのか――見つかった答えは一つ。俺は自らの手におずおずと視線を落とした。
「頼む、暴走だけはしないでくれ……」
強く祈りながら深く息を吐き、そっと目を閉じる。自らの鼓動に、そして
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