第18話「謌人(ソニド)」

 途切れていた意識が戻り、ふと自分がなぜ横たわっているのかと疑問を抱きながら、ゆっくりと目を開けた。

 最初に見えたのは木目の天井だった。おそらく民家の一室だろう。ぼんやりとした意識の中で周囲の状況を窺っていると、目が覚めたことに気付いたティークと教官が安心した様子で俺の顔を覗き込んだ。


「おっ、気が付いたか」

「教官。俺、どうして……」

「気を失って倒れたの。多分、謌人ソニドの力が目覚めて、急激に響音ラドを使ったからだと思う」

謌人ソニド……」


 俺はそっとティークの髪に触れた。ガルード兵との戦闘で紅焔ノ謌ルースの力を解放したティークの髪と瞳は、燃えるような赤に染まっていた。今はそれが嘘であったかのように、指先に絡む髪は絹糸のように綺麗な白金色で、見下ろす瞳も澄んだ青銀色に戻っていた。


「ティークの力、初めて見たよ。謌人の力って、あんな風になるんだって思ったら少し怖かった」


 別の人間を見ているようだったと話すと、ティークは少し困ったような表情を浮かべた。だが、いつものように笑って「ロクスとお揃いの赤毛になるんだよ」と、おどけていた。


「何はともあれ、大丈夫そうで安心したよ」


 あんまり心配かけるな、と、迷惑そうなことを言っていたが、それに反して俺の頭を撫でる手だけは妙に優しかった。


「アーデンとイディも心配してたぞ」

「そういえば、二人は?」


 気怠さの残る体を動かすのが億劫で、少しだけ頭を持ち上げて室内を見回した。


「今、食事を取りに行かせてる。腹、減ってるだろ?」

「……んー、そうでもないかな」


 と、言いつつ腹に触る。言われると意識するからなのか、急に腹が減っているような気になってくる。

 腹が減っていなくても無理にでも食え、と、教官は無茶なことを勧めながら俺をベッドから起き上がらせる。そこへ、食事を取りに外へ出ていたアーデンとイディが返って来た。


「教官、戻りました」

「おぉ、早かったな」

「すぐに用意していただきましたから。あら、ロクス! 目が覚めたのね」


 俺の顔を見るなり駆け寄ろうとしたのだが、持っていた食事の中にスープが入っていたらしく、イディは慌てて立ち止まる。器からこぼれそうになるスープを覗き込み、緊張混じりの溜息をついた。


「せっかく貰ってきたのに、全部こぼすところだったわ……」

「軍は何を支給してくれたんだ?」


 訊ねる教官に、シチューとパンがどうのと説明を始めたイディだが、ふと何かを思い出したらしく、慌てた様子でドアの方を振り返った。


「あっ、教官。その前にお客様が……」

「客?」

「失礼する」


 こちらの返事も待たずに部屋へ入ってきたのは、第四中隊の中隊長グエンだった。教官は姿勢を正し、深々と頭を下げる。


「話がある。いいかね?」

「はい、構いませんが」


 教官が答えると、グエンは俺とティークを見た。凝視にも近いその眼差しが妙に居心地が悪く、思わず眉間にシワを寄せた。


「先程の戦闘で、帝国の連中を撤退させたというのは彼らだそうだな。実に素晴らしい」

「はぁ……ありがとうございます」


 礼を口にしながらも、グエンを見据える教官の目はまるで不審な者を見ているようだった。


「彼女の様子は先程と違うが……どうやら彼らは謌人のようだな」

「……っ! 彼らは軍人ではありません」


 グエンが言葉に含めた意図に気付いた教官は、声を低め語気を強める。その反応にグエンはフッと冷笑を浮かべた。


「君は察しがいいな。だが、彼らの力は我が軍に必要だ」


 と、教官に向けていた視線を再びこちらへ向けた。


「君達には今後、学園の生徒としてではなく軍人として戦闘に加わってもらいたい。明日にでも西の国境戦に合流してもらうつもりだ」


 予想していなかった思わぬ事態に、俺とティークはもちろん、アーデンとイディも驚きのあまり言葉を失った。だが、それにも勝って驚いていたのは教官の方だろう。俺とティークを引き渡さんと言わんばかりに、教官はグエンに詰め寄った。


「オレは反対です! 軍人でもない子供二人を前線に出すつもりですか!」

「無論だ。彼らの力を見ただろう? 戦車さえ、いとも簡単に破壊する力を持っているんだぞ」

「……大事なお話があります」


 教官はギュッと拳を握りしめ、グエンを睨みつけた。


「話? 何だと言うのだ」

「ロクスは学園の生徒ですが、ティークは違います。事情は話せませんが、彼女は書人であり、禁書デファンスです。彼女の力を使うということの意味は理解できますね?」

「それがどうした?」


 グエンはしれっと言い放った。禁書がこの場にいるというだけでも問題だというのに、グエンは狼狽えることはなく、むしろ運がいいとまで言い放った。


禁書デファンスだろが何だろうが、この際構うものか。謌人ソニドが手に入ったというのに、見す見す光の園リヒト・ガーデンに返してたまるか。その力をここで利用しなければ、いつ利用するというのだっ」


 声を荒げたグエンを前に、教官は目を見開き言葉を失う。呆れか、或いは失望か。どちらとも取れる嘲笑を返した。


「利用、ですか……?」

「今の状態ではエルメナートに勝ち目はない。だが、古よりわざわいもたらすと言われ恐れられてきたその力が今、ここに二人も存在する。砲弾も唱銃リール・ショットも通用しない、ガルードをも一掃できる圧倒的な力だ! これがあれば勝てる」

「だからと言って、二人の力を利用しようというのですかっ」


 言い争う声を二人の聞きながら、俺は自らの手を見つめた。

 欲しくて望んだ力ではないのに、その思いに反して必要だと言う者がいる。正直、放って置いてほしいとさえ思った。だが、それすら許されないのかと思うと胸が苦しくなる。

 ティークはどう感じているのか――誰よりも稀覯禁書である自分を捨てたいと思っているティークは、グエンの言葉をどう受け止めたのか。恐る恐る顔を見る。その横顔には、凛とした強さの中にひどく悲しげな色が浮かんで見えた。


「ティーク……」


 俺が声をかけると、ハッとしてこちらを向いた。いつものようにニコッとほほ笑むと、何を思ったのか教官のもとへと向かった。

 言い争いの最中、ティークが傍に来たことに気付いた教官は、何事かと不思議そうにティークを見下ろした。


「どうした?」

「教官。私、お引き受けします」


 その場に居合わせた者が想像すらしなかった答えだった。教官は慌ててティークの肩を掴んだ。


「何を考えてるんだっ」

「いいんです。私の力でこの戦いが終わるなら、力を貸します。その代り……」


 言葉を切り、ティークはグエンを見据える。真っ直ぐに、全てを見透かすような眼差しを向けられたグエンは、その気迫に押されたのかごくりと息をのんだ。


「協力するのは私一人だけです。ロクスはここに残して下さい」

「君だけ? いや、我々は君達二人が必要なんだ」


 諦めきれないグエンは食い下がるが、ティークもまた一歩も譲る気はなかった。


「今のロクスでは、力を制御するのは難しいです。きっとガルードだけじゃなく、こちらにも被害が出ます。でも、私はこの力を使い慣れています。だから、ロクスの分を合わせた以上の力が出せると思います」

「しかし……」


 利用できるものならば多いに越したことはない、そう考えているのだろう。

 グエンは不服そうに唸っていたが、このまま渋っている間にティークまでもが協力しないと言い出しはしないかと、ティークの譲らない姿勢を前にして妥協したのか、溜息混じりに頷いた。


「……わかった。ここは君の意見に従うとしよう」

「ありがとうございます」

「詳しい話は改めて。後で部下を迎えにこさせよう」


 そう言ってグエンは部屋を出ていった。

 ドアが閉まったとたん、イディは手にしていた食事を乱暴にテーブルへ置く。その直後にはティークに歩み寄り、その腕を思いっきり掴んでいた。


「どうして協力なんて! あんなやつに力なんて貸すことないわ。ロクスとティークを利用するだなんて、酷い……あんなの、放って置けばいいのよっ」

「うん、そうだね。でもあの中隊長さん、ガルデル教官が何を言っても引き下がらない感じだったから」


 仕方ないよ、と、ティークは宥めるような優しい口調で言うと、腕を掴んでいるイディの手を逆に握り返してニコッとほほ笑んだ。


「大丈夫、心配しないで。ほら、私はアスル大戦を経験してるんだもの。皆より戦いには慣れてるから」

「でも……」


 それでも納得がいかないというイディに、ティークはギュッと抱き着く。突然の行動にイディは戸惑っていた。


「戦いが終わったら、イディと色んな所に行きたいの」

「ア、アタシと?」

「うん。美味しいお菓子屋さんを探したり、服を買ったり、アクセサリー買ったり。そのために頑張るの」


 イディは何も言えず、ただティークを抱き寄せる。しばらく沈黙が続いていたが、ふと思い出したように「あっ」とティークが声を上げたため、イディはビクリと体を跳ね上げた。


「な、何? どうかしたの?」

「私、お腹空いちゃった。そろそろご飯にしよ?」


 何かと思えばそんなこと? と、イディはおかしそうに笑った。


「そうね、食べましょうか。アーデン、ロクスの分はお願いね」

「わかりました。あぁ、でも完全に冷めてしまいましたね」


 おそらく運んできたばかりの時は温かかったのだろうが、グエンとやり取りをしている間に熱も逃げてしまったらしい。ティークは器に触れて確認すると、ドアの方へと駆けて行った。


「ティーク、どこ行くの?」

「何か別のもの、貰ってくるね。食べ盛りのロクスが私達の分まで全部食べちゃったとか言えば、貰えるかもしれないから」

「あっ、ティーク!」


 止める間もなく、ティークは部屋を出て行った。

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