第16話「遥か遠くの物語」
遥か古の時代、西国ガルードの地で十数年の長き間に渡って続いていたアスル大戦は、エルメナート軍が用いた【天穹の要塞】によって、白き砂漠の大地【アスル平原】で終結を迎えた。天穹の要塞から放たれた光の矢によって、ガルード軍は大敗。長く苦しかった戦いを終結させ、国に繁栄を齎したのである──
歴史なんてものは100年、200年と時を経る内に、何らかの都合で少しずつ変化し、原形が失われていくもの。もしかしたら、真実を闇に葬るために改竄した偽の歴史を後世に残すことだって考えられる。
歴史を残そうとした過去の者達がそんな偽りを語るだろうか──そう思いたかったけれど、真実は意外にも語られないものの方が多い。
「やっぱり、ティークから聞いた話は歴史に残ってないんだな」
図書館の中二階にあるソファに寝転がり、世界中に出回っているような歴史本と、ティークが話してくれた〝過去〟を照らし合わせていた。
今から2000年程前、アスル大戦と呼ばれる大きな戦争が起こり、数十年続いた大戦を終結させたのがエルメナート軍の用いた〝天穹の要塞〟だった。ここまでは歴史で語られていた通り。だが問題はその先にある。
歴史上では敵国ガルードを大敗させ、国に繁栄を齎したとあるが、実際は繁栄などしていなかった。天穹の要塞はその強大な力故に制御不能に陥り、敵国どころか自らの国をも一瞬にして焼き払い、ガルードとエルメナートの双方が一度滅んでいたという。
この二つの大国を一瞬にして焼土へと変えた兵器――天穹の要塞【トルエノ】を設計したのが、その時代で唱術学者をしていたティークだったそうだ。
「まさか、ティークがあのアスル大戦の経験者だったとはな。本当、
手にした歴史本をパラパラと捲り、謌人について書かれたページで手を止めた。
「リート族が
トルエノの建造をする傍ら、ティークと仲間の学者たちは皇帝の命令でリート族の持つ力や謌人についても研究していた。
ガルードに勝つため、より強力な力を手に入れるために――その末に生み出されたのが【
のちにリート族が蔑視され、禍を齎す存在だと言われるようになったのは、この力を自らに施したティークや仲間達が戦場で戦う姿を見て、リート族が大戦を引き起こしたのだと思い込んだのだろうとティークは言っていた。
要塞【トルエノ】と【
「ティークが持つ
おそらくそう考えるのが一番妥当なのだろうが、目的がそれだと仮定すると気になる点もいくつか出てくる。
隠されてきた存在の
ティークを取り巻く状況や今後起こり得る事態を考えているうちに、ふと自分がかけた言葉が無責任だったような気がしてきた。
「やっぱり、どこか遠くに逃がしてやるべきだったのかな……いや、それは根本的な解決にはならないよな」
ここに留まれというのが、そもそも無理があったかもしれない。今更になって後悔し始めている自分が嫌で、情けなくて。晴れない気持ちを払い除けるように大きく溜息をついた。
「やっぱりここに居たのね」
静まり返った館内に声が響く。顔を向けると、俺を探しに来たティーク、アーデン、イディの三人が中二階へと上がってくる。
開いていた本を閉じ、反動をつけて起き上がる。それと同時にアーデンは、俺の鼻先に新聞を突き付けた。
「エルメナート軍の従軍記者が書いた号外です。読みましたか?」
「いいや。何かあったのか?」
「少々厄介なことになってきたようですよ」
厄介だと言ってはいるが、アーデンは相手をからかうために少し大袈裟にものを言う時がある。おそらく今回もその類だろうと思っていたのだが、受け取った新聞を開いて驚倒した。
「第三中隊が全滅!」
北の国境を守っていた中隊が全滅。ガルードが新たに投入した新型の大型戦車を前に歯が立たなかったと書かれていた。
「半年前に西の国境が破られたのに、北まで落ちたのか」
「今はクムンド平原で第二中隊が押さえている状態らしいですが、そう長くは持たないそうです」
「他の戦闘区域でも、エルメナートが押され始めてるらしくて。とうとう、この学園の生徒まで派遣されることになったらしいわ」
半年前にガルードが宣戦布告をしてから、こうなることは何となく覚悟はしていた。その状況に立たされたら、きっと焦ったり不安を抱いたり、慌てるのだろうと思っていた。だが実感が足りないのか、まだ他人事のように思えてならない。
「俺達も戦場に行くことになるのか」
ぽつりと呟き、おもむろにティークを見た。俺がどんな顔でティークを見ていたのかはわからないが、ティークには酷く弱々しく見えたのかもしれない。目が合ったティークは、困惑と不安の入り混じる複雑な笑みを返した。
「どうかしたの?」
「いや……普通に暮らしたいって言ってたのに、これじゃ普通も何もないよな。俺がここに連れて来なかったら、巻き込まずに済んだのかもしれないって思ってさ」
学園の生徒として残った以上、ティークにも命令が下る可能性はある。俺がその点について心配しているのだと気付くと、ティークはいつものようにクスッと含み笑い、俺の前にしゃがむ。膝の上に置いていた俺の手を握ると、無邪気に笑った。
「そんなこと気にしないで。きっとね、どこに居ても危ない状況は変わらないと思う。だったら、私は皆と一緒の方がいいな」
「でも、戦場に行くことになるんだ。今までとは状況がっ、痛っ!」
弱気なことばかり言ったのが気に食わなかったのか。ティークは一瞬ムッとした表情を見せたかと思うと、突然、俺の頬を思いっきり摘まんだ。
「私が大丈夫って言ったら大丈夫なのっ」
「痛っ! わかったから、は、離してくれっ」
「じゃあ、もう気にしないって約束して」
わかった、わかったと、許しを請うように何度も頷く。それで納得したのか、ティークはようやく頬から手を離してくれた。
「もうっ、ロクスらしくないよ?」
「いや、だってさ」
「心配しないで。いざとなったら、私が守ってあげるから」
その発言に誰もが目を丸くする。
「何かそれ、男としてかっこ悪くないか?」
「ふふっ、そうかな? たまにはいいんじゃない?」
〝たまには〟で納得なんてしたくない。おそらくティークの方が唱術を扱う力も技術も上だし、守られることの方が多い気がする。だがここは男としてのプライドというか、格好というか。そういうものを優先したくなった。
「珍しい光景ですね。いつもは相手を言いくるめるロクスが、ティークに言いくるめられています」
「これはロクス初の、ティークっていう弱点になるかもしれないわね」
このやり取りを見ていたアーデンとイディが同時に吹き出した。〝図書館ではお静かに〟と書かれた張り紙の前でギャーギャー騒いでいると――
「ここにいたのか」
探したぞ、と、声を潜めながら教官がやってくる。何か用かと訊ねるよりも早く、教官は俺が持っていた号外に視線を向けた。
「もう読んだのか」
「今読んだばっかりだけどね」
「ならば、学生の派遣の話は聞いているな?」
俺達は小さく頷いた。
「その話、本当なんだな」
「あぁ、先ほど正式な命令が下された。基本的には後方支援だが、一部の学生は小隊を組んで、制圧された町や村の解放戦に向かう。オレを含め、ここの教官がその小隊の指揮にあたることになった」
「教官はいつ、ここを発たれるんですか?」
イディはいつになく不安気に見つめる。相手が教官とはいえ、自分が想いを寄せている相手が危険な場所へ向おうというのだ。教え子として、一人の女として、その身が心配なのだと思う。
「明日の正午、北と西の国境から丁度中間地点にあるカルナドという町に向かう」
「明日ですか? そんなに時間もありませんね」
どうやら、想像以上に状況は悪化しているのだろう。こんな状況だから仕方ないといいつつも、教官はうんざりした顔を見せた。
「ロクス。いや、お前達に一つ頼みがある」
「何だよ、改まって」
「今回の解放戦に、お前達を同行させたいと思っている」
言い放った教官の一言に驚倒した。
教官に同行するということは戦闘区域に行くということ、学生の派遣が決まったと言っても少しくらいは時間に猶予があると思っていたこと。色々な感情が混ざり合って、それをどう表情にすべきなのか、言葉にすべきなのかわからず、互いの顔を見合わせるばかり。
「俺達なんか連れて行って大丈夫なのか?」
「今回ばかりは誰でもいいというわけにはいかないからな。オレとしては、やはり信頼できる者を同行させたいんだ」
少し考えたいというのが本心だが、教官は明日クライスドールを発つというのだから、そんな猶予はない。
「いいよ。俺は教官と一緒に行く」
俺は即答した。
平然としているが、おそらく戦場経験のある教官でも緊張や不安は多少なりと抱いているはず。少しでもそれを和らげるには、俺が迷った答えを出してはいけないと思った。
「イディはどうする?」
「当然、行くに決まってるじゃない。アーデンは?」
「遅かれ早かれ、派遣されるのは決まっていることです。気の合わない教官と共に戦うくらいでしたら、進んで教官の小隊に入ります」
「そう言ってくれると助かるよ」
真っ直ぐな返答に安堵する教官だったが、その金茶色の瞳がティークを捉えたとたん、笑みに緩んでいた表情が引き締まる。
「ティーク、お前はここに残そうと思ってる。その理由は言わなくてもわかるな?」
その問いに、ティークは一度だけ頷いた。
これから戦おうとしている相手はガルード。戦地に向かうということは、ティークを手に入れようとしている相手のもとに自ら踏み込むことになる。それを避けるため学園に残す選択に俺も反対しなかった。だが――
「多分、ここの方が安全なのはわかってます。でも、私だけ何もしないで待ってるのは嫌です」
ティークは教官の提案を拒否し、一緒に行くと言い出した。
一言「連れていけない」と教官が結論を出せば、強引にでも留まらせることもできただろう。だが、ティークも一歩も譲らないと言わんばかりに教官を見つめる。説得するのは難しいと判断したのか、教官は仕方なさそうに笑った。
「……わかった。上には、4人の名前を報告しておく。しっかり準備しておけよ」
そう告げて教官は踵を返す。中二階から降り、教官の姿が見えなくなると同時に四人は溜息をつき、誰からということもなく顔を見合わせた。
「返事をしたものの、いざとなると緊張するものですね」
いつになく弱気な感じのアーデン。らしくないと馬鹿にするイディも、心なしかいつもの威力に欠けた。
「なぁ、ティーク。本当に行くのか?」
俺はもう一度だけ訊ねた。
「駄目なの?」
「駄目じゃないけどさ。俺達は仕方ないとしても、ティークまで行くことはないんじゃないかって思って」
「皆が戦うのに、私だけ優雅に待機? それって逃げることだよ」
確かにそれも一理あるが、理屈とかそんなものではなくて、要するに不安が拭えなかった。どう答えていいのかわからず、俺は困って頭を掻いた。
「私ね、ロクスに言われて気付いたの。願いを叶えるためには、逃げないで向き合わなきゃ駄目だって」
「だから、一緒に戦うっていうのか?」
「うん。願いを叶えるためにね」
と、ティークは小首を傾げながら無邪気に笑う。
戦争が終わらない限り、俺やティークの願いも叶えられない――確かにそうなのかもしれない。
「前に進まなきゃ、何も始まらないよな」
図書館の窓から、戦地へ向かう戦闘艇が見える。俺達はその様子を、ただ黙って見つめていた。
悩む前に行動に移そう。悩むのはそれからでもいい。約束を守るために、今は戦わなければ。
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