第15話「2000の時を越えて」

 マズイ。ティークの刺青すら隠せていないこの状況で捕まれば、否応無しにティークは連れ戻される。

 このまま路地に引き返せば振り切れるか――隣にいるアーデンに目配せをする。だがアーデンは首を横に振った。今ここで逃げるのも不自然だし、あからさまに怪しまれるか。


「ルーイ隊長、急いで下さい! 逃げられますっ」


 後方を走っていた若い隊員の一人が、立ち止まっているその男を急かした。目の前にいるこのルーイという男が隊長なのだとわかり、俺の中の焦りは更にあおられた。


「先に行け。必ず捕えろ!」


 後方を走る隊員達に指示を出す。逃走したベルヴァを追って隊員達は四方へ散り、路地へと飛び込んでいった。


「まったく。こんな大事な時に、どうしてガルードの連中が……」

「追わなくてよかったのですか?」


 苛立ちを滲ませる隊長にアーデンが声をかける。さり気なく、自分達から関心が逸れるように話題を逸らしたのだろう。


「我々の本来の目的は、光の園リヒト・ガーデンから逃走した書人を探すことなんだ。今回の件は想定外でね。だが、乗り込んで来たのがガルードのベルヴァでは放って置くわけにもいかない」

「だったら尚更、隊長さんの力が必要だと思いますけど?」


 と、自分達のことは放って置いて追ってはどうかと、イディも遠回しに促したが、隊長は「いや、その必要はない」と、はっきり言い切った。


覇王の盾ロワは強者揃いだ。私がいなくとも問題はない。それより、確認したいことがある」


 急に淡々とした口調に変えると、隊長は懐から折り畳まれた一枚の紙を取り出す。陽の光に薄らと透けて見えただけだが、どうやら在籍名簿の一部らしい。


「逃亡した書人が学園内に紛れ込んでいないか調べるために、我々は君達の学園に行った。学園側から受け取った名簿の中で、四名だけ確認できなかった学生がいてね」

「それが俺達だって言うんですか?」

「おそらくな。学科と学年、名前を」

「聞く必要はありません、隊長さん」


 何を考えたのか、背後に隠れてティークが隊長の前に歩み出る。その顔を見た隊長は驚倒し、目を見開いた。


「稀覯禁書っ、なっ!」

「Kuani Itak, Kuani Nukare――」


 一瞬のことだった。

 隊長が驚いて怯んだ隙に、ティークは彼の額に触れ古語を歌う。瞬く間に蒼い光が隊長の体を包み込み、その表情や瞳からは感情が消え、うつろな様子でティークを見つめた。


「4名の確認が取れ、稀覯禁書イストリアではないと判明しました。私達のことは忘れて、このままベルヴァを追って下さい」


 そう告げるティークに対し隊長は返事もせずに頷き、ベルヴァが逃げ去った方へと駆けだした。突然のことに状況が呑み込めず、俺とアーデン、イディの3人は戸惑いながら顔を見合わせた。


「ティーク、あの隊長に何したの?」


 イディはフラフラと駆けて行く隊長の後ろ姿を見ながら訊ねた。


「あの隊長さんは私の顔を知っていたから。断片的だけど偽の記憶を与えることが出来る、幻夢ノ謌トラウムっていう唱術を使ったの」

「聞いたことのない唱術ね」

「学園で教わる唱術以外にも、古い文献とか見つけて勉強しているつもりでしたが、まだまだですね」


 書人リヴルは僕達の知らないことをたくさん知っているのですね、と、アーデンは関心を示していた。

 知らないこと……そうだ。俺達は知らなさ過ぎる。書人リヴルのことも、ティークのことも。

 何気ない言葉だが、この状況を表すには十分な言葉だった。協力したいと思っている俺よりも、ベルヴァの方がティークのことをよく知っていたのだから……。


「なぁ、ティーク。紅焔の謌って何なんだ?」


 俺は訊ねた。その言葉がティークの心を掻き乱したのは確かだろう。訊ねられたティークは押し黙り、答えるつもりが無いのか唇をきゅっと噛み締めたまま俯き、そのまま目を伏せてしまった。

 沈黙が物語るのは、禁書デファンスと関りを持った民間人が処罰されるように、稀覯禁書イストリアにもそれ相応の処罰が用意されているということなのか。おそらく、それも強ち外れてはいないだろう。


「ティークは、まだ書人だってことを捨て切れてないんだな」


 何を言おうとしているのか読み取れなかったのか、ティークは不思議そうに首を傾げた。


「俺もそうだけど……ティークの願いは、その力に縛られたら意味がないんだ。光の園から逃げ出してきたのは、書人リヴルでも稀覯禁書イストリアでもない自分でいたいからだろ? それなのに稀覯禁書イストリアだってことを自覚して身動きが取れなくなっているなら、ここにいる意味がない」

「それは……」


 わかっている、でも話せない――途切れた言葉の先に続くのは、迷いを含んだ理解と、そこから生じる躊躇い。それさえも拭い切れず、話す決心がつかない思いとは何なのか。どうして話せないのかと苛立ちが募っていた中――


「隠しておく必要なんて、ないんじゃありませんか?」


 と、沈みかけた空気を裂くようにアーデンがぽつりと呟いた。


「ロクスが言うように、書人でも稀覯禁書イストリアでもなく生きるには、それを捨てる意味でも全てを打ち明けてしまった方がいいと思います」

「そうよね。いつまでも隠してるから、一人で悩んでしまうんですもの」


 少しお仕置きしなきゃね、と、イディは暗い顔をしているティークの頬を強引に摘まんだ。突然の行動に驚いたティークは、困惑した様子でイディを見上げる。


「イ、イディっ」

「ほら。貯め込んでるもの、全部吐き出しなさい。楽になるわよ」

「わ、わかったわっ。だからお願い、離してよっ」

「いいわよ。その代り、この世の終わりみたいな顔をしないこと」


 と、頬を摘まんでいた手は優しくティークの頬を包み込んだ。ティークはハッとする。

「暗い顔してたら、前に進む力まで失くしちゃうわ」

「うん、そうだね」


 イディの手が離れても、ティークはしばらくその感触を確かめるように自ら触れていた。

 そうしている内に、不安や迷いが薄れたのかもしれない。顔を上げ、俺を見つめたその表情は凛とした強さを宿していた。


「ねぇ、ロクス」

「ん?」

「私、これからも皆と一緒に居たい。何かあっても私が全力で守るから……私に力を貸して」


 俺とアーデン、そしてイディが躊躇ためらうことなく頷くと、ティークはいつもの笑顔を見せた。


「これからどうします? あの連中に居場所を知られたというのは、ティークにとっても僕達にとっても厄介です」

「見つからないように、アタシも逃亡する?」

「いや、逃げないよ」


 即答したのが悪かったのか、何も考えていないのではと受け取られたらしく、「またいつもの思いつき?」と、イディは呆れた様子で溜息をついた。


「ここに居るより安全かもしれないけど、逃げたってティークの願いは叶わない。それじゃ根本的な解決にならない。戦って、堂々と自らの居場所を確保する」


 答えを出した俺に対しアーデンは「仕方ありませんね」と、おかしそうに含み笑う。


「さて、これから取るべき行動も少しずつ見えてきました。あとは話を伺うだけですね」

「あぁ。ティーク、話してくれるよな?」


 ゆっくりと深めに頷いたティークは、その重い口を開いた。


「……2000年前、この地で数十年続いていた大戦を一瞬にして終結に導いたとされる兵器と、それを操る【力】があったわ。私はそれらを生み出した研究者だった」

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