第14話「黒い獅子の仮面」

「くまなく探せ! 一人も逃がすな」


 リーダーらしき男が合図を出すと、仲間達は無言のまま頷き、煙幕の中へ飛び込むように四方へと駆け出す。

 一体何が起こったのか。突然の事態にわけがわからず、その場に座り込んだまま煙幕の向こう側を呆然と見つめた。


「な、何だよ、あいつら!」

「さっきの連中は、確か……」

 思い当たる節があるのか、教官は顎に手を当ててぽつりと呟く。

「さっきの黒獅子の紋様は見たことがある。ガルードの皇帝直属の護衛部隊【ベルヴァ】だ」

「まさか、国境越えてここまで制圧しに乗り込んできたのかっ」

「それにしては妙だな。あの連中は皇帝の護衛部隊。戦争になんて出て来ないような連中だ。まったく、このクソ忙しい時になぜベルヴァが乗り込んでくるんだっ」


 余計な問題を起こすな、と、教官は苛立った様子で舌打ちをした。


「これは妙なことになってきたな」

覇王の盾ロワが大勢でティーク捜索に乗り出してきたかと思えば、今度は敵国ガルードの護衛部隊ベルヴァが登場ですものね」

「でも、おかげで逃げやすくなった」


 俺は足元に停滞している煙幕を見下ろした。

 ベルヴァが己の存在を目視されないよう、尚且つ学生達の視界を塞いで足止めをするために張った煙幕だろうが、こちらにとっては好都合。

「今なら、煙幕に紛れて逃げられる。ということで、俺達逃げるからさ。教官、よろしく!」

「それでは、お先に。イディ、行きましょう」


 アーデンとイディが先頭を切って煙幕の中へと飛び込む。それに続いて俺とティークも踏み出すが、何を思ったのか、教官は「待て!」と慌てて俺の腕を掴んだ。


「何だよっ。早くしないと煙幕が消えちまうだろ」

「いいから聞け。ベルヴァが何の目的でここへ乗り込んで来たのかはわからんが、何としてでも連中には見つかるな」


 あまりにも真剣な口調と眼差しに、俺は困惑して言葉を飲み込んだ。


「ベルヴァの表向きは護衛部隊になっているが、暗殺を遂行するために編成された組織だと聞いたことがある。目的がそこにあるなら、下手に動くと厄介だ」

「あんまり穏やかな状況じゃないな」

「そういうことだ。だから気をつけろ」


 掴んでいた腕をそっと引き離す。それ以上言葉を返すことなく、俺はティークを連れて煙幕の中へ――四方から届く声、音、そして殺気の間を抜けて校舎を飛び出した。

 向かった先は、クライスドール内にある細民街スラム・シュタットと呼ばれる地区。ここでは賭けの対象となっているエル・ロードのレース【クリーク】が行われていて、あまり治安もよくないことから、学園の生徒が立ち入らないよう校則で禁止されている地区だった。だが、この辺りには廃墟が至るところにあり隠れる場所も多い。しばらく身を隠すには丁度よかった。


 人目を避けるように入り組んだ路地を進み、廃品屋と古い倉庫の間の路地に差し掛かったところで、誰からというわけでもなくその場で足を止め、各々が荒く乱れた呼吸を整える。


「取りあえずここまで来ましたが……ロクス、これからどうするのですか?」


 アーデンはそう訊ね、一際大きく息を吸い込んで倉庫の壁にもたれかかった。


覇王の盾ロワは学生名簿を手に入れてるから、俺達がいないことはすぐに気づくはずだ。そうなる前に、ティークの刺青を消さないと」

「消すって。そう簡単に消えるようなものじゃないでしょ、これ」


 肌に刻まれたものを消す時間なんてどこにあるのよ、と、イディはティークの手を掴み、くっきりと浮かぶ刺青を苦々しく見つめる。


「一つ聞くけど、覇王の盾ロワはティークの顔を知ってるの?」

「全員じゃないわ。接触できるのは、大巫女様か覇王の盾ロワの上官クラスだったわ」

「つまり刺青さえ消せば、下っ端の覇王の盾ロワなら誤魔化せるというわけですね?」

「多分、理屈としてはね」


 と、ティークは自信がなさそうに頷いた。


「絵具みたいな、液体を塗るだけの粗末な方法じゃ駄目だ。皮膚全体を自然に隠せるようなものか、或いは唱術で……」

光の園リヒト・ガーデンの刻印は肌ではなく魂に刻まれ、響音ラドの力によって魂から浮かび上がるもの。そう簡単に隠せるようなものではない」


 見知らぬ者の声が割り込むと同時に、先ほどまで感じられなかった気配が背後に現れた。

 背筋がスーッと冷えていくのを感じながら振り返る。一体どこから現れたのか―――黒獅子の紋様が刻まれた赤い軍服をまと隻眼せきがんの男が一人。ガルードのベルヴァが立っていた。


「……俺達に何か用か?」


 己の動揺と焦りを覚られないよう誤魔化しつつ時間稼ぎのつもりで訊ねた。男は表情一つ変えず、眼差しに鋭さを混じらせて俺を見た。


「お前達など興味もない。用があるのは彼女だ」


 男の左目は、確実にティークを捉えていた。


「ファリアスに何の用だ」

「ファリアス? なるほど。誤魔化したつもりらしいが私には通用せんぞ、稀覯禁書」


 その一言に誰もが言葉を失う。その男はティークが書人リヴルだということはおろか、稀覯禁書イストリアであることも知っていた。なぜ光の園以外の、しかも敵国であるガルードの人間が稀覯禁書イストリアの存在を知っているのか。動揺の中、疑問だけが頭の中を駆け巡る。


稀覯禁書イストリアって、何のことだよ。ファリアス、わかるか?」

「ううん、わからない」


 ティークはニコッと笑い、俺の言葉に合わせて白を切る。そんな姿を見、男は呆れたように冷笑した。


「それはあの学園の制服か。生徒ごっことは面白い。その遊びができるのは、誰のおかげだと思っている?」


 含みのある言葉に、ティークは怪訝けげんな眼差しを返した。


稀覯禁書イストリア、思い出してみろ。お前が光の園リヒト・ガーデンから逃げ出した日、見習いの巫女が唱術の訓練中に失敗し、光の園リヒト・ガーデン内にいた覇王の盾ロワが昏睡に陥るという騒ぎがあったはずだ」


 最初は疑っていたようだが、その時のことを思い出して気付いたらしく、ティークはハッと口元に手を当てた。


「ティーク、今の話って本当なのか?」

「……大巫女様もその対応に追われて、私の元から離れていたから。これを逃したら次はないと思って、隙を見て逃げ出してきたの」


 躊躇ためらいがちに男へ目をやるティーク。視線を受け止めた男は不敵な笑みを返した。


「あなたが、あれを仕組んだって言うの?」

「唱術を暴走させた見習いの巫女というのは、我々が送り込んだ刺客だ。全ては、お前を外へと逃がし、手厚く保護するためだ」


 そう告げるや否や、瞳がぎらりと殺気を滾らせる。


「無駄話はここまでだ。稀覯禁書イストリア、私と一緒に来てもらおうか」

 ここで怯めば命がない──本能的に感じ取り、この場に漲る殺気を和らげようと口を開いた。

「ガルードのベルヴァがわざわざ敵国まで足を運ぶってことは、ティークを連れてくるように命じたのって皇帝だろ?」

「愚問だな。私がベルヴァであることを知っているなら、当然、命を下す人物も自ずとわかること」

「じゃあ、質問を変えるよ。その皇帝がティークを求める理由って何だ?」


 すると、男は一瞬の間を置く。口止めされているのか、それとも答える気など更々無いのか。腹の内を探ろうとうかがっていると、男はおかしそうにククッと含み笑った。


「話すつもりなどなかったが、まぁ、いい。彼女を連れ帰るのが目的だが、用があるのは彼女ではなく彼女の持つ〝力〟の方だ」

「力?」

「彼女が持つ【紅焔の謌ルース】の力が必要なんだ」


 紅焔の謌ルース……一体何のことを言っているのかわからなかったが、ティークにはそれが何を意味する言葉なのか心当たりがあったようだ。俺の背に身を寄せているティークの手は微かに震えていたし、青銀色の瞳には不安と確信の色がくっきりと浮かんでいた。


「聞きたいことは、それだけか?」

「ああ。それだけ聞けば、ティークを守るには十分な理由になる」

「私に対抗するというのか。ならば、こちらも容赦はしない」


 その言葉通り、男は懐に隠し持っていた銃を取り出し、俺に狙いを定めた。武器を持たない丸腰の相手に銃を突きつけるくらいだ。子供だからという甘い考えは、少しも持ち合わせていないわけだ。


「EZ0508-Type【S】、別名ブレーク・ショット。おそらく使用している弾は散弾、しかも銃床から銃身にかけて唱術を施した形跡あり。あれが体内で弾が弾けた後、かけられた何らかの術が発動。ダブルで苦しむ寸法ですね」


 この緊張感の中、アーデンは何ともいらぬ情報を告げる。さすがに苦笑いを返すしかなかった。


「さすが造機科の首席。見ただけでわかるとはね」

「お褒め頂き光栄ですよ。まぁ、このくらいは当然ですけどね」

「けど、今は知りたくなかったな」


 いつ撃つか、撃たれるか──互いの腹の探り合いがほんの数秒の間に交わされる。

 向けられた銃口が俺の眉間を捉えて静止し、引き金に掛けられた指がゆっくりと〝く〟の字に折れ曲がる。だが、そこへ近づいてくる無数の足音。その直後、男の背後に見える通りを駆けて行くベルヴァ達の姿が見えた。


「お前の仲間じゃないのか?」


 少しでも気を逸らそうと声をかけた。俺から視線を逸らすことはなかったが、男は通りに響く足音に耳を傾けているように見えた。


「仲間……というよりは、協同体と言うべきだろうな。まったく、たかが覇王の盾ロワさえ足止めできないとは情けない」


 さっきまで滾らせていた殺気も覇気もどこへいったのか。男はすっかり落ち着いた口調で朗笑し、引き抜いた銃を再び懐におさめた。


「何だよ、撃たないのか?」

「状況が変わったからな。一旦引き上げるしかなさそうだ」

「その前に一つ、教えろよ。さっき言ってた紅焔の謌って何なんだ?」


 その問いに対し、この状況でそんなことを聞くのかと、男はどこか呆れたような笑みを口元に浮かべた。


「知りたければ稀覯禁書にでも聞け。よーく、知ってるだろうからな」


 そう告げた直後、男は素早く身を翻し、仲間の後を追うように通りへ駆け出した。


「おいっ、ちゃんと答えろよ!」


 俺はその後を追って通りへ飛び出した。

 運が悪かったと言うべきなのか。通りに出た丁度その時、ベルヴァを追ってきた覇王の盾ロワと鉢合わせてしまった。


「その制服は、クライスドール皇立学園だな」


 立ち止まった隊員は、俺を見てハッとした。

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