第11話「生きる書物」

 客が一人、また一人と店から姿を消し、店内には酔い潰れた数人の常連客を残すのみ。街の騒音も届かない店内には、客達のイビキの合唱が耳触りなほど響いている。

 そんな喧しい音を聞きながら、俺はカウンターの椅子に座って移動屋台のオヤジから貰ったチーズの燻製くんせいを堪能、カウンターの向こう側ではティークがジイちゃんを手伝って皿洗いをしていた。


「悪いな、手伝ってもらっちまって」

「いいえ。このくらい当然のことですから」


 ティークがニコッと愛らしい笑顔を返すと、ジイちゃんもどこか照れくさそうに笑みをこぼした。ジイちゃんが今、孫娘が出来たような心境になっているのは間違いないだろう。いい歳をして何をニヤついているのかと、俺はチーズを頬張ほおばりながらこっそり含み笑った。


 十数年前に起こった内乱で俺が両親を亡くして以来、ジイちゃんは「娘を思い出すから」という理由で幼い俺を連れてクライスドールを離れ、砂漠の端にあるこのダルク村に移り住んだ。思い返してみれば、あの頃からジイちゃんは若い娘と接することを極力避けていた。


 厳つい男ばかりが集う酒場を経営しているのも、自分の娘であり俺の母であるフロリスを思い出してしまうような娘が、決して近づかないようにするためなのだと思う。そんなジイちゃんがティークを受け入れ、嬉しそうに接している姿を見て嬉しかった。


「しばらく2人にしておくか」


 残りのチーズを口へ押し込み、2人に気づかれないようにそっと店を出る。工具箱を持って裏庭に向かうと、俺はエル・ロードの点検を始めた。

 機体に浮力を与えている加工された新月鉱の破損確認をし、推進剤すいしんざいの残量を確認して、燃料を補充する。そんな単調な作業を続けて、10分ばかり経った頃だ。機体に燃料を注ぐ音が響く中、砂を踏み締める足音が背後から聞こえてきた。


「ロクス」


 声をかけると同時に、ティークは俺の隣に座った。


「片付け、終わったのか?」

「ううん、まだ残ってるよ。酔い潰れてるお客さん達を店の外に追い出す仕事」

「ああー、一番面倒な仕事か」

「私も手伝うって言ったんだけど〝力仕事だから、これはわしに任せて休んでろ〟だって」


 と、ティークは祖父の口調を真似て言った。それが思いのほか似ていて、思わずフッと吹き出した。


「ははっ、それはティークじゃ無理だな」

「だから、お爺さんに任せてきたの」

「そっか」


 会話はそこで途切れる。沈黙が間を埋めていくが、何かを話さなければと気にするほどではなかった。ただ一緒にぼんやりと夜空を見上げているだけで、妙な安心感さえある。だがそんな時、ふとある思いが脳裏を過った。大したことではないが、今までに一度も聞いたことがなかったから、妙に聞いてみたくなった。


「なぁ、ティーク。書人リヴルってどんな感じなんだ?」


 質問がわかりづらかったのか、ティークは眉尻を下げて困ったように首を傾げた。


「どんなって?」

「ティークにはさ、色んな時代を生きてきた記憶があるだろ。それを憶えてるってどんな気分っていうか、どんな感覚なのかなって」

「んー……何て言ったらいいのかな」


 どう説明していいのか、最初は言葉が見つからなかったのだろう。しばらく首を傾げたり、考えていたようだった。


「例えば……唱術学者や図書館で働く街娘、光の園リヒト・ガーデンで働く片足のない巫女、色々な主人公達の一生を綴った物語を数え切れないほど知っていて、その物語がここに詰め込まれてる感じ、かな」


 と、ティークは自らの胸をトンッと指先で叩いた。


「物語、か」

「その全てが私の記憶なのに、どれが本当の私だったのか、わからなくなるの。もしかしたら別の人の記憶なんじゃないか、単なる夢なんじゃないかって思えてくることもあるの」


 そう言ったティークの表情は、どこか寂しそうにも見えた。

 数え切れないほどたくさんの物語が体の中に詰まっている感覚──それが一体どんなものなのか。思い浮かべることはできても、感じることはできなかった。


 転生を繰り返すということは、女であったり男であったり、唱術学を研究する技術者として生を終えたと思えば、今度は年中病床に就いている本好きの少女として生を送る時もある。

 そうして幾重にも繰り返される転生の中で、決して消えることのない記憶が一つ、また一つと増えていく。きっと、それがティークにとって単なる記憶ではなく、鈍い痛みを伴うものであることは、ティークが時折見せる寂しげな笑みを見ればわかる気がした。


「記憶があって辛くなること、あるのか?」

「時々ね。もう慣れちゃったけど」


 と、ティークはいつもの笑顔を見せた。


「今でも、自分が自分じゃないような気分になったりするのか?」

「うん。戸惑うこと、たくさんあるよ。そのことで、悩んだりすることもあるし」

「じゃあ、今日から悩むのも考え込むのも禁止。約束な」


 そう言ってティークの手を掴み、互いの小指と小指を絡ませた。強引な催促にティークもわけがわからず、目を丸く見開き何度も瞬きを繰り返した。


「ティークが今一番に望んでることは、普通の生活をすることだろ? だから、今はそれだけ考えていればいい」


 緩みかけた互いの小指との繋がりをもう一度しっかり組み直した。最初は緩く絡ませていただけだったが、俺の思いに応えるようにティークもギュッと小指に力を込めた。


「過去のことで悩むのも考え込むのも禁止。ティークはこれからのことだけ考えて、普通に生活すること。あっ、時々ジイちゃんの話し相手もしてやって。喜ぶからさ」

「ふふっ。うん、わかった」

「もし悩んだ時は俺かイディ、それとガルデル教官に相談すること」

「アーデンは?」


 あからさまに名前を外されたアーデンの存在が気になったティークは訊ねる。俺は苦笑いを返した。


「あいつに相談したらティークを口説くだけで役に立たないから、相談しなくていい」

「ははっ、アーデンが聞いたら怒りそうだね」

「勝手に怒らせとけばいいって。とにかく、約束だからな。もし破ったらアーデンとデートの刑に処す」

「破らないわ。絶対に」


 そう誓いを告げたティークは、俺の首元に絡みつくように抱きつく。予想外な展開に、ティークを受け止めたまま硬直してしまった。


「ロクス、ありがとう。少し、気持ちが楽になったわ」

「んっ、うん……」


 行き場を失った手はティークの肩に触れるのが精一杯。

 今この状況はまさに、アーデンなら喉から手が出るほど欲しがる展開なのだろうなと、頭の隅でぼんやりと考えつつ、速まる鼓動がティークに気づかれないよう必死に押さえていた。

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