第10話「豪快ジジイ」

 エル・ロードを走らせること1時間――着いた先は俺が住む砂漠の村【ダルク】。

 研究室で話した際、ティークの住む場所はどうするのかと教官に指摘された。最初はイディの家に居候いそうろうさせてもらおうとも考えたのだが、イディはガルガドという帝都から数キロしか離れていない街に住んでいて、住まわせるのは少々危険だと判断。最終的には俺の家に居候させるのが最善だと結論が出た。だが、問題は幾つか残っている。


「お爺さん、許可してくれるかな?」

「多分、大丈夫だと思うけどさ」


 歯切れの悪い答えを返しながら、俺は祖父が経営する酒場のドアを見つめた。

 家まで連れてきたものの、ティークを居候させたいと聞いた祖父がどう反応するのか。激怒してグラスやら酒瓶を投げつけられはしないか。そんな心配をしながらドアを押し開けた。


「ただいま……」


 開けると同時に、鼻先に絡みつくような数種の酒の香りが出迎える。

 この匂いに慣れている俺にとっては帰宅したという安堵感を与えてくれる香りだが、ティークにとっては少々〝大人の香り〟だったようだ。さり気なく鼻先に手を当てて匂いを軽減させていた。


「おう、帰ったか。遅かったな」


 年齢の割には筋肉質のがっちり体型で、たくましい左腕にはびっしりと刺青が彫られ、ひたいから左目にかけて斜めに刻まれた切り傷が印象的な老人が出迎える。このいかついジジイこそ、俺の祖父グラディスだ。


「また寄り道してたのか?」

「違うよ。遅刻した罰としてレポート提出しろって言われて、今まで図書館に居たんだよ」

「がははっ、そうか、そうか。そりゃあ災難で……んっ?」


 豪快に笑い飛ばしていたジイちゃんの目に、ふと映ったティークの姿。いつもとは明らかに様子も状況も違うことに気づかない訳がない。当然、ジイちゃんは俺の隣に立っているティークを凝視した。


「ジ、ジイちゃん、実はさ」

「言わんでもいい」


 説明しようと口を開くが、ジイちゃんは俺の口元に手を突き出して遮った。

 ごく一般の家庭ならば「その子は何だ?」とか「こんな夜に女の子なんて連れて来てどうした?」と、この場に連れてきた理由を問い詰めるのが保護者としての自然な反応。だがこのジジイ、そこらの保護者とは一味違う。


「ロクス、お前も隅に置けんな。女を連れ帰るとは、やりおる」

「ジイちゃん、他に言うことあるだろ……」

「何を言う。ようやくお前が女に興味をもってくれて、わしは嬉しいぞ。がははっ」


 すでに怒る気も失せた。ジイちゃんのひやかしを受け流し、ティークと共にカウンターの席に座った。


「冗談は後で聞くからさ。理由くらい聞いてくれてもバチは――」

「聞かねぇぞ」


 と、ジイちゃんは2人の前に氷の入ったグラスを二つ置いた。ウイスキー用に使う大きめの氷がカランと涼しげな音を立てて、冷えた水の中で小さく揺れる。


「お前が思いつきやその場の勢いで行動を起こすようなヤツじゃないってことは、誰よりもわかってるつもりだ。きっと、そのお譲さんを連れてきたのも、考えた末に出した答えなんだろう。だから、わしは何も言わん」


 きっぱりと言い切られたものだから何も言い返せなくなって、口を噤んだまま目の前に出されたグラスの中に浮かぶ氷を見つめていた。

 いつもそうだ──小さい頃、友達と喧嘩して傷だらけになって帰った日、相手の親が物凄い剣幕で乗り込んできた時も「子供の始めた喧嘩に親が口出すんじゃねぇ! そもそも、うちの孫が何の理由もなく喧嘩するわけねぇだろうがっ」と、逆に相手の母親を怒鳴り返したことがあった。


 あの時の喧嘩の発端ほったんは相手側にあり、俺は自分の身を守るために応戦したに過ぎなかったのだが……そもそも喧嘩の理由がくだらない口喧嘩から発展したため、何となく恥ずかしく感じていたし、それを説明するのも女々しく思って言わずにいた。

 詳しい事情を聞きもしないのに俺を信用するのがジイちゃんの方針なのか、親馬鹿ならぬ爺馬鹿なのか。とにかく、昔からそういうふところのでかいジジイだった。


「やっぱり、理由は聞かないんだな」

「ああ、聞かんよ」

「どうして?」

「お前の考えることは、わしとよく似ているからな。聞かなくてもわかる」


 こうもきっぱり言われてしまうと、それ以上突っかかることができなくなってしまう。納得のいかない思いをどこへ逃がすべきか術を失い、俺はいじけたように口をとがらせてカウンターに頬杖ほおづえをついた。


「そんなに、わしに聞いてほしいのか?」

「まぁ一応、俺の保護者だし?」

「そんな理由じゃ聞かんぞ」

「これから一緒に住むことにしたって言っても、理由聞きたくならないのか?」


 と、ティークを横目でちらりと見た。

 少しは気になるだろうと小さな企みを胸に、ジイちゃんの様子を窺う。険しい顔つきをしていたジイちゃんの表情がみるみる驚きの色を表し、しまいには、ぽかんと口を開ける有様。はっきりとした反応に、俺は確かな手応えを得た。


「気になるだろ?」

「お前……17で嫁をめとるとは」

「何でそうなるんだよっ!」

「ふふっ」


 あまりにも馬鹿なやり取りにティークは堪え切れなくなって吹き出す。それが妙な羞恥に駆られ、俺とジイちゃんは互いに誤魔化すような咳払いをした。


「ほ、ほらっ、ジイちゃんが変なこと言うからティークに笑われただろっ」

「わ、わしのせいにする気か!」

「だってそうだろっ。話もろくに聞かないでさ」

「……なら、簡潔に話せ。回りくどい説明はいらん」


 ジイちゃんは逞しい腕を窮屈そうに組んだ。

 簡潔に話せというから仕方なく要点をまとめた。ティークが光の園リヒト・ガーデンのから逃げてきた書人リヴルであること、学校行く途中で出会ったこと、ティークに協力することに決めたから暫くの間一緒に住んで匿おうと思う、そう説明すると──


「んー……わかった。なら、わしも協力するぞ」


 と、即答されてしまった。


「……普通、反対するだろ?」

「普通のジジイと一緒にするな」


 世間一般の考えと一緒にされたのが心外だったらしく、ジイちゃんはフンッと鼻で溜息をつきながら口をへの字に組んだ。


「お前がそうしたいと決めたんだ。わしに反対する権利はねぇ。あるとしたら手伝ってやるだけだ。そうだろ?」

「まぁ、そうだな……ジイちゃん、ありがとう」

「おう、当然だ」


 照れくさそうに言うと、ジイちゃんは相変わらず豪快な笑顔を返した。


「ところでお譲ちゃん、名前は?」

「あっ、はい。ティークといいます」

「ティークか。今日からよろしくな」


 ジイちゃんはカウンターから身を乗り出し、少し乱暴なくらいにティークの頭をガシガシと撫でた。そんなことをされたのは初めてだったのか、どこか戸惑ったように見上げていたが、悪い気はしなかったらしく照れくさそうに笑っていた。


「新しい家族が増えたんだ、パァーっとヤルか」

「最初に言っておくけど、酒は駄目だからな」


 そう言った傍から、ジイちゃんはカウンター脇にある酒瓶に手を伸ばした。

 駄目だぞと忠告して睨みつけるが、往生際おうじょうぎわの悪いジイちゃんはそれでも酒瓶を手放さない。


「俺達、未成年だからな」

「チッ。わかってるわい」


 孫にたしなめめられ、ジイちゃんは渋々酒を棚に戻す。それからは大人しくカウンター脇にある調理場で夕食作りにとりかかっていた。

 さすがに何十年も酒場で料理を振舞っていただけあり、手際の良さは圧巻。いつ見ても無駄がないなと、改めて実感する。厳つい風貌からは想像できないほど、繊細な料理を作るのだから。


 外見と相反する料理が次から次へとカウンターへ並んで行く様が、ティークには不思議な光景に見えたらしい。忙しなく動くジイちゃんの手元と料理を交互に見つめ、夢中になって追いかけていた。

 ようやく手が止まった頃には、カウンターには山盛りの料理がずらりと並べられていた。しかも量は尋常じゃない。ティークが来たことが嬉しくていつも以上に張り切ったのか、それともいつもの癖で、酒場に来る男達の胃袋の目安に合わせてうっかり大量に作ってしまったのか。どちらにしても作り過ぎだ。


 しまいには「どんどん食えっ」と、明らかにティークの胃袋を一瞬にして満たすほどの量を皿に盛っては、強引にすすめる。あまりにもジイちゃんが嬉しそうに差し出すものだから、ティークも無下に突き返すこともできず食べ進めていたものの、ポトフ一杯と少量のパスタを平らげるのがやっとだった。


 結局、作り過ぎた料理はその日酒場に足を運んでくれた客達に振舞って無事に完食。その後はジイちゃんと客達、俺とティークを巻き込んでのちょっとした宴会になって食事は幕を閉じた。

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