第7話「罪であろうとも」
「あー、ちょっと散らかってるぞ」
そう言いながら、教官は自らの研究室のドアを押し開けた。
確かに室内はお世辞にも綺麗とは言えない状態だった。机の上には読みっぱなしの参考書が幾つも散乱しているし、飲みかけのコーヒーが半分ほど入ったカップが3つも放置されている。だが、それにも増して気になるのは〝匂い〟。
ドアが開いた勢いに煽られて室内から
「うわ、臭っ」
顔を
神聖なる
「教官、煙草吸い過ぎですね。体に悪いですよ?」
一足先に研究室に入ったアーデンは、テーブルの上に置かれたガラスの灰皿を呆れ顔で見下ろした。
「んー、そうか?」
「無自覚なのが一番怖いですね。そう思いませんか、ロクス」
「ヘビー・スモーカーの域を超えてるし。40を目前にして死にたくなかったら、
と、灰皿の脇に転がっている
置かれていた灰皿は〝灰を受け取る皿〟という役割をすでに失っており、うず高く積まれた吸い殻の山は限界を超えてテーブルの上に数本転がり落ちているし、灰は雪のように降り積もって灰皿の周りを薄らと灰色に染めていた。
呆れている俺達とは対照的に、この散らかり様と煙草の香りに胸をときめかせていたのはイディ。
「教官の部屋、いつ来ても素敵だわ」
と、嫌がるどころか逆にうっとり。この部屋のどこを見て素敵と言えるのか気が知れないが、少なくとも俺には感じ得ない特別なモノを感じていることは間違いない。
「そういえばイディって、教官の熱烈な狂信者だったよな」
「ははっ、それはありませんよ」
と、アーデンは否定しながら軽く笑い飛ばしていた。本人は平静を装っていたつもりだったのだろうが、その横顔には隠し切れなかった動揺と悔しさが薄らと
「ちょっと、ロクス。狂信者だなんて人聞き悪いわね。崇拝者とお呼びなさい」
「どっちも似たようなもんだろ」
「あら、違うわよ」
「どっちでもいいから、さっさと入れ。あと、ドアも閉めて鍵かけとけ」
教官に促されるままドアに鍵をかけ、俺とティーク、アーデンとイディはそれぞれ向かい合うソファーに腰を下ろす。教官は傍にある机の上に浅く腰かけ、飲みかけのコーヒーが入ったカップを手に取った。
「さて、これで邪魔は入らん。ロクス、話してもらおうか?」
「その前に言っておくけど、聞いたら共犯だからな」
「はぁ?」
教官は気が抜けたように声を裏返した。
「ちょっと、それどういうことよ」
「遅刻した理由とは、そんなに厄介なことなのですか?」
「下手すれば罪人かも。その覚悟があるなら、俺は話す」
アーデンとイディの表情がほんの一瞬だけ強張った。おそらく、大した理由ではないと軽く考えていたのだろう。共犯だとか罪人だと聞かされて警戒したようだ。
「聞くのか? 聞かないのか?」
「厄介かどうかは聞いてから判断する。もったいぶってないで、さっさと話せ」
怖気づいている2人とは違い、教官には生半可な脅しは通用しない。表情一つ崩さず、早く話せと急かすよう眼差しを向けた。
一方、アーデンとイディは
それぞれの覚悟が出来たところで、俺は簡潔に説明を始めた。ティークが
予想はしていたのだが――案の定、話を聞き終えた3人の表情には困惑の色が濃く浮かんでいた。
「いきなり禁書だと言われましても……」
「ロクス、本当なの?」
「証拠はあるのか?」
教官に問われ、俺はティークに目配せをする。
「確か
「ティークの刺青は、どう見ても青ですよね」
「おいおい、マジかよ……」
「ちょっと、ロクス! あんた、自分が何したのかわかってんの?
イディはもっと考えて行動しろと呆れていた。確かに
「俺がそうするって決めたんだから、いいだろ」
「あんたってヤツは……ロクスはそれでよくても、こっちがよくないわよっ」
「参りましたねぇ。僕達もついに犯罪者になるわけですか」
アーデンは苦笑いを浮かべながら天井を仰ぎ見た。まるで天に祈りを捧げるように、胸の前で手を組み、許しを請うべく目を閉じる有様だ。
「アーデン、勝手に犯罪者になるって決めつけるな」
「これから起こり得る未来ではないのですか?」
馬鹿なことを言うなと、俺は軽く
「起こらない。要は見つからなければいいんだ」
「だから黙って見過ごして彼女を匿え、そう言いたいのか?」
単なる状況の確認か、或いは、これから説教をするから覚悟しろとでも言うような怒りを含んだ威嚇か。どちらとも受け取れるような低い声で教官が訊ねてきた。
緊迫した空気をいち早く察知して目をやると、まるで獲物に狙いを定めた獅子のような鋭い目が俺を捉えた。
「まぁ、そんなところ」
「……オレが〝はい、そうですか〟って容易に頷けない事態だってこともわかってて、彼女を連れてきたんだよな?」
俺は静かに頷く。言われなくてもわかっていた。わからないほど、もう子供じゃない──
一緒に来ないかと手を差し伸べたあの瞬間から覚悟は決まっていた。確かにあの時、ティークとの出会いで生活の一部が劇的な変動を見せるんじゃないかって期待はあった。けれど、好奇心とは違う別の感情が脳裏をほんの一瞬
「まさか、単なる思い付きで連れてきたわけじゃないよな? 書人を匿うことが罰せられると知ってて」
「違う」
語気を強め、教官の言葉を遮った。
「中途半端な考えで連れてきたわけじゃない。けど」
含みのある言葉の切り方をした俺の顔を、イディは向いから不思議そうに
「協力したいって思ったんだよ。理屈とかじゃなくてさ。直感、かな?」
「またお前は……」
俺は時々、物事を直感で判断して行動することがあるから、何となく予測はしていたのだろう。〝またか〟と呟いた教官は、どこか諦めた様子で
「ティークを匿うことが罪になるって頭でわかっていても、どうしても罪とは思えなかった。罪とか罪じゃないとかの問題じゃなくて、単に俺はティークの力になりたいって思ったからさ」
「それでオレ達も巻き添えにするってわけか?」
「巻き添えって言い方はどうかと思うけど、まぁそんな感じ」
「……アーデン、イディ」
まさかこのタイミングで呼ばれるとは思わなかったのか、唐突に呼ばれたアーデンとイディはビクリと体を跳ね上がらせる。
「お前達はどうしたい?」
「ボク、ですか?」
「アタシ達は……」
そこで言葉を区切り、アーデンとイディは顔を見交わす。やがて二つの視線は俺へ向けられた。
数秒間、沈黙が辺りの空気を埋めていく。息苦しさと気まずさが空気の中に混じり始めるのを肌で感じながら、アーデンは沈黙の中から自らの答えを紡ぎ出す。その瞬間、アーデンは仕方なさそうに笑った。
「教官、申し訳ありません。不本意ではありますが、僕はロクスに協力しますよ」
「アタシも」
「幼馴染だからなんて理由は通用しないぞ」
「そんなんじゃありませんよ。けど、理由はって聞かれると困りますよね」
アーデンはイディに同意を求める。イディも思いは一緒だったらしく、アーデン同様に心情を表現する方法が見つからないといった複雑な笑みを返した。
「半ば
「半分はそんな感じですね。残りの半分は腐れ縁でしょうか。ロクスの我がままに付き合えないほど、僕達の器は小さくありませんから。まぁ、理屈じゃないんですよ、教官」
そんなことはわかっている──教官が心の中で捨て吐くように呟いた声が聞こえたような気がした。
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