第5話「黒魔女」

 3人の子分を引き連れてやってきたのは、同じ兵科のシェイス・アルヴァ。

 これといって特別、シェイスに対して敵対心を抱いているわけでもないし、毛嫌いするほどの相手とは思っていなのだが、どういう訳かシェイスは俺に敵対心をむき出しにしてくる。何か粗を探そうと行動に目を光らせているし、遅刻する日は必ずといっていいほど待ち伏せして嫌味を言ってくる。それもほぼ毎日。

 最初は腹も立っていたがこのやり取りも日課になってしまい、今でこそ腹は立たないが、正直言って鬱陶うっとうしい。


「毎日飽きないな、シェイス」


 嫌味には嫌味を返してみたのだが、生半可な嫌味なんてシェイスには通用しない。いつもの如く「フンッ」と鼻で冷笑された。


「まったく。お前みたいなヤツがいると品位が落ちる。ボク達までバカだと思われるだろ」

「品位を落とすようなこと、した憶えはないけどなぁ」

「居るだけで落ちるんだよっ。お前みたいな〝赤毛の民〟が、ここに在籍していること自体がおかしい。不愉快なんだよ」


 この台詞も何度聞いたことか。

 シェイスが俺を毛嫌いしているのは、階級を持たない民間人であり、リート族の末裔であるため。何せシェイスは人一倍、階級だとか出身に拘る貴族のお坊ちゃまだから。


 クライスドール皇立学園はエルメナート皇国内一のエリート校で、卒業後の配属先が皇帝直属の軍や同盟国の宮廷など申し分ない将来が約束されているのだが、その分、学費が馬鹿みたいに高い。到底、民間人が容易に入学できるわけもなく、自ずと富豪の令嬢とか貴族出身者が生徒の大半を占めるような状態なのだが、【特待生判定】があるおかげで、入学試験時の成績で上位五名までに入れば、入学費・授業料が全額免除。金も階級もない俺のような民間人でも入学できるシステムが組まれている。


 世間では〝金持ち貴族のエリート校〟で、頭脳明晰な生徒達が集められるというイメージが定着しているし、実際に在籍している生徒達の家柄はもちろん、頭脳明晰なエリート揃い。そのイメージに反する民間人の俺が在籍していることは、許し難い事実なのだろう。


「なぁ、シェイス。たまには気の利いた嫌味とか言えないのか?」

「な、何だとっ」


 馬鹿にするような口調で返すと、シェイスはあからさまに苛立ちを声に混ぜた。


「だって、言うこといつも同じじゃん。つまんなーい」


 と、口を尖らせてそっぽを向く。わざとらしい態度にアーデンは含み笑い、背後に隠れているティークは眉尻を下げて心配そうに俺を見上げていた。


「ロクス……」


 ティークはおずおずと名を呼んで袖を引っ張った。


「ん? あっ、ティークは心配することないって」

「でも」

「大丈夫だって、いつものことだから。シェイス、他に言いたいことあるか?」


 鬼の如き形相で睨みつけるシェイスにわざとらしく問いかける。頭に血が上りすぎて反論もできないらしく、噛み切るんじゃないかって思うほど唇を固く結んでいた。


「何もないなら、もう」

「ボクはお前なんか認めないからなっ」


 その言葉と同時に響く乾いた金属音――

 相変わらず冗談の通用しないシェイスは、言葉を真に受けて完全に頭に血が上ってしまった。手にしていた訓練実習用のサーベルを鞘から引き抜き、切っ先を俺に向ける始末。


「お前を潰さなきゃ気が済まないっ」

「あーぁ、嫌だね。血の気の多いヤツって」


 そう言う俺の方も満更ではなく、シェイスの挑発に乗ってやろうなんて軽い衝動に駆られていた。どう打ち負かしてやろうか、そんなことを考えながらアーデンの手にしているサーベルをちらりと横目で確認する。だが──


「駄目だぞ、ロクス。それからシェイスもだ」


 2人の様子を黙って傍観ぼうかんしていた教官が絶妙なタイミングで口を挟んだ。俺を睨みつけていたシェイスと、その睨みを受け止めていた俺は同時に教官の方へ顔を向けた。


「駄目って、何が?」

「〝何が〟じゃない。訓練以外でサーベルを抜くことはおろか、使用も許可してない。まして喧嘩に使うなんぞ以ての外だ」

「そんな固いこと言わないで下さいよ、教官」


 少しくらい多めに見ろと言わんばかりに、アーデンが口を挟む。調子に乗るなと言いたげな目をして、教官はアーデンの額を拳で軽く突いた。


「痛っ!」

「アホか。いくら寛容なオレでも、こればかりは見過ごせん」

「まぁ、確かに教官の言う通りだよな。シェイス、素直に言うこと聞こうぜ」


 突きつけられたサーベルを下ろせと、手振りで促す。だが、対照的にシェイスはヒートアップ。教官の言葉など最初から聞く耳持たずといったところだろう。突きつけたサーベルをおさめる気配もなく、瞳の鋭さも増す一方。

 ティークのことも気になるし、教官には遅刻した経緯を説明しなければならないし。問題は色々と山積みなわけで、シェイス一人にかまっている暇も時間もない。面倒なシェイスから逃れるにはどうすべきかと、打開策を求めて視線を水平に滑らせる。その時、目に留まったのは教官の〝下半身〟だった。


「……あっ、教官。チャック開いてる」

「な、何をっ!」


 突然、下半身を指さされた教官は、はっと声を上げて素早く見下ろす。慌てふためいているその隙に、教官の腰からサーベルを奪い取った。


「教官、借りるよ」

「あっ、てめぇ!」


 教官はしてやられたと声を上げ、取り返そうと踏み出す。だが、すかさずアーデンが立ちはだかった。


「いいじゃないですか、教官。たまには」

「〝たまには〟って、簡単に言うなっ」

「何言ってるんですか。本当はこういうの、嫌いじゃないでしょ?」


 ニヤリと笑みを浮かべ、アーデンはひじで教官の脇腹を突く。教官は気まずそうに視線を外して口をつぐんだ。

 口ではまともなことを言ってみたり、教官らしく規則に忠実であるかのように言ってはいるものの、実は誰よりも規則が嫌いで、生徒と一緒になってハメを外すことも毎度のこと。もっとも、シェイスがすぐに他の教官に告げ口する点を気にしているらしく、シェイスの前では悪ふざけが出来ないため真面目を装っているらしい。


「教官、いつも目を瞑ってくれるんだから、今日も瞑ってくれ」

「あっ、こら!」


 教官の制止を躊躇うことなく振り切り、サーベルの切っ先をシェイスに向ける。すると、傍に居たティークはその手をギュッと掴んで止めた。


「ロクス、止めて。危ないわ」

「俺が負けるとか、怪我するとか思ってる?」


 その問いに、ティークは二度ほど連続して頷いた。


「ははっ、大丈夫だって。俺、負けないからさ」

「でも」

「大丈夫、大丈夫。危ないから離れてて」


 それでも引き止めたいのか、ティークは訴えかけるように見上げる。大丈夫だと念を押すように笑みを返し、ティークを頼むとアーデンに目配せをして自ら遠ざけさせた。

 少々暴れても問題ない範囲外へティークが出たことを確認すると、視線をシェイスに定めた。


「さてと。準備も整ったことだし、始めるか。とりあえず、サーベルを奪った方が勝ちってルールでいいか?」

「何でもいい。どんなルールでも、僕が勝つんだからさ」


 これには呆れ顔。自信過剰なのは相変わらず。暫く嫌味も言えないくらい徹底的にやり合うべきだろうかと、密かに企みながらサーベルを握る手に力を込めた。

 あとは互いに合図を待つのみ。いつ始めるか、今かと、タイミングを見計らっていた、まさにその時――


「さっきから見てれば……本当、目障りだわ。ガルデル教官を困らせるっていうなら、アタシが相手になるわよ?」


 どこからとこなく湧いて出た声に、シェイスの表情が凍りつく。それと同時に、白く細長い指がシェイスの首に絡みついた。

 気配も音もなくシェイスの背後に現れたその人物が誰なのか、振り返らずとも見当がついたシェイスは、俺に顔を向けたまま意識だけを背後に向けた。


「〝黒魔女〟! ボ、ボクに触るなっ!」

「やめてくれないかしら、その呼び方。嫌いなのよね」


 息交じりに呟くと、シェイスの首にかけていた手をそろりと離し、スルリと身を翻して前へ。間に割り込んだのは、俺とアーデンの幼馴染イディ・メアリードだった。


「邪魔するなっ、黒魔女!」

「だから、その呼び方はやめなさいって言ってるじゃない。次にその呼び方で呼んだら……」


 そこで言葉を切ると、イディはシェイスの耳元に顔を寄せ、同時にシェイスの二の腕辺りをギュッと強く掴んだ。


「あんた、ここに唱術しょうじゅつ強化の刺青入れてるでしょ?」


 耳元で囁かれたその言葉に、シェイスの顔が瞬く間に強張っていく。

 素質のある者は古語のみで唱術しょうじゅつを扱えるが、素質のない者は響音ラドを閉じ込めたエンブレムや刺青を彫ることで、強制的に唱術しょうじゅつが使えるようになる。だが、その技術は軍人にのみ許可されていて、士官学校ではそれが禁止されていた。


「お前、どうしてそれを……」


 その問いに、イディは不敵に微笑むだけ。なぜ知っているのか、どこでその情報を手に入れたのか、シェイスにしてみれば聞きたいことは山ほどあったはず。だが、教官が居る手前、堂々と話すことなどできなかったのだろう。

 シェイスはイディの手を乱暴に振り解くと、悔しげな舌打ちだけ残してその場から足早に立ち去った。

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