第3話「望むもの」

 俺が望んでいることと同じ、か……

 俺は自らの髪にそっと触れた。

 士官学校に通う生徒はもちろん、この世界の至るとこに【唱術しょうじゅつ】と呼ばれる力を操る者達がいる。この力は自然界に存在する響音を【古語オルド・スペル】を用いて操ることで、それを具現化し発動させる技術だ。この唱術しょうじゅつを操る者の中でも、特に優れた能力を持つのがリート族。他の民族と違い、生まれながらに強力な響音を操ることができるらしい。


 2000年前、リート族はこの地を焼土に変えたという【アスル大戦】を引き起こし、戦乱を導いたとされ〝禍を齎す赤毛の民〟として、今も恐れられ迫害を受けてきた。俺はそのリート族の末裔だし、特徴的な赤毛もしっかり受け継いだ。だから例外なく差別もされてきた。そのせいか〝普通に生活がしたい〟という彼女の平凡な願いに共感したのかもしれない。


「あんたの願い、俺が手伝うよ」

「えっ?」


 彼女は驚いて声を裏返した。まさかそんな誘いを受けるとは思わなかったらしく、驚倒の表情に戸惑いを滲ませた。


「普通の生活がしたいって。それ、俺も小さい頃からずっと叶えたいって思ってた願いなんだ」


 そういう俺の顔を、彼女は興味深げに覗き込む。目が合った瞬間に彼女は覚ったらしく、ハッと目を見開いていた。


「緋色の瞳……あなた【謌人ソニド】なのね」


 彼女の問いに、俺は小さくうなづいた。

 リート族の中でも極稀に、自然界の響音ではなく自らの体内で響音ラドを生み出し、古語を使わず精神のみで唱術を操る〝謌人ソニド〟と呼ばれる者が生まれる。特徴である赤毛の外に瞳が緋色になるのだが、俺の瞳は紛れもなく緋色だった。


「これのせいで色々面倒なこととかいっぱいあったからさ」

謌人ソニドの力をもってすれば、一国など一夜にして滅ぶ。そんな記述が古文書には多く残っているから、人々が恐れるのも無理はないよね。でも」


 そう言うと、彼女は俺の胸の辺りにそっと手を当てた。


「あなたの力は、まだ目覚めてないよね?」

「へぇ、よくわかったな」


 謌人ソニドとしての特徴を持ってはいたが、俺の力は至って普通。唱術もそれほど上手く扱えるわけでもないし、学園内に行けば優れた術者など大勢いた。


「俺のジイちゃんが言うには〝眠ってるだけだ〟って言うんだけどさ」

「うん、多分その通りだと思う。あなたの響音はとても穏やかだから」


 と、彼女は不意に微笑みかける。その仕草に思わずドキッとしてしまい、照れくさくなって視線を泳がせた。


「えっと、その。俺とあんたって状況が少し似てるからさ。何か協力できたらって思ったんだ」

「でも、私は」


 そう言いかけた彼女の言葉を遮るように、頭上を飛んでいく戦闘艇の飛行音が響く。俺と彼女はそれを見上げ、苦々しい表情でそれを見つめていた。


「ずっと戦争が続いてて、普通の生活なんてほど遠いけど。一緒に来れば、少しは普通の生活ができると思うよ」


 と、後部席をポンと叩く。彼女は不思議そうに首を傾げた。


「あんたは逃げたいんだろ?」

「うん。できれば光の園の目が届かない所にね」

「でも、選択肢はそれだけじゃない。誰かにかくまってもらうっていう選択肢もあるだろ?」


 ようやく言葉の意図がわかったらしく、彼女は慌てて首を横に振った。


「そんなこと出来ないよっ。見つかったらあなたに迷惑がかかるもの」

「見つからなきゃいいんだろ?」


 そんな答えは彼女の予想内にはなかったらしく、しれっと言い放った俺をみて目を丸くしていたが、それが次第におかしくなったのかフッと吹き出した。


「俺、変なこと言った?」

「ううん。確かに、見つからなきゃいいのよね」

「そう、そう。だから、俺と一緒に来ないか? 一人きりよりはマシだろ?」

「ふふっ、ありがとう。でも、気持ちだけで十分だから。私に関わらない方が」


 そう言いかける彼女の言葉を遮るように、俺は彼女の腕を掴んだ。予測していなかった行動に驚き、彼女はビクリと肩を跳ね上がらせた。


「他人の好意くらい素直に受け取ったら?」

「だって、私は禁書なんだよ? あなたに頼れば必ず……怖くないの?」


 この先に待ち構えている結末と俺の身を案じて、彼女は念を押すように訊ねた。

 怖くないのか──拘束されるか、或いは刑に服すか。この結末に恐れを抱かないのかと言われれば、おそらくその状況に直面すれば恐れを抱くのかもしれない。けれど今は怖いと断定できるだけの要素が目の前に提示されていないから、はっきりしたことはわからない。だから、今俺を突き動かしているのは彼女に協力したいか否かだった。


「俺は、目の前にあることを優先させるさ」

「犯罪者になるかもしれないのに、よく平気だね」


 怖気づくどころか一歩も譲らない姿勢に、彼女は呆れたように苦笑いを返した。


「見つからなければ犯罪者にもならないよ」

「それ、凄く悪い台詞に聞こえるよ」

「お褒め頂き光栄です。それで? 一緒に来る? 来ない?」


 俺は彼女に手を差し出した。

 差し伸べた手を彼女が取れば、彼女に自由を与えることと引き換えに書人リヴルを匿う罪を背負うことになる。けれどその答えに迷いはなかったし、この行動が罪であるとも思えなかった。むしろ、刺激的で危険を含んだ新たな生活がスタートすることに胸の高鳴りさえ覚えていた。


「一緒に行ってもいいの?」

「俺さ、あんたと同じで両親がいないんだ。だから、他の人と違って多少は自由だよ。心配する人が少ないからさ」


 取らないのか?───問いかけるように青銀色の瞳を覗き込み、再度手を差し出した。躊躇ためらいがちに彼女は手を伸ばし、指先が触れた瞬間から思い切ったように俺の手をしっかりと掴んだ。


「そういえば名前聞いてなかったよな。俺、ロクス。あんたは?」

「ティーク」


 さっきまで警戒心を滲ませていた表情は消え、声を弾ませて答えたティークの表情からは、俺に対する警戒心は解かれていた。


「よしっ。話もまとまったことだし、そろそろ行くか」

「どこへ?」

「士官学校。一応、俺も学生だからさ」

「私を連れて行って平気なの?」


 学生ではないティークを連れて登校すれば教官達に深く追及されるのは間違いないし、ガミガミと口煩く叱る教官の姿がありありと浮かぶ。色々言われるだろうけど何とか誤魔化すから大丈夫だと言って聞かせるが、ティークは不安げに眉をひそめた。


「本当に大丈夫?」

「平気、平気。ほら、ここに居ても熱いだけだからさ。とりあえず行こう」


 まだどこか不安気なティークをエル・ロードに乗せ、一路、クライスドールへ向けて飛び立った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る