第2話「外の世界を」

「おいおい……まさかこの子、砂漠を歩いて渡って来たのか?」


 信じられんと、オヤジは声を裏返して少女の顔を覗き込んだ。


「まさか……だって、この方角から来るってことは、隣町のヴェルダか俺が住んでるオアシス近隣の村だけだ。こんな子、村でも見たことないし。そうなると、ヴェルダから歩いてきたってことになるだろ?」


「もしそうなら、相当命知らずだな。この辺を熟知した人間だって、砂漠越えにはサンドモービルかエル・ロードを使うっていうのに、それを50キロ以上離れたヴェルダから徒歩で来たとなると……」


 この華奢きゃしゃな体のどこにそんな体力が隠されているのか、そう言いたげな表情でオヤジは少女を見下ろした。


「理由はどうあれ、ちょっとヤバイな」

「とりあえず、水!」

「その前に日陰だ。屋台の陰に運ぶぞ。今の太陽の位置なら、日陰が出来てるからな」


 素早く抱きかかえると、オヤジは「急げ」と俺を急かして駆けだした。

 屋台の後尾に伸びる陰に入り、衝撃を与えないよう静かに彼女を砂の上に降ろすと、オヤジは慌てながらも手際てぎわよく、荷台に積んであった水と保冷剤として積んであった氷の欠片を用意した。

 水を飲ませようと口元へ運んでみるものの、気を失っているせいか飲ませようにも難しい。仕方なく、氷を一口大に砕いて唇に押し当ててみた。すると──


「……んっ」


 唇に触れる冷たさが彼女の意識を刺激したらしく、薄らと開いた唇から小さな吐息が零れ、閉ざされていた瞼がゆっくりと開く。長い睫毛の向こう側に見えたのは、青味がかった銀――青銀せいぎん色の瞳が俺を捉えた。


「あっ、気がついた。なぁ、大丈夫か?」

「……ここは?」


 目を覚ますなり訊ねたその言葉には、どこか不安げな色がにじんでいた。


「クライスドールの砂漠地帯だ」

「そう……よかったぁ……」

「あっ、そうだ。水、飲んだ方がいいよ」


 手にしていた氷を砂の上に放り投げると、オヤジが用意したミネラルウォーターをコップに注いで差し出す。陽射しを反射する眩い水の煌めきが瞳に映ったとたん、彼女はハッと目を開き、俺の手ごとコップを掴んで水を飲み干した。その時、俺とオヤジの視線は、彼女の手の甲に刻まれた刺青に吸い寄せられていた。


「ん? お譲さん、もしかしてこの刺青は……」

「書人?」


 オヤジが手を伸ばすと彼女はハッと目を見開き、オヤジの手から逃れるように俺にしがみついた。

 この世界には数十年、或いは数百年の間に何度も転生を繰り返し、その時の記憶を全て残したまま生まれてくる【書人リヴル】と呼ばれる者達がいる。彼らは自然に生まれたのではなく、遥か古の時代から〝人〟の手によって生み出されてきた存在だった。

 帝都には【光の園リヒト・ガーデン】と呼ばれる区域があり、代々その地を守る大巫女が、国に必要不可欠な技術と知識を持つ優れた人材だと判断した者を書人として選定し、その魂が次の時代へ転生するよう術を施していた。

 書人は総称で、細かな分類をすると【歴史書ストーリア】【禁書デファンス】の2種に分けられる。前者は研究者や学者が多く、薬学や歴史学、身近なものだと図書館司書までいる。士官学校にも光の園から講師として派遣されているし、民間人との接触も許可されている。だが後者である禁書は軍事関連の技術者が多いことから、民間人との接触は滅多に許されていないし、その姿すらお目にかかるのも難しい。


 そんな書人リヴルと一般人を見分ける方法が〝刺青〟。彼らは手の甲や腕など、体の一部に光の園の紋章が刻まれている。少女の手の甲には書人の証であるその紋章がしっかりと刻まれていた。


「あんた、書人なのか?」


 訊ねると、彼女は躊躇ためらいがちにゆっくりと首を縦に振った。


「けど、おかしいな。書人リヴル光の園リヒト・ガーデンから外出する時は、必ず護衛が付くだろ」

「あっ、そういえば。あんた、1人だよな?」


 その姿を探して砂漠を見渡した。広がっているのは見慣れた黄金色の海ばかりで、そこに人影なんてありはしなかった。


「護衛は、どうしたんだ?」


 訊ねるが、なぜか彼女は口をつぐんだ。この反応に違和感を覚えたオヤジは、訝しげに彼女の顔を覗き込んだ。


「まさか、光の園から逃げて来たのか?」


 と、顔を覗き込みながら恐る恐る口にした。

 数年前、禁書デファンスが民間人の男と駆落ちをして光の園リヒト・ガーデンを脱走するという事件があった。その逃亡を手助けし身を匿った酒場の店主が光の園に身柄を拘束され、1年以上も刑に服したという前例がある。この状況で彼女の脱走を知らせずに見逃せば刑は免れない。


「まさか、本当に……?」


 すると彼女は勢いよく起き上がり、誤解だと必死に首を横に振った。


「そんな、まさかっ。ここに来る途中で、護衛隊長さんとはぐれてしまって。ここから東にあるラキナっていう村で待っていると連絡を受けたので、そこへ向かっている途中だったんです」


 それを聞いてオヤジも安心したのか、いつもの調子で笑い飛ばした。


「なんだ、そうだったのか。いやぁ、ビックリしたよ」

「あははっ、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」


 荷台に寄りかかりながら立ち上がると、彼女はフードを再びかぶった。


「助けていただいて、本当にありがとうございました。それじゃ、私は先を急ぎますので」

「えっ、そんな状態でもう行くのか? もう少し休んだ方がいいって」


 足取りも覚束ない状態では危険だと引き止めたが、彼女は平気だと言い張る。


「お水を貰っただけで十分だから。大丈夫、こう見えても砂漠越えは慣れてるの」


 と、声を弾ませながら満面の笑みを返した。これにはさすがのオヤジも心配そう。どう見ても大丈夫そうには見えなかった。


「本当に大丈夫なのかい? よかったら、近くまで送ってやるぞ?」

「いえいえっ、お気遣いなく。それじゃ、失礼します」


 深々と頭を下げて礼を言うと、彼女は再び歩き出した。数メートルほど元気な様子で歩いていたのが、すでに足取りは覚束ない。フラフラと蛇行しているし、砂に足を取られて躓きそう。危なっかしい後ろ姿を見ていた俺とオヤジは、顔を見合わせて溜息をついた。


「ロクス、本当に大丈夫だと思うか?」

「いや、思えないな。また途中で倒れる可能性は十分に高い」


 いや、それも心配の一つではあったが、俺が気になるのはそっちじゃない。

 どう見ても、怪しい。護衛とはぐれて待ち合わせなんてあり得るのだろうか。

 光の園リヒト・ガーデンを守る軍人は屈強揃いと有名だ。たかが書人リヴル1人を護衛するだけなのに、途中ではぐれるなんてヘマをするだろうか。どうにも怪しい匂いがしてならない。


「オジさん。俺、心配だから送ってくる」

「あぁ、そうしてやれ。オレも見ていて心配になる」


 オヤジにお別れを告げ、すぐさま彼女の後を追った。

 エル・ロードを超低速に保ちながら隣に並ぶと、彼女はフードの下から少しだけ顔を覗かせて俺を見上げた。


「やっぱり、心配だから送ってくよ。後ろ、乗ったら?」

「ありがとう。でも、本当に大丈夫だから。さっきお水飲んだから、元気になったよ」

「その割にはフラフラだけど?」


 と、力の抜けるような足元を指差した。言われるがまま足元を見下ろした彼女は、本当だねと苦笑いを浮かべた。

 俺は彼女の前に回り込んでエル・ロードを停車させると、それ以上歩けないよう行く手を遮った。


「あんたさ、さっき護衛と待ち合わせをしてるって言ってたよな? あれ、嘘だろ」


 その問いに、彼女は一瞬驚いたような表情を見せる。だが、すぐにそれを隠すようにニコッと笑って小首を傾げた。


「嘘じゃないよ? 本当に待ち合わせをしてて」

「俺、士官学校に通ってて、そこにも書人リヴルが講師として何人か来てる。けど、講義中を含め教室移動の際も、護衛の軍人は1度たりとも書人から離れることはない。はぐれるなんて、そんなヘマするわけがないだろ」


 反論できないのか、彼女は言葉に困って気まずそうに上目遣い。追い打ちをかけるようにぐっと顔を近づけてやると、眉尻を下げて後ずさる。


「待ち合わせは、本当なんだけど……」

「本当か? かなり怪しいんだよな」


 疑いの眼差しを向けられた彼女は、とうとう諦めたのか深めの溜息をついた。


「……わかったわ、正直に言う。護衛と待ち合わせなんてしてないの。それに、さっきのおじさんが言っていた通り。私、光の園リヒト・ガーデンから逃げ出してきたの」

「えっ!」


 疑ってはいたが、まさか本当だったとは。本格的にマズイような気がしてきた。


「それ、マズいんじゃないのか?」

「多分、光の園リヒト・ガーデンは血眼になって私を探してると思う。私には外出の許可は与えられてないから」


 その何気ない発言にハッとした。


「ちょっと待て。歴史書だと外出許可は出るし、それほど不自由じゃないって……もしかして、あんたって歴史書じゃないのか?」


 一瞬の沈黙を置いてから、彼女は気まずそうに苦笑いを浮かべる。何となく嫌な予感がした俺は、つられるように苦笑いを返した。


「……禁書デファンス、なの」

禁書デファンス……!」


 どうやら話はあらぬ方向に向いてきたらしい。歴史書ストーリアならともかく、相手は関ると非常に厄介な禁書デファンス。今後の行動一つで事態は悪化し兼ねない。


「なぁ、やっぱり光の園に戻った方がいいんじゃないのか?」

「……本当は、そうなんだけどね。でも」


 歯切れの悪い返事を返すと、彼女は悲しげな笑顔を浮かべて視線を外した。


「もう少し外の世界を見ていたいの」


 話によると、彼女は書人になってから転生する度に幽閉され続ける人生を送り、ここ数百年は外の世界を知らないという。基本的に禁書は外出を禁じられ、民間人との接触も極力避けられていると聞いてはいたが、まさかここまでだったとは驚きだ。知識と技術が外部に漏れないように光の園が対策を取っているのだろうが、少々やり過ぎにも感じる。


「数百年か。そんな気が遠くなるような長い時間を光の園リヒト・ガーデンの中で過ごしてきたら、逃げ出したくもなるよな。けど、どうしてそこまでして光の園はあんたを幽閉してたんだ?」

「えっと、それは……」


 彼女はとたんに口籠くちごもる。おそらく自分のことを語らないよう、光の園リヒト・ガーデンの巫女達に口止めでもされているのだろう。互いの身を守る上でも、あまり詳しいことは詮索しないほうがいいかもしれない。


「まぁ、理由を聞いたところで、逃げてきたって事実は変わらないか。それで? あんたは逃げて何がしたかったんだ? 親の所にでも行くのか?」


 その問いに、彼女は寂しそうに笑って首を横に振った。


「両親はいないわ。小さい頃に亡くなったから」

「そっか、帰る場所はないってことか」

「あっ、心配しないでね。帰る場所なんて無くても大丈夫。生きていく術なら、ここにたくさん記録されているから」


 無理に笑って、彼女は自らのこめかみにそっと触れた。

 書人は転生する前の記憶を失うことなく生まれ変わる。外見は華奢きゃしゃな少女であっても、中身は様々な時代を生き、数百年以上の間に渡って得た膨大な知識が詰まっている。きっと、俺なんかが心配しなくても彼女はどんな敵に追われようとも逃げ切ることが出来るのだろう。


「私ね、普通に生活がしたかったの」

「普通に?」

「特別なことは望まない。学校へ行ったり、好きな人の話をしたり、家の手伝いをしたり。どこにでもあるような普通のことがしたいの。書人リヴルじゃなくて、普通の女の子として」


 その言葉が、不思議なくらい心の中にスーッと溶けていくのを感じた。

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