流転のイストリア~不死の書人(リヴル)と赤毛の謌人(ソニド)~

野口祐加

第1話「黄金の砂漠、白金の迷い人」

 灼熱の陽射しは、太陽が天高く上昇すると共に熱を増す。

 ジリジリと照りつける音が聞こえそうな黄金の砂漠のど真ん中、地上から2メートルほどの上空を自動飛行二輪車【エル・ロード】で走り、その地帯の制限速度を10キロほど超過しながらクライスドールの街にある士官学校【クライスドール皇立学園】へ向かっていた。


「あー……やっぱり間に合いそうにないな」


 左手首にはめた腕時計で時間を確認しつつ、地平線の向こう側に薄らと見え始めたクライスドールの街を見つめた。

 すでに時計は午前11時を示している。一時間目の授業開始時刻はとうに過ぎているし、どんなに急いだところで到底間に合うはずもなかった。いや、はなから間に合わせる気が無いのはいつものこと。内心、少しも焦ってはいなかった。


「まぁ、今日の一時間目はガルデル教官の実技訓練だし。小言なら後で聞けばいいさ」


 叱られ癖がついた俺同様に、担当であるガルデル教官もまた叱りぐせがついているはず。きっと「またいつものことか」と、怒りの度合も多少は弱まるはずだと勝手に解釈。こうなると、尚更急ぐ気にはならない。


「どうせ遅れるなら、とことん遅れてやるか」


 エル・ロードの速度を落としながらポケットに手を突っ込む。

 最近買い換えたばかりの新型モデル音楽拡声器【フォノ】を取り出し、両耳に装着して再生ボタンを押す。アップテンポのメロディーが流れ出すと同時に、再びエル・ロードの速度を上げた。

 鼻歌混じりに走行していると、見覚えのある屋台が前方に見える──気がついた時には既に屋台の頭上を飛び越えてしまった。慌ててブレーキをかけ、ゆっくりと旋回せんかいしながら引き返して屋台の前に降り立った。


「オジさん、久し振り」

「おー、ロクスじゃねぇか」


 砂漠を越える移動屋台のオヤジは、俺の顔を見るなり声を上げた。

 エル・ロードを停めて砂地に降りた俺は、オヤジのもとへ駆け寄る。久し振りの再会を喜ぶオヤジは、少し見ない内に背が伸びたんじゃないかと、グローブのように大きくゴツゴツした手で俺の頭を撫でた。


「元気そうだなぁ。相変わらずサボリか?」

「まぁね」


 と、胸を張る。堂々と言い切った姿が壺だったのか、オヤジはガハハと豪快に笑い飛ばした。


「おいおい、自慢げに言うことじゃねぇだろ。そんなことで卒業できるのか?」

「んー、何とかなると思う」

「はぁ、余裕だな。授業はサボるし、耳はピアスだらけで髪は真っ赤だが、ロクスは見かけに寄らず出来物なのが不思議だよ。はははっ」


 〝見かけに寄らず〟というのがどうも気に食わず、ニヤリと笑いながらオヤジの腕を軽く叩いた。


「オジさん、人は見かけで判断しちゃいけないだろ。まぁピアスはともかく、赤毛は生まれつきだし」

「ははっ、そうだったな」

「そういえば、最近この辺で見かけなかったけど、どこ回ってたんだ?」

「ベルクウェンド地方の商業都市を回ってたんだ。依頼が入ってちまってな」


 オヤジは半身だけ振り返り、屋台に乗せている木箱を掌で叩いた。

 砂漠を越える者にとってオアシス的存在である移動屋台で販売されているのは、水や肉の燻製、ドライフルーツなど保存のきく物が大半を占めているが、時々、他国でしか入手できないような珍品を扱っていたりする。

 移動屋台で生計を立てている者は国籍を持たない根なし草で、中立な立場を保つ商人であることから国内外の出入りが比較的自由。そのため、特定の依頼を受けて他国から商品を仕入れる場合が時々あるらしい。


「ベルクウェンドって、ここから500キロも南だよな。大変だな、移動屋台も」

「まぁな。けど、おかげでいい買い物ができたんだ」


 そう言うと、オヤジは「待てよ」と俺の鼻先に手を突き付けて会話を中断。木箱のふたを開け、中から褐色かっしょくの紙袋を取り出した。


「あっ、この匂い」


 紙袋からいぶされた香りがかすかに染み出すのをぎ取った俺は、思わずニッと笑みをこぼした。


「今日ロクスに会えるような気がしたからな。今朝、大急ぎで作ったんだぞ」


 紙袋を受け取り、すぐさま封を切る。油が紙袋ににじまないよう小さな木の箱に納められていたのは、こんがりと黄金色に色づいたチーズ。


「ベルクウェンド産のチーズで作った燻製くんせいだ。味は格別だぞ」

「うわっ、マジで嬉しいよ。ありがとう」


 料金を払おうとカバンに手を突っ込むが、財布を取り出す前にオヤジの手がそれを制止した。


「あぁー、金ならいらねぇぞ」

「いや、でもさ」

「遠慮すんな。そんなことより、行かなくていいのか?」


 オヤジは俺の腕時計を指さす。オヤジなりに焦らせるつもりだったのだろうが、時刻を知ってしまったら尚更急ぐ気にもならなくなって、すでにあきらめの態勢に入ってしまう。


「平気だよ、堂々と遅刻するからさ」

「まったく。それで首席なんだから、おかしな話だな」


 一体どこにそんな余裕があるのか理解出来ないと、オヤジはどこか腑に落ちないような笑みを浮かべて顎髭あごひげでる。このガキはどうしたものかと少々呆れた様子を見せていたのだが、不意にオヤジの視線が俺かられた。

 その視線の先には、エルメナートの軍隊と戦車が長い列を成して砂漠を移動しているのが見えた。


「また、戦地に行くんだな」

「あぁ。ここ最近じゃ、あんな光景も珍しくないな」


 今から半年前――このエルメナート皇国と敵対しているガルード帝国が宣戦を布告。前皇帝ガルハが病床に倒れる前は冷戦状態が続いていたのだが、第三皇子のイリアスが皇帝に代わって政治を取り仕切るようになり、宣戦布告をした直後からは、エルメナートの町々は急激な速度で制圧され始めた。目的はエルメナートに点在する豊富な資源【新月樹しんげつじゅ】だ。


 新月樹は世界各地に自生する巨木なのだが、この樹が実らせる種は【新月鉱しんげつこう】と呼ばれ、一見するとエメラルドやサファイアのような鉱石と見間違うほど美しい種を付ける。その種には【響音ラド】と呼ばれる特殊な力が凝縮されていて、あらゆるもののエネルギーとして利用されていた。俺が乗っているエル・ロードを始め、戦車やサンド・モービルの動力源だったり、身近なものだと夜の町を照らす街灯にさえ使用されていた。


「ガルードにも新月樹なんていっぱいあるだろ。どうして他国のものまで欲しがるんだよ」

「そりゃ、新月樹の保有力が国の発展を左右すると言っても過言じゃねぇからな」

「まぁ確かに、エルメナートは他国と比べて新月樹が多いけどさ」

「それにエルメナートには、創世新月樹そうせいしんげつじゅっていう世界最大の樹があるからな。敵さんはそいつが欲しいんだろうよ」


 理屈はわかるが、どうにも理解したくない。新月樹しんげつじゅが欲しいなら植樹して増やすとか、分けて下さいって申し出るとか。戦わずして得られる方法などいくらでも考えられるはずなのに。


「こんな戦争、早く終わってほしいよ」

「そうだな。長く続けば、お前にも出番が回ってくる可能性もあるからな」


 俺は小さく頷いた。士官学校に通っている以上、その可能性はゼロではない。自らこの道を選んだとは言っても、戦場に向かう覚悟があるかと問われると、正直言って頷ける自信がなかった。


「まぁ、その時になったら覚悟を決めるよ」

「あぁ……」


 と、オヤジはなぜか空返事。妙に思って見上げると、オヤジは顰めっ面で砂漠の景色に目をらしていた。


「オジさん?」

「あれは……人か?」


 と、オヤジは俺の後方を指さしながら訊ねた。

 何を目の当たりにしてその質問が出てきたのか。この暑さで幻覚でも見たか、或いは横切ったトカゲが人の形に見えたのでは? そう怪訝に思いながらも振り返って確かめた。

 ゆらゆら揺れる陽炎かげろうの向こう側に薄らと何かが見える。照りつける陽射しが眩し過ぎるあまりはっきりとは確認できないが〝おそらく人だろう〟と判断できる程度だった。


 目の上に手を翳して陽射しを遮り、二人で顰めっ面のまま見据えていたその時──


『あっ!』


 俺とオヤジは驚いて思わず声を揃えた。陽炎かげろうの向こう側に見えた影が〝人〟であると認識できた矢先、その者は陽炎の波に飛び込むように黄金の砂の上に倒れ込んだ。

 ほんの一瞬、状況が理解できなくなって顔を見交わし、数秒の間を経て事の重大さに気づく。理解できたとたん、慌てて駆け出した。


「おい、大丈夫かっ!」


 ぐったりと横たわるその者を、俺は慌てて抱き起した。

 布越しにつかんだ肩は想像していた以上に細く、体も容易に抱き起こせるほど軽い。砂漠を越える者とは思えない体格に戸惑いながら、姿をおおかくしている白いローブを少し乱暴にいだ。


 頭上から照りつける熱さも額や背中にじわりとにじむ汗の感覚さえも忘れてしまうほど、俺はその姿に一瞬で惹きつけられた。

 華奢きゃしゃな体と手足、透き通るように白い肌、陽の光に煌く白金色の長い髪。

 年齢は俺と同じくらいだろうか。白いローブの下に隠れていたのが、砂漠という過酷な場所には不似合いな少女であることにも驚かされた。だが、それにも増して彼女の白さが強烈に瞳の奥に焼き付いて、衝撃にも似た感情が肌の上をスーッとなぞっていくような感覚を味わった。

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