12.共犯者の愛情

 朝。翠は起床して人員点検までのあいだに、部屋の掃除をしているところだった。

 ふと窓の外を見ると、


「雪だ」


 チラチラと揺れながら落ちる影。積もることなく溶けて消えていきそうな様子だが。しかし確かに存在している白い雪。

 当然窓は開かないので、手に取って確かめることはできない。

 それでも翠は、かつて慣れ親しんだ冷たさを思い出して小さく震えた。


「横須賀で降るんじゃ、青梅は今頃すごいんだろうな」






 朝。冬だというのに着流しの重黒木が身震いしながら庭に降りると。

 パラパラ雪が顔に肩に。


「あぁ、雪になったか」


 呟く自分の息が白いのを眺めた彼の目は、自然に門へ流れていく。

 そのまま、足もそちらへ。



 門の前に立った重黒木は、その向こう側を少し想像した。


 まぁさすがに、そんなことはないだろうけど。


 彼は門の錠前を外し、開こうとして、しばらく目を閉じ動きを止めた。

 逡巡するように、気持ちを整理するように。


「……」


 やがてゆっくり目を開くと。愛おしいものを撫でるような優しい手付きで、門を手前に引く。

 その向こうにいたのは、


「どぉも」

「まだいた……、



 いや、増えてる」



「おはようございます」

「はじめまして」

「門前、お借りしました」

「失礼しました」


 そこには高千穂の他に松実、宮沢、咲良、科研の青年。毛布にくるまり仲よく並んでいた。

 側にはコーヒーでも入っていそうな大型保温ポットが三つ四つ。


 まだいる、なんてこと、ないと思ったのにな。


「随分とまぁ、熱心だね」


 重黒木が感心しているのか呆れているのか読めない無表情でいると。

 対照的に高千穂は、一晩経っても。

 寒い青梅の夜でも冷めない強さで真っ直ぐ貫く。


「それだけのものが、この事件にはかかっています」

「……僕に聞くより捜査を進めた方がいいと言ったのに。君はどうしても僕から聞きたいらしい。どうしてかな」


 問われて彼女は、周囲の仲間たちを見回す。


「この事件は、東郷さんの思い。先輩の思い。捜査に協力してくれたこの子たちや、たくさんの人々の思いが重なっています。そのなかで重黒木さん。あなたの思いだけ置いていくわけにはいかないのです。あなたも本当は黙っていたくはないはずです。今が、あなたが東郷さんの名誉を守ってあげられる最後のチャンスです。お願いします」

「お願いします!」

「お願いします!」

「お願いします」

「お願いします!」


 五人から頭を下げられた彼は、居心地悪そうに頭を掻いていたが。

 ややあって着流しの懐に手を突っ込んだ。

 中から一枚の紙と鍵を取り出す。


「これ」


 彼はそれを高千穂の方へ突き出す。

 彼女は少し重黒木の目を見つめてから、それをしっかり受け取った。

 そしてもらったものに視線を落とす。


「こちらは」

「この住所が湘南の別荘、こっちがその合鍵だよ」

「……ありがとうございます」


 高千穂がもう一度真っ直ぐ目を合わせると、彼は久しぶりに穏やかな笑顔を見せた。


「礼を言うのは、僕の方かもしれないから」


 彼女も黙って大きく頷くと、青年の方を振り返る。


「ねぇ君、あの車……」

「えっ、僕もういい加減帰って寝たいんですが……。ていうか仕事あるし」

「じゃあ借りるだけ。運転は自分でする」

「それだと僕、どうやって帰ったら」

「男がここまできてガタガタ抜かすんじゃねぇよ! おら! 最後まで付き合うんだよ!」


 哀れ青年、咲良ヤンキーの本領発揮で運転席へ追いやられていく。


「そもそも僕は鹿賀先生が帰してくれないから一晩中……!」

「じゃあ私が返さなきゃまだ残るんだな?」

「道路交通法における安全運転義務違反もしくは過労運転ーっ!!」


 座席へ押し込められた彼を見た宮沢が、松実をチラッと見て呟く。


「扱いはどこも同じなんだなぁ」


 松実はあえてそれを無視して高千穂に話を振る。


「千中さん! 急ぎましょう! 仁科鉄雄逮捕はすぐそこです!」

「そうだね。ここが正念場、松実ちゃんも寝てないけどがんばってね。宮沢くんは帰ってもいいよ」

「えっ、急に薄情……?」


 当惑する宮沢を無視して、彼女は冷え切った両手に息を吹き掛ける。

 そのまま鼻と口元を覆った。


「この事件は、たくさんの人の心を縛りすぎている。だからもう、終わらせに行こうか。なんたって私は……、


 尽くすか尽くされるかって言われたら。それ以前にお互いの魂が自由であるべきだと思ってる人間だからね」

「やっぱり意味が分かりません」

「尽くさないタイプなのは分かります」






 哀れ青年は助手席から咲良に見張られ、車を運転している。

 その後部座席で松実は高千穂に話し掛ける。


「でも千中さん。重黒木爽は捕まえなくていいんですか?」

「ねぇ誰かモバイルバッテリー持ってない? 充電死にそうなんだけど」

「千中さん!」


 松実が大声を出すと、彼女はようやくそちらを向いた。

 そのあいだに宮沢が、スマホを自分のモバイルバッテリーに繋いでやる。


「まぁ、逃げやしないでしょ」


 高千穂は混じりに答える。


「えぇ? 共犯者仁科鉄雄を売った男ですよ!? そんな誠実な振る舞いしますか? そもそも殺人犯を『逃げないから放置』だなんて」

「彼は殺してなんかないよ」

「えっ?」


 小さい脳みそがフリーズしたので、宮沢が話を引き継ぐ。


「では殺人幇助ほうじょですか?」

「そんなこともしてない」

「じゃあなんですか? ていうかそもそも、彼は共犯者だから訪問したんですよね?」


 眠気を振り払いたいのか、単純に前の座席だからか。青年が大きな声で話に入ってくる。

 それに対して高千穂は、あまり大きい声は出さない。


「えーと、うふふ。まぁ、共犯者は共犯者かな?」


 そのセリフに松実が腕を組む。


「さっきから要領得ない返事ですね。寝てないからおかしくなってます?」

「むしろハイになってくる時間帯かな。九時過ぎくらいからかも」

「怖いな……」


 宮沢が若干引いている横で、同じくハイになっているのか松実がまた大声を出す。


「じゃあはっきり聞きますけど、重黒木爽は何をしたんですか!?」


 彼女はフッと微笑むと、窓の外へ視線を投げてしまった。


「彼は、約束を守ってただけだよ」


 これ以上は答えないという態度である。

 松実が「こりゃダメだ」と首を捻ると、運転席から青年の声が飛ぶ。


「もうすぐ高速入りますけど、そのまえになんか要望ありますか?」

「はいはいはい!」


 重要なことは教えてくれないのに、高千穂は大声で手を上げる。


「昨日一晩中門前だったから銭湯寄りたいです! あとコンビニで歯ブラシと歯磨き粉買おう」

「そしたら化粧どうすんの」

「あっ」


 咲良の冷静な一言(というか女性として思い至らない彼女が致命的なのか)。

 言葉を失った高千穂は、ややあって媚びるような声を絞り出した。


「私の家、寄ってくれない?」

「自分だけ許されるわけないでしょ!? 急ぎますよ!!」


 松実が制すると車内に、


「男のくせに器が小さいんだよ!」

「今小さいって言った!?」


 レベルの低い言い合いが響き渡った。






 なんだかんだ言い合ったり。逆に徹夜が祟って力尽きかけたり。歯を磨いて朝食を食べたり。結局銭湯には入れなかったりしているうちに、


『目的地周辺です』

「あぁ~着いたぁ~……」

「運転お疲れさま」

「千中さん! 着きましたよ! 起きてください!」

「うるさいんだよ……」


 一行は湘南に到着した。降車すると目の前には。

 賑やかな街と美しいビーチを一望できる高台。地中海風で白亜の壁が美しい別荘が佇んでいる。

 太平洋側だけあって青梅よりは断然温暖。

 それでも吹いてくる海風は冷たく、夏の別荘地をイメージさせるとともに。

 この先に待ち受けるものを想像させる。


「ここに仁科鉄雄が……」

「千中さん。今頃ですが、応援を呼ばなくて大丈夫だったのでしょうか。相手は一人とは言え凶悪犯。我々三人だけで制圧することになります」

「大丈夫。こちらには警視を三人埋めた鹿賀先生がおられる」

「その噂本当なんですか?」

「んなわけないでしょ。四人だよ」


 真剣なのかどうなのか分からない会話をしているあいだに。

 青年は広い後部座席の方へ移っている。


「僕はここで待ってます……。どうせ帰りも運転しなきゃいけないので、ちょっと寝ます……」

「おうお疲れ」

「雑な扱いだねぇ」

「千中さんが言えることじゃないですよ」

「さて、雑談はこの辺にしようか」

「逃げた!」


 まぁ逃げたわけではないのだろうが。高千穂は松実を無視して、西洋風のゲートへ。取り付けられたインターホンを押す。

 するとすぐに玄関のドアが開いて、中から女性が一人出てきた。

 重黒木宅にいたのとは違う人物だが、こちらもハウスキーパー風。

 小走りでゲートまで来て頭を下げる。


「警察の方ですね。お話は伺っております」


 彼女はゲートを開けて、一行を招き入れる。


「今はバルコニーにいらっしゃいます」






 一行が玄関をくぐると、そこは広い吹き抜けのエントランスになっていた。

 あちこちに花瓶や彫刻、絵なんかも飾ってある。


「うわぁ、すごいなぁ」

「松実ちゃんキョロキョロしないの」

「こちらでございます」


 ハウスキーパーに先導されて高千穂が続き、松実、宮沢、咲良と列になる。


「こちらのドアの向こうが、バルコニーでございます」


 彼女が手で指すと、高千穂は大きく頷く。

 豪奢な飾りの両開きドアに手をかけると、そっと押し開いた。

 海風がザアッと流れ込んでくる。カーテンがブワッと靡く。

 その向こうにいたのは、



「あら、どちらさま?」



「えっ!?」

「どういうことだ……?」


「誰? 蒼ちゃん?」


 その声の主は、こちらが誰か分かっていない。目が見えていないようだ。

 高千穂はゆっくり、慈しむように口を開いた。


「……蒼さんではありません」


 目が見えない代わりに、その人物は耳がいいらしい。

 それは『音に対する記憶』という意味でも。

 そんな耳は、素早く聞き覚えのある声を検索したようだ。


「その声……、高千穂ちゃん?」

「はい。先輩の事件以来ですね」


 海風が相手の長い髪を靡かせる。白雪のような肌がよく映える黒髪。



「小弦さん」

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