10.血の痕をたどって

 高千穂が指差す先には、


「見てよここ、タンスの角」

「ん? なんですかこれ? シミですか?」


 白木のタンスに、不自然な黒っぽいものが。


「シミ……なんのシミ……、ねぇ松実ちゃん」

「なんでしょう」


 彼女は何がおもしろいのか、いつものニヤニヤ顔を浮かべている。


「これ、血痕に見えない?」

「えっ!?」


 高千に穂は四つ葉のクローバーにでも見えているのか。うれしそうにシミを眺める。


「みんな松実ちゃんみたいに考えて、細かく室内を調べはしなかったんだね。だからこういう小さいのは見落としたんだ」

「はぇー」

「これが血痕かどうか調べてもらおう。そうだったら一応誰の血液かも。被害者の血液なら、屋外だと思われていた犯行現場が実は違っていたことになる」

「分かりました! すぐに鑑識へ連絡します!」

「さてと」


 しゃがんでいた高千穂はようやく腰を上げる。


「鑑識来るまで、暖房効いた部屋で待つかな」

「そうしましょう」

「君は他に何か痕跡がないか探すんだよ」






 高千穂たちはまたも科研、それも松実にとっては

 咲良のデスクで結果待ちをしている。


「なんでここなんですか……」

「そりゃ鑑識によると結果はバッチリ血痕。DNA検査は科研に回ったからでしょ」

「そうじゃなくて、どうして待機場所が鹿賀先生のところなんですか!」

「あ? なんだオメェ。嫌か? 嫌なのか? ああん?」

「助けて千中さん!」


 松実が素早く足を払われ、スピニング・トーホールドで悲鳴を上げる。しかしセコンドが助けカットに入る気配はない。


「薬とかビーカー倒して怪我しないようにねー」


 彼女はまたデスクに写真を広げている。


「あああああまた写真!?」

「何か気になんの?」


 咲良は獲物をにさせて、テキサスクローバーホールドに移行。で高千穂へ声を掛ける。

 彼女は近眼かのような至近距離で写真を見つめたまま呟く。


「んー、二、三」

「というと?」


 高千穂は一枚の写真を指差す。

 しかしテキサスっている咲良からは角度的に何も見えない。松実はようやく解放された。

 彼も痛みでうまく動かない足を動かしながら、デスクへ寄ってくる。

 二人が写真を見られる位置に来たところで、高千穂もようやく話を進める。


「一つ目。身元が分かる遺留品が落ちていた」

「え? 変ですか? 前に現場で見た時はスルーしてたのに」


 松実の抜けているのか鋭いのか分からない指摘に、彼女もゆっくり上体を起こす。


「変ではないよ。ただ、身元が割れた遺留品は『落ちていた財布の中身』。だったよね?」

「はい」

「財布は普通、簡単に落とさないようカバンかポケット深くに入れておくはず。それこそ強くとしても大丈夫なように。なのに財布を落とした。なかなかめずらしいね」

「はぁ」


 そこで高千穂は一度、口から深く息を吸う。そしてデスクに肘を突き、その手で口元を軽く覆う。


「……焼死体の近くにさ。に身元が分かる遺留品が落ちて、いや、置いてある。これってさぁ」

「焼身自殺みたいだね」

「ひゅっ」


 咲良はマグカップにコーヒーを入れながら。サラッと言葉を繋いだが、松実は衝撃で喉が鳴る。

 高千穂は感情がない様子で話を続ける。


「そのとおり。そのうえ犯人によって遺留品が回収されていないというのは……。仁科鉄雄は遺体の身元が判明しないと困るようなことがあった?」

「そんなことは本人捕まえて聞き出せば分かります」

「二つ目は?」


 首を傾げる高千穂だが、松実は身も蓋もないし咲良も先を促してくる。

 結局、分からないことに頓着しても仕方ないと判断したのか。

 彼女も別の写真を指差した。


「この写真見てよ」

「足跡の写真?」


 それは犯人が残して行ったとされる、三筋の足跡。


「これさ。山を降りる足跡が二つ、現場に引き返してくる足跡が一つあるんだけどさ。引き返す方見てくれる?」

「はいはい。これが何か?」

くだりと比べて」

「はい?」


 写真を覗き込む松実と咲良。松実の方はいまいち要領を得ていないようだが。

 咲良は少し黙って上体を起こしてから


「……歩幅?」


 高千穂の方へ視線を向ける。

 彼女が大きく頷いたので、松実も同じポイントに注目する。


「確かに、下りに比べてやたら広いですね」

「足跡の蹴り具合からも全力疾走って感じだよね」

「それが何か?」


 松実の質問に高千穂は腕を組む。


「下りは二回あったわけで。その片方は当然、この引き返してきたあとにもう一度下山したやつだ。そのうえでもう一度見比べてみると。引き返す時は時間でも気にしたのか全力疾走したのに、その帰りは急いでいない」


 しかしその意見に咲良が首を傾げる。


「でもそれって、何か証拠かを隠滅しに戻ってさ。そのあとは懸念がなくなったから、ゆっくり帰ったとかそんなんじゃね?」

「それはあるね。でも問題は歩幅じゃなくてさ」

「じゃないんかい」


 抑揚のないツッコミに、松実は「この人たちのノリが分からない」という顔をしている。


「歩幅が気になって見てたら、違うことに気付いたんだよね」

「なんでしょう」

「行きの足跡二つも、それぞれ微妙に歩幅が違うとか?」


 またも写真へ顔を寄せる咲良の後頭部へ、高千穂は声を掛ける。


「もっと根本的に。よく見てごらん、そもそも足跡の大きさ、靴底の形が違う」


 松実も慌てて写真を覗き込もうとして、咲良に押し退けられる。

 しかしチラッとは見えたようだ。


「本当だぁ!」

「てことぁ、別人、つまり共犯者がいるってこと?」

「その可能性が出てくる」

「あ! じゃあですよ!」


 松実がパンと手を叩く。


「あの防犯カメラに細工をしていた重黒木爽ですよ! やっぱりあいつは共犯者だったんだ!」

「でもそしたら、回数が合わないんだよなぁ」

「回数?」

「二人で下りて、一人で戻って……」


 高千穂はまた行き詰まり、テーブルを人差し指でトントン叩く。

 なので咲良がもう一度水を向けてやる。


「三つ目は?」

「どうして屋外に遺体を放置したのか」

「宮沢さんも言ってましたね」


 松実は対抗心か、少しおもしろくなさそうである。

 が、女性陣はスルー。おそらくこの世の誰でもスルー。


「確かに、普通なら遺体の発見を遅らせるために隠すよね」

「そしてやっぱり、小弦さんの遺体損壊させているっていうのがねぇ。あれはもう、一見しただけじゃ遺体だと分からないレベルだった。片方はそうしたのに、蒼さんまでそうしなかったのは……」

「両方遺体に見えなくすると、誰も通報したりしない。……事件について、誰かに気付いてもらう必要があった?」


 咲良の言葉に高千穂も頷く。


「松実ちゃん、通報したのは誰だっけ?」

「新聞配達の人ですね」

「うひゃー。よく『配達できません』って言われなかったね」

「鹿賀先生静かに。うん。やっぱりそうやって、数少ない来訪者が確実に通報するには。焼死体なんて知らない、素人の誰が見ても分かるレベルの。人型のブツが残ってないといけないわけだ」


 咲良はコーヒーを半分ほど飲んでから呟く。

 寒い現場の話以上に、身も凍えるような話題。

 コーヒーの湯気と香りだけが、温もりと現実感を与える。


「て言ってもさぁ? 小弦さんの方は、死体に見えないくらい細かくしたわけでしょ? DNAも破壊してある。そこまでするなら、小弦さんの死体の方は隠すもんじゃないの? ちょうどすぐそこに家もあったわけだしさ」

「それもそうだよねぇ」


 高千穂は写真の方を見たまま、咲良の手からマグカップを取り。

 残りのコーヒーを勝手に飲み干す。


「とすれば……。犯行、もしくは遺体の放置を、家の中でするわけにはいかない事情があった」

「でも千中さん、タンスの角に血痕があったんですよ?」

「うーん」

「結構まえに転んで頭打ったとかじゃね?」


 咲良が二杯目のコーヒーを入れていると、


「失礼します」


 いつかの好青年科研職員が、資料片手に入室してきた。

 空気が滞留した部屋に、外の空気と清涼な風。松実にはできない仕事である。


「結果出た?」

「出ましたよ。そこいいですか?」

「あぁどうぞどうぞ」


 高千穂が写真をデスクの端へ寄せると、青年はそこに資料を並べる。


「結論から言いますと、被害者二名どちらのDNAとも一致しませんでした」

「なんと!?」

「松実ちゃんうるさい」

「ここを見てください」


 青年は資料の一箇所を指で差す。

 そこに書いてあるのは、


「性別検査の結果です。この血液の持ち主は染色体が『XY』と出ています」

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