9.ウェルダンステーキと冷凍食品

 翌日。松実が高千穂のデスクへ向かうも不在。現場にいるとの情報もなかった。


 まさか昨日の今日で、世を儚んで失踪を!?


 焦った松実だが、科研にいるとの情報を得たので渋々そちらへ向かった。


「ここのところ会ってなかったから、精神が安定していたのに……」


 彼の脳裏に、小柄な法医学ヤンキーの姿がチラつく。






 果たして松実が科研に着くと、職員から「千中さんなら鹿賀先生のデスクです」と死刑宣告。

 自慢のメモ帳に遺書を書いてから現地へ向かうことに。


『“いつ帰る” 母のLINEに “未定”すら 返せぬ我ぞ 哀れなりけり』


 遺書と言うか辞世である。彼が絞首台(そんなわけない)に足を踏み入れると。

 そこでは咲良がパソコンに向かい、高千穂がデスクに現場の写真を広げていた。

 今日はベスパ出勤だったのだろう。彼女の頭には、久しぶりにヘルメットが装備されている。


「おや、松実ちゃん。どうしたの」

「どうしたのじゃありません! 探しましたよ?」

「で、なんの用?」


 椅子に座る二人に対して、松実は突っ立ったままメモを捲る。彼の分の椅子もないし。


「仁科鉄雄捜索について、昨日の進展のまとめです」

「『進展がなかった』っていう?」

「はい、まぁ」

「その仁科っての、見付からないね。実在してんの?」


 咲良の呟きは本気か茶化しているのか分からない。


「んー、もしかしたら幻覚かもね」

「何言ってるんですか千中さん!?」

「だってこのに防犯カメラ監視カメラがある世の中。あらゆる物資を虚空から生み出し、買い物を不要にするでもなければ。どこにも映らず誰の目にも触れず存在することは、極めて難しいんだよ?」

「確かに」

「案外下山の途中で冷凍マンモスになってたりしてな」


 咲良のジョークに笑っていいのか分からない松実は話を変える。


「でもですね千中さん! 仁科鉄雄の行方は不明ですが、あの防犯カメラの映像細工してた重黒木爽! 彼についてはおもしろいことが分かりましたよ!?」

「へぇー」


 相変わらず高千穂は彼の方を向かない。重要な報告すら、報告者が松実だとこの態度である。


「ちゃんと聞いてます!?」

「聞いてまーすー」

「なんですかその返事は! まぁいいでしょう」


 彼はメモ帳に視線を戻す。


「青梅じゅうの防犯カメラを調べて回ったところですね。事件があった翌朝から、重黒木爽が車で出掛けているのが確認されました。その後の足跡をたどってみたところ、どうやら神奈川方面に向かっていたみたいです。本人にも聴取したそうですが、なんでも湘南しょうなんに別荘があるとか」

「ふぅん」

「いかがですか?」


 彼女はさっきまでと比べたら、割と真面目な声を出す。もちろん松実の方は向かない。


「でもその翌朝。私たちが防犯カメラを見に訪問した時、重黒木さんはちゃんと家にいた。つまり、せっかく別荘へ行ったのに日帰りで戻ってきたわけだ。いったい何しに神奈川へ行ったんだろうねぇ?」


 高千穂が与えられた情報をもとに推理するので、彼は満足そうに大きく頷く。自分で稼いだ情報じゃないくせに。


「ですよね! 気になりますよね! 以上で報告を終わります! で、千中さんは科研で何してるんですか?」

「私は黒焦げ死体の解析結果を聞きがてら」


 彼女は視線をデスク上へ投げる。松実も目でそれを追い掛ける。


「写真と睨めっこですか」

「うん、そういうこと」


 高千穂が写真へ没頭してしまったので、彼は咲良の方に話し掛ける。あれだけ恐れていたくせに。


「焼死体からは何か分かりました?」

「んーとねぇ」


 彼女はパソコンの画面から目を離さず。大きく伸びをして椅子の背もたれに沈み込む。


「東郷蒼と思われていた死体。遺体の中心の方の焼け残ったDNAと、家の中に残ってた毛髪が一致したよ。あと、歯並びも行きつけの歯医者にあったデータと一致した。というわけで本人確認が取れました。なんでも寝てる時に歯を食いしばる癖があって、マウスピース作ってたみたい」

「へぇ。東郷小弦の方は?」

「そっちは頭部が残ってなかったし、DNAも完全に死んでてもうどうにも。温度が千何百とかになると壊れるからね」

「千!」


 松実が驚いた声を上げる。なんなら手の中で少しメモ帳が歪む。


「軽くおっしゃいますけど、千って相当ですよ!? そんな簡単に行きますか!?」


 しかし咲良は落ち着いた様子でコーヒーを啜る。


「市販のガスバーナーとかでも、割と簡単に千は出るよ? で、今回は現場にガソリン携行缶が落ちてたんでしょ? ガソリンならまぁ、出るでしょ」

「でも、蒼さんの方はDNA残ってたじゃないですか」

「火葬みたいに特別な設備じゃなければ。普通そのまま千度に晒されるのは体表くらいだし、すぐに放熱もする。だから東郷蒼はDNAが残った。でも東郷小弦の方はバラバラにされてたしねぇ。長時間焼かれると奥まで火が通っちゃうよ」

「そんなステーキみたいな……」

「ウェルダンだよウェルダン。サイコロステーキのウェルダン」


 彼女は意地悪く舌を突き出す。松実もステーキを食べられなくなるのは。逃げることにした。

 ずらした視線の先では、高千穂が写真相手に唸っている。


「んー……」

「ほら、千中さん! 行き詰まってるなら、鹿賀先生の邪魔してないで現場に行きましょう! ここ数日は青梅の気温は低いまま、雪は降ってないそうです。現場に行けば写真じゃなくて、本物の足跡とかが残ってますよ! 現場第一主義!」

「はいはい」

「では鹿賀先生、お疲れさまです!」


 逃げるなら一人で逃げればいいのだが、それができないのが松実である。

 誰だって子どもの頃、クラスに一人はそういう女子がいたのではないだろうか。

 まぁ『女子は群れる』なんて慣用句じみて言われつつ、そういう男子も結構いるが。






 もう何度目の登山か。

 未だ雪が溶けないので車が途中までしか入れられない。高千穂たちは現場に来るたび、大変な思いをいられる。


「私ゃこの数日で足が筋肉痛なんだよ。勘弁してほしいよ

「でもこの分だと、しばらくは雪溶けそうにないですね」

「足跡が保存されるのだけは都合いいけどさ」


 雑談をしているうちに、今度は汗が冷えてくる。

 相変わらずの格好をしている彼女はすぐに音を上げた。


「ああああ寒いぃ……。ねぇ、家の中入っていい?」


 口調は質問系ながらも、体はすでに東郷家のコテージに入ろうとしている。

 そこを松実が素早く捕まえる。


「ダメに決まってるでしょう! それじゃなんのためにここまで来たんですか! それこそしんどい山登りして、寒さに凍えて! ちゃんと現場検証してください!」

「だから東郷さん宅の現場検証をだね」

「そんなのいりませんよ! いいですか千中さん!? 遺体は外にあったんですよ?」

「家の中で殺して、外に出して燃やしただけかもしれないじゃないか」


 高千穂はまともに取り合おうとしない。気持ちは完全に暖かい室内へ。彼を振り払い、玄関のドアノブに手を掛ける。

 その腕をまた松実がつかむ。


「千中さん。被害者二人は亡くなった時に財布を落としています。家の中にいる人物が財布を手元に置いておきますか? 答えは『いいえ』です。財布を持つのは外出する時だけ! つまり被害者二人は外出時を狙われたので、犯行があったのは外! 二人の毛髪を回収した以上、もうこの家に入る理由はありません!」


 小男が「どうだ、僕の推理は!」と言わんばかりに胸を張るが。

 彼女には今一つ響いていない様子。

 というか、


「そこなんだよねぇ財布。それが少し引っ掛かって」


 なんだか思案げな顔をしている。


「財布が何か?」

「分からない?」

「ん? んー?」


 まったく分からない松実が必死に頭を捻っていると、

 その隙を突いて高千穂は家の中に入ってしまった。


「あーっ! 千中さん!」


 彼もやむなく追い掛けて玄関をくぐる。






 松実がリビングルームへ高千穂を追い掛けると。

 彼女はすでにソファへ腰を下ろしていた。


「あー、室内に入っても全然寒さがマシにならない」

「そりゃ家の断熱性も限度がありますよ」


 自分を家に入れないようにしていた人物が目の前にいるというのに。彼女の態度は太々しい。


「松実ちゃん暖房つけてよ」

「勝手にそんなことしていいんですか?」

「私が冷凍食品になったら、いったい誰が捜査するんだよ」

「はいはい。分かりましたよ」


 松実はうろうろリモコンを探し始める。


「早くしてよ松実ちゃん」

「うるさいなぁ、千中さんもリモコン探してくださいよ」


 しかし彼の要求には応えないのが高千穂クオリティ。彼女はソファからピョンと立ち上がる。


「あー、こんなのしてた方が凍えちゃうよ。松実ちゃん、リビング暖まったら呼んで」

「え、どちらへ?」

「そりゃ現場検証にいろいろ部屋を回るのさ」

「あ、本当にやるんですね」


 高千穂は廊下に向かいながら、片手をひらひら振る。


「ま、言ったからにはね。じゃ、まずは小弦さんの寝室にいるから呼びにきてね。よろしくぅ~」

「僕、誰の部屋がどことか知らないんですけど?」


 松実の言葉はもちろん黙殺される。



 数分後、松実はようやくソファの上にあるクッションの下敷きになっていたリモコンを見付けた。


「あ、こんなところに! これだったら、千中さんが探した方が早かったじゃないか」


 ぶつぶつ文句を垂れていると、


「松実ちゃーん!」


 廊下の向こうから、当の高千穂の声が響いてきた。


「どうしたんですかーっ!」


 松実も暖房をつけながら大声で答えると、


「ちょっと来てー」


 と返ってくる。


「まったく……。やっとこさ暖房入れたとこなのに」


 渋々廊下へ出ると、真っ直ぐ行った先の部屋のドアが開いている。どうやら高千穂はそこにいるようだ。

 彼は寒い廊下から逃げるようにその部屋へ入り(そうしたところで、たいして気温は改善しないが)、高千穂の後ろに立つ。


「いったいどうしたんですか? ゴキブリでも出ました?」

「そんなんじゃなくてさ」


 彼女はというと。

 しゃがみ込んで、一点を繁々と見つめている。

 そしてその一点を、ゆっくり指で差す。


「うふふ。おもしろいものが見つかったよ?」

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