3.その姿は少し寒々しい

 車が大地主でも住んでいそうな屋敷の前を過ぎると。

 それを境に人里を離れ。途中からは安全のために、タイヤチェーンまで取り出す羽目になり。それより進んだ先で、結局これ以上は(物理的にも松実の運転スキル的にも)限界だという結論に至り。

 車を諦めた高千穂と松実。

 4Kの画面越しで見るだけが唯一幸せの銀世界。エンヤコラ踏破してたどり着いたのが、東郷一家のコテージである。


「お疲れさまです」


 着膨れのうえ顔周りも重装備で、某銀河鉄道車掌のようになった宮沢。やや関節の可動域が狭い挙手の敬礼をする。捜査一課は制服の着帽がないので、そもそも慣れがなくのだが。

 というか、ニット帽における着帽判定は不明である。

 高千穂は無帽だがよく分からないので、挙手の答礼をしておく。


「お疲れ。息真っ白だね」


 彼はマフラーの僅かな隙間から、白い息を撒き散らすように周囲を見回す。


「雪は止んだとは言え。この気温、この積もり具合ですから」

「ここ本当に東京? 長野県警の所轄割ってない?」

「東京と長野は県境面してないですよ」

「それより、こちらが現場です」


 宮沢が半ば話を打ち切るように高千穂を誘導する。

 誰だってこの寒い中、で無益なことを話し込みたくない。






「これは……」


 あの車内の空気ですら饒舌な高千穂も、さすがに今度は言葉を失ったようだ。

 そこにあるのは


「真っ黒焦げです。近くに空のガソリン携行缶が落ちていました。おそらくそちらを使用したんでしょう」

「それでこのか」


 二人分の焼死体……いや、二人分らしい焼死体。

 なぜそうなるかと言えば、


「遺留品サマサマだね。これじゃ普通、誰か分かんないよ」

「まったくです」

「で、こちらが」

「はい、こちらが」



「……こっちはもっとひどいね」

「はい、焼かれたうえバラバラになってます」


 片方が正直、あまり原型を留めていないためだ。しかも明らかに人一人分も残っていない。


「配置から辛うじて人型と分かるレベルだよ。キャンパーが適当に炭捨ててったって言われたら、そうとも思える」

「女性二人を、それも相当な惨殺です」

「早く仁科鉄雄を見つけ出さないと!」


 松実は地団駄を踏む代わりのように。メモとペンを握った手を上下へ強く振る。

 高千穂は少し驚いたような顔で彼を見た。


「なんだ、もう犯人分かってるの」

「犯人って言うか容疑者ですけど。朝通報があってから、千中さんが横須賀蜻蛉返りするまで。どれだけ時間があったと思ってるんですか」


 松実は腰に手を当て鼻からため息を抜く。


「山手に入るくらいのタイミングで、大きなお屋敷があったでしょう? 和風の。そこの玄関の防犯カメラに、十六時三十三分頃。山へ行くタクシーが映っていましてね。そのタクシーの会社に連絡し、運転手を割り出し聴取した結果。男を会社から直接コテージまで乗せて行ったことが判明。更にその会社へ連絡して確認を取ったところ。その男が仁科鉄雄なる男と判明したわけです。はいこれ顔写真の写し」

「はいはいはいはい。さすが日本の警察は優秀だねぇ」

「そんな他人ごとみたいな」


 彼女は仁科の顔写真を適当に眺めただけで、松実に突き返してしまう。


「まぁ、犯人を追い掛けるのはそういうの担当に任せるとして。私たちは私たちの仕事をしようねぇ」

「捜査一課なんですから、千中さんも追い掛けるの担当してください」

「私は現場検証担当なんで」


 もちろん高千穂に話など通じない。

 困り果てた松実が宮沢の方を見ると。最初から説得する気がない彼は、黙って首を左右へ振った。

 そして高千穂はもう松実を見ていない。


「ねぇ、現場って最初の状態のままにしてある?」

「えぇ、はい」

「もう写真とか撮り終わってる? 好きに歩き回っていい?」

「いいですけど、そこの足跡」


 松実がペンで、現場から麓に向かって伸びる三筋の足跡を指す。


「そちらは犯人が残していったと思われるものなので。一応荒らさない方向でお願いします」

「あいよー。これ仏さんさぁ、どっちがどっちか分かってるの?」


 今度は宮沢が答える。


「はい。遺体の近くに財布が落ちているでしょう? その中にある免許証や保険証から割り出しました。手前が蒼さん、奥のバラバラが小弦さんです」

「ありがとう」


 彼女は片手をヒラヒラ振って礼とすると、バラバラの炭の横にしゃがみ込む。


「んーむ」

「どうしかたんですか? どっちがどっちか、そんなに重要でしたか?」

「いや、そこはどっちでもいいんだけど」


 高千穂は蒼と小弦を交互に見遣る。


「どうして小弦さんだけバラバラにされたんだろう」


 松実は思案げに首を傾げて、ペンであごを押す。


「犯人を相当怒らせたとか?」

「……まぁ、そうだよねぇ」

「引っ掛かりますか」

「んー、いや」


 高千穂はやや首を傾げながら呟く。自分で自分の言うことを、あまり信用していないような態度である。


「もしかしたらね? もしかしたら、バラバラにしなければならない理由があったのかなって」

「それって?」


 不機嫌な馬かのように首が大きく振られる。それだけ自分でも、ちょっと飛躍した考えだと思うのだろう。


「死体が誰か分からなくする」


 まともな話し相手になれない松実を、宮沢が押し退ける。やや乱暴に。


「何するんだよっ」

「確かに。ただガソリンで人体を焼いた程度では、奥の方の細胞が焼け残ります。そこからDNAで身元を割り出すことが可能な場合も多いです。それを誤魔化すためにバラバラにして、焼けやすくすることはあるかもしれません。しかし」

「そう、しかし」


 彼女はもう小弦の方を見ていない。もちろん抗議を無視されている松実を見ているわけでもない。


「それだと、小弦さんの遺体だけバラバラにする理由が分からない」

「そこまで遺体の身元を隠したいなら! 同棲している蒼さんの身元も! 分からなくしなければいけませんからね!」


 松実が宮沢を押し退けようとし、体格差で断念して脇から首を突き出す。

 すると宮沢も対抗するように。松実の首をヘッドロックみたいに捕らえて、自分だけ前に出ようとする。


「そもそも遺体をコテージ前に放置したりしません。どこかへ隠すに決まっています」


 高千穂はうんうんと頷いてはいる。が、男たちの謎な競争心は視界の端にも入れていない。


「そして何より、身元が分かる遺留品をそのままにしておくわけがない」

「ですね」

「しかし」


 素直に頷く松実に対して宮沢は一歩前へ出る。それを見て松実は露骨に顔を歪めた。


「遺留品は財布です。小さくて見落としたなどは? 防犯カメラにタクシーが映った時間から考えても。暗くて周囲がはっきりとは見えない時間帯です」

「それはないでしょ」


 対する高千穂は、相変わらずこちらを向かないまま。ばっさり宮沢の意見を切り捨てる。

 松実が軽くガッツポーズするのを、彼は横目でジロリと睨んだ。

 そのあいだに彼女は、少し先の方の地面を指差す。


「あの足跡は捜査員のじゃないんでしょう?」


 そこにあるのは、事前に犯人のものと説明されていた足跡。


「あれですか? そうですけど」

「それが何か?」


 高千穂はその足跡の方へ近寄ってしゃがむ。


「この足跡、立ち去るのが二回分、こっちに来るのが一回分ある。容疑者が最初に来た時はタクシーだから。つまりこの足跡から見るに。彼は一度現場を離れて、それから戻ってきているんだ。『犯人は現場に戻る』っていうけど。わざわざそうまでして入念に探した挙句、遺留品見落とすのは不自然だね」

「確かに落ちている位置的にも。『もみ合ってるうちに見付けられないほど遠くに飛んでった』とかでもありませんしね」

「暗くて見えないとか言うけど? 今時はスマホのライトで照らせますからね!」


 松実が宮沢をニヤリと挑発すると、軽く肘が飛んできた。


「グエッ」


 ウシガエルみたいな呻き声をにも彼女は反応しない。

 どころか下を向いて、ブツブツ呟いている。


「もみ合っているうちに……?」

「どうかしましたか?」

「もみ合っているうちに二人とも財布を落とした。でもこれじゃまるで……」

「千中さん?」

「あっ、ん? あぁ、いや、なんでも。それより私たちも追跡に加わろうか」

「えっ?」

「えっ?」


 松実が驚いた顔をすると、高千穂も釣られてそういう顔を返す。


「なんだよ。確かにさっきは現場検証担当とか言ったけどさ。私が捜査一課としての職務に忠実なのがおかしいわけ?」

「いえいえ、そんなんじゃないです」


 彼は慌てて手を左右へ振ると、チラリと空を見上げる。

 気付けば空はもう星々を飾りはじめている。さっさと下山しないと、雪山的に危なそうな模様である。


「ただ単純に。時間も遅くなってきましたから、明日にするもんだと」

「そんな時間か?」


 高千穂は腕時計を見る。


「あなた横須賀行って帰ってきたんですよ? そこからこんな東京の端っこまで移動。今何時だと思ってるんですか」

「あぁ、そっか……」


 彼女はヘルメットの位置でも整えようとしたのか、頭へ手を遣って。

 今日は未装備のため、そのまま髪の毛に触れた。


「ちぇっ」


 その所在なげな手で頭を掻くと、


「じゃあまた明日」


 ポケットに両手を突っ込んで、急に下山を始めた。


「滑ると危ないから手は出してくださーい!」


 松実の呼び掛けにも背中を向けたまま。片手だけ出してヒラヒラ振ると、そのまま行ってしまう。

 それを見送りながら、宮沢が彼を肘で小突こづく。


「おい。千中さん少し様子がおかしいか?」


 松実も高千穂から目線を動かさずに答える。


「うん。諸事情あってちょっとんだ」

「だよな。推理も自信なさげで、さっきもどこか抜けてた」

「そして何より、うふふって言わなかった」


 ──でも表面上に出そうとはしないんだ。


 孤独な強がりの背中が見えなくなっても。

 男二人はしばらく、その場で白い息を吐き続けた。

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