7.さよならロックスター
一台のパトカーが『Musica-polis』の駐車場に停まる。
中から降りてきたのは複数の護衛である警官と、
渦中の大物アーティストMUGI.、丹下紬である。
彼女は不機嫌な顔を隠さない。護衛が慌てるような早歩きで、ホールへヅカヅカ踏み込んでいく。
紬は足を止めるどころか、歩調を緩めることすらなくサブまで乗り込む。
鍵が掛かっていたら正面衝突しそうな勢いで、防音の重たいドアを押し開いた。
彼女が踏み込んだ室内で、ディレクターの椅子へ偉そうに沈み込んでいるのは、
「うふふ、ご足労いただいて恐縮です」
人生でこれほど、不快で恐ろしいことは続かないだろう。
そんなことを思わせるヘルメット女高千穂である。
「今度はなんですか」
紬がそのまま噛み付くかというような勢いで口を動かす。
しかし彼女の余裕な様子は、
「うふふ、ちょっとお付き合いいただきたいことがありまして」
「はぁ」
「まずは聞いていただきたいものがあるんです。まぁ座ってください」
高千穂は小癪なニヤつきとともに、自分の隣の椅子を手で指す。
「なんですか」
紬が座らずぶっきらぼうに答えると、彼女は一枚のCDを取り出して見せる。
「あなたのライブ音声です。USBでもらったのを焼いてきました」
「へぇ。それだったら私も聞こうと思ってましたし、ちょうどいいかな。ちゃんと内容確認しておきたかったので」
紬が機嫌は直さないながらも椅子に腰を落ち着ける。
逆に高千穂は音声の装置にCDを入れるべく、腰を浮かせる。
しかし装置の手前で立ち止まると、
「あ、そうだ」
ゆっくり振り返った。
「丹下さん。あなた事件の時、キャスター付きケース。持ってきてらっしゃいましたよね? 控え室にあったあれ」
「え、ええ……、まぁ」
口の中でモゴモゴするような返事。
なんたってあれも犯行に使った道具である。
それをまたピンポイントで話題に挙げられるのだ。どうしても歯の根が合わなくなるに決まっている。
しかしそんな彼女の様子には構わず、高千穂は人差し指を立てる。
「あれ、もしかするとお衣装が入ってたんじゃないですか? 着替えの」
絶対に触れられたくないケースの話題。なのに今一つ目的の分からない質問をされる。
そのことが紬の精神を削る。
だがやはり。決定的で致命的なことを言われない分、唇の震えは抑えられる。
「そうですね。よくお分かりに」
「うふふ。あの控え室、他に衣装を入れて運べるようなものはありませんでしたし。まさか着替えを剥き出しで舞台袖に置いておくとも思えなかったので」
「素晴らしい観察眼です。で、それが何か?」
真綿で首を絞められるようなストレスに噛み付くも。残念ながら相手の喉元には届かない。
高千穂は平気な
「まぁまずは聞いてください」
そのまま、機械の再生ボタンをバチッと押し込んだ。
するとスピーカーから、
『コツコツコツコツ』
硬い靴底の足音が流れはじめる。
ライブ音源の確認ということで、紬は自然と居住まいを正す。
「これは」
「あなたが控え室から舞台へ移動している時の音声です」
「CDに入れるときにはカットですね」
「はいストップ」
「え?」
高千穂は急に音声を止めてしまった。曲の方を確認したかった紬は少し面食らっている。
しかし高千穂は構わず、スマホを取り出す。
「次はこちらをお聞きください」
「?」
何かリアクションが返ってくるまえに、彼女はスマホへ指示を飛ばす。
「松実ちゃん、お願い」
『はい!』
威勢よい返事が溢れ聞こえる。
高千穂は別の装置の音声ボリュームを大きく上げた。
「これは?」
「今から同じ状況を再現してみます。よく聞いてください?」
高千穂が言うや否や、スピーカーから
『コツコツコツコツ』
『ゴロゴロゴロゴロ』
「……」
「はぁい。お分かりですかぁ?」
「……さぁ」
紬は
スピーカーからはなおも
『コツコツコツコツ』
『ゴロゴロゴロゴロ』
二つの音が重なって響く。それがまるでクラシックかのように、満足げに頷きながら聞く高千穂。
紬の方を振り返った笑顔は、自慢でもするかのようである。
「音が違うでしょう?」
「そうですかね」
「違うんです。今松実ちゃんはあなたが付けていたピンマイクを装備し。ケースも同じものを引きながら、廊下を歩いて舞台へ向かっています。するとこのように、うふふ。最近のマイクは優秀ですねぇ。ライブで観客の反応も拾って録音できる高い集音性があります。それでこそ特典ライブバージョンの需要を満たせるというもの」
「……」
「話を戻します。ですので実際にキャスター付きケースを引いて廊下を歩くと。このように、タイヤの音が聞こえてくるはずなんです! ではもう一度こちら、ライブの時の音声」
高千穂が松実の音声ボリュームをゼロにしてライブ音源を再生する。
『コツコツコツコツ』
「……」
「はぁい。本来なら存在するはずの音が入っていない。つまり? 丹下さんあなた。最初舞台へ行く時、衣装入りのケースを持っていってないんです。ですがこちら。ちょっと跳ばしてライブ終了後、控え室に引き上げるまでの音声」
スムーズに機械が操作される。この場のために勉強し練習したのだろう。
紬からすれば憎たらしいマメさでしかないが。
『コツコツコツコツ』
『ゴロゴロゴロゴロ』
「帰る時には、しっかりケースを引いてらっしゃいます」
「……そうですね」
紬が歯切れ悪く答えると。
高千穂はビッと。あれこれスイッチを押していた人差し指を向ける。
「つまりです。誰かが、後からケースを持ってきたんです。そしていいですか? それはライブ中でずっと歌っているあなたはもちろん! サブで機械類の調整をしてらっしゃった、他のスタッフの方々にも不可能だ! 実際にスタッフの誰も着替えを持っていかなかったことは聴取済みです。ですのであの時。誰も控え室に衣装を取りにいって、舞台袖へ届けることはできなかったんです! ずっと控え室で荷物番をしていた、手の空いている被害者を除いて!」
その人差し指が、そのまま心臓を貫き通すような錯覚。
紬は肺をやられたかのように息が詰まるが、ここで力尽きるわけにはいかない。
僅かでも言い逃れできるなら、そこに噛み付かない手はない。
「確かに衣装を楽屋に忘れたし、後から透子ちゃんに持ってきてもらいました! それは認めます! でもあの子は休憩時間より早くに着替えを届けて! そのまま控え室へ帰っていきました! 私が舞台袖に下がった時、彼女はすでにいませんでした!」
纏わり付く閉塞感を振り払うように。
立ち上がって
「そんなことはありません! 彼女はあなたが舞台袖に下がるまで、そこにいたんです!」
「どうしてそう言えるんですか! 何か証拠でもあるんですか!」
ここが天王山だろう。めずらしく声を張る高千穂の圧力を乗り越えるべく。
彼女も更に声を上げてもう一歩詰め寄る。
すると高千穂は彼女を指す手を引っ込め胸に当てた。しかしそれが、圧力によって引いたわけではないことくらい、紬にも分かる。
なぜならこの女。自信に満ちた不敵な笑みを口の端に浮かべているのだから。
そのまま高千穂は余裕の間を取ってはっきり答えた。
「……ございます」
「なんだって?」
今ごろ立ちくらみが来たわけでもあるまいに。
なおも崩せない目の前の強敵に、紬は
対して高千穂は、トドメを刺す予備動作かのようにゆったり振り返ると。機械のスイッチを一つずつ丁寧に押していく。
「音声巻き戻しましょう。えーと、ん、ここです。聞いてください」
やはり慣れた手付きでスムーズに再生する。その動きの一つ一つが彼女の目には、古い映画のように朦朧と映った。
そんな状況だというのに。
自分を追い詰めるのだろう音声は、はっきり耳に届いてしまう。
『私は汗かいちゃった。ちょっと着替えてくるね。だからみんなもちょっと休んで。休憩!』
『ワアアアアアアァァァァァァァ!』
『パチパチパチパチパチパチパチパチ……』
『……パチパチパチパチパ』
「これが、何か?」
「分かりませんか?」
しつこく音声が繰り返される。
『ワアアアアアアァァァァァァァ!』
『パチパチパチパチパチパチパチパチ……』
『……パチパチパチパチパ』
紬は回らない頭で音声を吟味し、一つの答えを出す。
「あぁ、そうか。最後音声がプツッと切れてるから。私が舞台袖に下がる時、マイクをオフにしたと言いたいんだ。それはそうですよ? えぇ、事実です。刑事さんはそれを『今から犯行に及ぶからマイクを切った』と言いたいんだろうけど。違いますよ? これは今から着替えるので、ガサガサ音が鳴るのを拾わないようにしただけです。それだけですよ?」
言い逃れとしては上出来だろう。要は証拠にさえならなければいいのだ。たとえグレーだろうと、確証を掴ませなければ。
なんとか落ち着きを取り戻し、息が吸えるようになったところで。
振り返った高千穂は、眉を八の字にして首を左右へ振る。
もちろん反論に困ったのではない。相変わらず口元には油断ならない、闘争心に満ちた笑みが残っている。
「違います」
「じゃあなんなんですか!」
「お分かりになりませんか?」
「分かりませんねぇ!」
高千穂はまた音声を巻き戻す。
「もう一度聞いてください」
「何度聞いても変わりませんよ!」
紬の言葉なんか聞こえていないかのように、彼女はまた音声を再生する。
『ワアアアアアアァァァァァァァ!』
『パチパチパチパチパチパチパチパチ……』
『……パチパチパチパチパ』
「なんなんですか!」
高千穂は振り向きざまに、スイッチを押していた指をそのまま向けてくる。
「分かりませんか? 拍手の音」
「拍手?」
「そう、拍手の音。はい! ここで聞いてみましょう、松実ちゃん!」
またもスマホを取り出し、下げていた松実のマイクのボリュームを跳ね上げる。
スピーカーから流れてくるのは
『パチパチパチパチ……』
「これがいったいなんだと……」
高千穂はすぐには答えず、サブから見える舞台上を指差す。
「これは舞台袖に下がっている、松実ちゃんの無線マイクが拾っている音です。客席からはこのホールの職員さんが拍手をしています」
「そうですか」
「はい、拍手の音、どうなってますか?」
ここで視線を紬に戻す。
こうやって相手に言わせるのが彼女のスタイルなのだろう。そう思うと少し悔しくなる。
「……小さくなっていってますね」
「そのとおりです。当然ですね、客席から遠ざかっていってるんですから。次! 松実ちゃん! 職員さんに舞台袖へ移動してもらって」
高千穂は舞台を見下ろし、準備ができるのを見届けると満足そうに頷く。
それからもう一度紬に戻した視線には、勝利宣言が光っている。
「はい、では別のパターンを聞いていただきます。今度は松実ちゃんに、職員さんが拍手している舞台袖へ向かっていってもらいます。始めて!」
ほどなくしてスピーカーから流れ出る音は、
『……パチパチパチパチ』
「あ」
「音が大きくなっていきます。当然です、拍手をする人物に近付いていってるんですから。ではライブ音声をもう一度」
紬は椅子に腰を、文字どおり落とした。
しかし高千穂はもう彼女の様子を確認しない。松実の音声を切ってライブ音声の方。ちょっともったいぶって再生スイッチを押す。
『ワアアアアアアァァァァァァァ!』
『パチパチパチパチパチパチパチパチ……』
『……パチパチパチパチパ』
「……」
彼女はゆっくり振り返る。
「ライブは大入りでしたから。今回の検証とは、客席からの音が減衰するタイミングこそ違います。ですが。外から着替えが見えないほど、舞台袖の奥まで下がったんでしょう。途中さすがに音が小さくなっていますね。しかし? だと言うのに途中からまた。だんだんと拍手の音が大きくなっているんです。はぁい、もうお分かりですね?」
もう何度目か、しかし今までで一番力強く紬を指差す。
「そう、この時舞台袖には誰かがいたんです! 拍手をしている誰かが! さて、丹下さん! 舞台袖には誰がいたんですか!?」
「それは」
「舞台袖に誰かいるにも関わらず、あなたは驚いた声一つあげていない! ということは、知らない誰かやいるのが不自然な人物ではありえません! つまりスタッフの方ということになります! そして先ほども言ったように、桃田さん以外のスタッフはサブにいました! 知人を舞台袖に招いたということもないでしょう! だって自分でおっしゃったんですから! MUGI.の正体を知っている人物は、ごく一部のスタッフしかいないと! もう一度お聞きします! 舞台袖には誰がいたんですか!」
紬は思わず高千穂から目を逸らした。しかしその先に。
犯行現場となった舞台が見える。なんだか妙に皮肉めいて感じられ……
ここで力尽きるわけにはいかない……なんて。
私は何を気ぃ張ってたんだろうね。
なんだかフッと力が抜けた。
そうだ。もういいのだ。思えば目的は達していたのだから。
「透子ちゃんです」
「そして、その場で彼女を殺害しましたね?」
「はい」
「はぁい、どぉも」
高千穂も目的を達し力が抜けたのだろう。
気さくな笑顔になって紬の前の椅子に腰掛ける。
「うふふ。あとで死体を運ぶためにキャスター付きケースを用意したんでしょうが。失敗でしたねぇ」
煽っているわけではないのだろう。
紬も素直に「やれやれ」と首を振る。
「はぁ~。ま、いいでしょう。もうじゅうぶんですから」
「じゅうぶん、ですか」
どうやら高千穂も、犯行の動機やらバックストーリーやら。全てを理解しているわけではないらしい。
別に勝った気にはならないが、紬は少し
「和歌山県の美浜町ってところで、女性が殺された事件。ご存知ですか」
「……丹下羽子さんですね」
彼女も話を察したらしい。初めてニヤつきが神妙な顔になる。これはちょっと勝った気がする。
「そこまでご存知なら話は早いですよ。
「……そうですか」
高千穂はそのまま少し寂しそうな顔を浮かべ。それを見られないようにか、視線をずらして少し俯く。
なんだ、意外と人間味あるじゃないの。
急に話しやすくなった気がする。紬はこの際、いろいろ聞いてみることにした。
「そう言えばね、一つ分からないことがあるんです」
「なんでしょう」
「刑事さん、私が犯人ありきの推理をしましたよね。証拠もないのに。そのうえ今聞いた感じだと、私に動機があるのも知らなかったみたい。なのにあんな推理、すでに私が犯人だってバレてたんですか?」
背もたれに沈み込むと、高千穂も同じように寛ぐ。
「はい。最初に現場でお話を聞いた時に」
「えっ?」
そんなに早く?
紬の鳩が豆鉄砲食らったような顔に、彼女は教え方が優しい先生みたいな顔をする。
「うふふ。丹下さん、あの時あなた。『被害者が誰かに恨まれる心当たりがないか』と聞いたら、『MUGI.にはストーカーがいて、脅迫状が届いていた』とおっしゃいました。しかし。『その人物に心当たりは』と聞くと、それには『心当たりはない』とおっしゃいました」
「そうでしたね。それがダメだったんですか?」
「はい」
相槌に興が乗ったか、高千穂は軽く居住まいを正す。
「よろしいですか? MUGI.は正体不明のアーティストです。そんな人物をストーカーしたり、住所へ脅迫状を送れる人物なんていません。いるとすれば、うふふ、ごく少数の正体を知っている人だけ。なのにあなた、『心当たりはない』とおっしゃった。その時分かったんです。この人はデタラメを言っている、言う事情がある、と」
「あぁ~……、そっか~……」
紬は肘掛けに手を置き、大仰に
「うふふ。犯行は計画的になさるのに、その後の聴取は口から出任せの方。結構いらっしゃるんです。今回は違いますが、特に事故や自殺に偽装した人なんか。『そもそも聴取にならない』と思っていたりしますから。まぁ大体そこでボロが出ます」
「悔しいなぁ」
紬がプラプラ首を振ると、高千穂は軽く身を乗り出し、人差し指を立てる。
「あ、そうだ。これは個人的な興味なんですが」
「なんでしょう」
「丹下さんあなた。どうして直前リハーサルでもやらなかった曲を、急に本番で入れたんですか? スタッフの皆さん困惑してらっしゃいました」
「ああ、あの透子ちゃんを殺した直後の」
「はい」
紬は不敵に笑った。逃げ切りこそ失敗したが、一番の目的は果たした彼女にとって。
ここは一番の胸の張りどころなのだから。
「あの曲。姉、丹下羽子が殺されてから、ライブまでの数日で作ったんです。姉はMUGI.の正体を知らなかったけど、ライブをとても楽しみにしてました。あの曲、タイトルは『Feather U』っていうんです」
「そうタイトルコールされていましたね」
高千穂も噛み締めるように、未だに残るライブの余韻を楽しむかのように頷く。
「Featherは日本語で『羽』という意味です。そしてUは『you』で『あなた』」
「なるほど。うふふ」
高千穂のやはり寂しそうな笑顔に、彼女もやはり不敵に笑い返す。
「うふふ。姉に報告してたんですよ。『仇は討ったよ』と」
──さよならロックスター 完──
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