3.警察の犬

「千中さん、こちらです」

「んー。まさか観客がワーキャー言ってる裏で、マジモンの悲鳴があったとはね」


 ここは都内のコンサートホール『Musica-polis』、MUGI.控え室。やはりVIP用だけあって、そこそこ居心地のよさそうな空間。

 もちろん、


 真ん中に死体が倒れていることを除けば、の話。


 周囲の圧で疲れ切って、


『ライブはどうでしたか?』

『早く帰って寝たいです』


 に脳みそを支配された高千穂。スマホに上司から『通報があった』と通報があった時の絶望と言ったら。

 そんな彼女を労わることなく、松実は腰に手を当てている。


「千中さん! 一緒にライブ来てたのに、どうして一人だけ来るのが遅いんですか!」

「ライブで疲れちゃってさぁ。外の空気吸いに行ってたの」

「空気ってかタバコでしょ」

「カリカリしないの。コンビニで晩ご飯買ってきたんだから」


 買い物袋を突き出し、めずらしく優しさを発揮する高千穂。

 しかし普段が普段だけに、松実は素直に受け取れない。


「『君の分はないよ』とか言ったら張り倒しますよ?」


 割と失礼な物言いを無視して、彼女はテーブルへ勝手に買い物袋を置いた。そこから中身をポイポイ取り出して並べる。


「そんなことしないよ、うふふ。私はハンバーガーでぇ、松実ちゃんにはシリアル買ってきたよ」

「……シリアルは普通朝食では?」

「ん?」

「ん、じゃなくて」

「でも好きって言ってたじゃない」

「チョコ味のコーンとか好きですけど……」

「牛乳も買ってきたんだよ?」


 このままでは晩ご飯問答になってしまう。

 松実は高千穂がハンバーガーの包みを開けるまえに、必要な話を済ませることにした。


「それでですね千中さん、殺されたのは桃田透子さん。死因は胸部をこちらの」


 ペンで床を指す。落ちているのは


「ナイフで一突きされたことによると思われます」

「確かに胸元をタオルで押さえてるね」

「おそらく止血を試みたんでしょう」

「ふーん」


 高千穂は死体の側にしゃがみ込むと、松実の方へ手を伸ばす。


「ペン貸して」

「はい」


 高千穂は受け取ったペンで、死体へ直接触れないよう腕を少し動かしたり。いろいろつつく。


「応援が到着するまで、あんまりくださいよ? あと人のペンで死体触るのも」

「それよりここはMUGI.の控え室でしょ? 被害者はどうしてこんなところにいたんだろう。この人がMUGI.?」

「違います。被害者はスタッフでして、ここでMUGI.さんの荷物番をしていたそうです」

「へー、そうだったの」

「あ、そうだ」


 松実は何か思い出したように廊下へ。

 すぐに女性を伴って戻ってくる。


「こちら、第一発見者の丹下紬さんです」

「丹下です」

「これはこれは。えーと、本日は本当に飛んだことで。お察しします。私、警視庁捜査一課の千中高千穂と申します」

「ありがとうございます……」


 返事はする紬だが、その目は相手を見ていない。視線が向いているのはテーブルの上。


「あの、刑事さん」

「なんでしょう」

「なんであんなものが置いてあるんですか?」


 指差した先にあるのは、松実の夕飯用に高千穂が買ってきたアレである。


「あぁ、あれは我々晩御飯がまだなので。松実ちゃんが食べるシリアルです」

「あの、あれはシリアルではなくドッグフードではないでしょうか」

「はぁ!?」


 衝撃の事実に、松実が思わず声を上げる。

 対して高千穂はあくまで余裕の様子。他人事だし。


「あれぇ? おかしいなぁ。間違えちゃったかなぁ」

「ドッグフードを食べろと!?」

「そもそもお皿がないので、シリアルだったとしても食べられないと思うんですが。ポテトチップス感覚ならともかく」

「それもそうですね。うふふ」

「うふふじゃないんですが!?」


 高千穂は抗議を無視して、話を進めてしまう。これが松実の人生である。


「それよりですね、丹下さん。大変お辛いところ恐縮なんですが。遺体を発見された時のこと、詳しくお伺いできますか?」

「あ、ホントだ! 犬の顔がプリントされてる!」


 職務でご飯を確認する松実が何か言っているが。紬の耳には届かない。


 来た。でも大丈夫。落ち着いて、まえもって考えたとおりに答えればいい。


 彼女は目立たないように深呼吸すると、歌詞を覚えるように覚えたストーリーを語る。


「はい。私がライブを終えて控え室に戻ったら、彼女はすでに亡くなっていて」

「待ってください?」

「えっ」


 早速高千穂が手で制してくるので、紬は喉がヒュッと鳴った。


 え、まさか、私もう何かボロ出した? 嘘?


 頭から血が引くのを物理的に感じ取る紬だが、彼女が食い付いたのは全然違うことだった。


「ライブを終えたということは、もしかして、あなたがMUGI.さん?」

「え? あ、はい。そういう名義で活動させていただいてます」

「ほ、本当に!?」


 ドッグフードと睨めっこしていた松実もこちらを振り返る。

 さっきまではお堅い聴取の雰囲気を出していた二人だが。急に砕けたというか、テンションの高い空気を醸しはじめる。


「いやぁ~これはこれは! 私あなたの大ファンなんです。握手してください」

「ちょっと! ライトなファンなんでしょ? どいてください! MUGI.さんサインください!」


 松実が高千穂を押しのけて、メモ帳を差し出してくる。


「あ。でも刑事さん。今聴取中……」


 彼も仕事中のはずなのに、ファンって不思議な生き物だな……。


 やや引いている紬が高千穂の方を見ると。

 彼女は「こいつはこういうやつです」とでも言うように、少し肩を竦める。


「お気になさらず。私は待ちますので、どうかサインしてやってください」

「はぁ。えっと、じゃあ、このメモ帳に書けばいいかな」

「お願いします!」


 たまにはサインペンと色紙じゃないのも、オツなものかもしれない。彼女はささっとペンを走らせた。


「はいどうぞ」

「やったあアアアアアア! 警察やっててよかったぁ!」

「えーと、それで。あなたがここに戻ってきたら、現場は既にこうなっていた、と」


 有頂天の松実が、完全に職務など忘れた様子ではしゃぐ。

 それを肘で押し遣りながら高千穂が話を修正する。まぁ最初に脇道へやったのはこいつだが。


「はい。そっくりそのまま」

「そうですか、ありがとうございます。では一つよろしいですか?」

「なんでしょう」


 紬の返事がスイッチかのように、彼女の人差し指がピンと立つ。


「亡くなった桃田さん、荷物番してらっしゃったんですよね」

「はい」


 高千穂は軽く周囲を見回す。


「その桃田さんが殺されたわけですが、何か盗られたものはありませんか?」

「あ……。いえ、特に」


 少し「しまった」と息を呑む。

 確かに状況は見るからに、誰かが控え室に押し入って透子を殺害したわけだが。

 強盗でもなかったのなら、他に理由がいる。


「おかしいなぁ。どうして犯人は楽屋に来て、被害者を殺したんだろう」

「……」


 紬の予想を裏付けるように、この怪しげなヘルメット刑事(警察手帳を見せた小男が上司扱いしているのだから、偽物ってことはないだろうが)もしながら呟く。


「何か心当たりはありませんか? そうだな、たとえば……、誰かに恨まれるような」


 誰かに恨まれるというワードと、高千穂の横で転がっている透子の姿。

 両者が同時に脳内へ流れた瞬間、彼女はあることを思い付いた。


「……そうだ」

「なんでしょう」


 今から言うことは大体嘘じゃない。

 本当に嘘がうまい人は、全てを嘘で塗り固めるのではなく。本当のことに嘘を混ぜるとか。

 だから。せっかくだし君の素行を利用させてもらうよ、透子ちゃん。


「透子ちゃんじゃなくて私なんですけども……。実はストーカーがいまして」

「ほう!」

「これでもアーティストですからまぁ。ありがたいことに、熱心なファンの方がついてくださってるんですけど……。それで脅迫状が届いたりとか」

「それはもう売れに売れてますからねぇ。避けられない宿命かもしれません」

「それであの子、私と間違えて殺されたのかも。私の控え室にいたから……」


 なんだか人気アピールっぽくなってしまったが、この業界宣伝してナンボである。衝撃のエピソードも過ぎれば武勇伝になる。


 うまく行けば最高のプレゼントになるよ、透子ちゃん。その分君は、私の掛け替えないものを奪ったけど。


 アーティストらしく死体にも言葉を贈っていると、


「うふふ、それはないでしょう」


 高千穂がニヤリと笑うのでこの世に引き戻される。


「どうしてでしょう?」

「だってあなたライブなさってたじゃないですか。誰だって控え室にいるのが本人じゃないことは丸分かりです」

「あぁ、確かに……」


 すると、ようやく気持ちが職務へ戻ったのだろう。松実が牛乳片手に割り込んでくる。


「休憩時間ですよ休憩時間!」

「ん?」

「ライブ中に一回小休止があったじゃないですか。きっと犯人は『舞台上の相手は無理でも、今なら控え室でやれる!』って思ったんですよ!」

「なるほど」

「実際僕も、控え室行ったらMUGI.さんに会えると思って探しましたもん!」

「え、何してくれてるんですか」

「あっ」


 正体不明で売っているアーティスト。に不快な顔をしたので、松実は平謝りすることになった。

 しかしそんな身も心も小男を無視して、女性陣は話を進めてしまう。


「まぁ、松実ちゃんの言うことが当たっているかは。のちほど死亡推定時刻を割り出せば、はっきりするでしょう」

「はい」

「ちなみにMUGI.さんはその時間、実際はどこにいらっしゃったんです?」

「舞台袖で着替えてました」

「おや大胆! うふふ、でもまぁなるほど。どうりで五分くらいでステージに戻ってこられたわけです」

「みんなを待たせてもよくないですから」

「ありがたいお心掛けです。あ、そうだ」


 柔和にニコニコ微笑んでいた高千穂だが。不意に手をポンッと打って紬へ人差し指を向ける。


「先ほどストーカーというお話がありましたが、その人物に心当たりは?」

「いえ、特には」


 紬が素直に答えると、高千穂は口と鼻を両手で覆いながら。やや笑っているような上目遣いで彼女を見据えた。


「となると、状況はまだ危ないかもしれませんねぇ」

「どうしてですか? もうMUGI.さんを殺したと思って襲ってこないのでは?」


 平謝りが無視されていることにようやく気付いた松実が割り込む。高千穂は教育番組かのように人差し指を立てる。


「考えてごらん? たとえ被害者を殺したタイミングが休憩時間だとしても。結局すぐライブは再開したんだ。当然音も聞こえて来る。殺したと思った相手が、何事もなくライブを続けてたら。いくらなんでも殺せてないこと、人違いに気がつくよ」

「確かに」

「だからもし、犯人が執念深かったら。今でも近くでチャンスを窺ってるかもしれない」

「ありえますね」


 高千穂は改めて紬の方へ向きなおる。


「お住まいはどちらですか?」

「えっと、和歌山ですけど」

「ということは、本日はホテルへお泊まりになる」

「そうです」


 彼女は少し考えるような仕草をすると、


「でしたら。犯人が捕まっていない現状、お一人でお帰りになるのは危険ですので。警察の増援が来たら、パトカーでホテルまでお送りします。ホテルにも警官を数名お付けしまして……、よろしいですか?」


 窺うように紬の瞳を覗き込む。


「はい。ありがとうございます」

「それと、犯人がストーカーの線を考えると。しばらく和歌山にお帰りになるのも控えた方がいい。あなたがライブを終えて戻ると踏んで、そちらへ向かうだろうし。そもそも普段からストーキングされているなら。おそらく向こうの根城も和歌山でしょう」

「でしょうね」

「ホテルの滞在費用は我々が負担しますので、お気になさらず。ドラマでよく見るあれです」

「何から何まで、本当にありがとうございます」


 紬は慇懃に頭を下げるが、高千穂はそれを見ずに一人で手をポンと叩いている。


「あと、あなたがMUGI.であることをご存知の方って、どのくらいおられます?」

「えーと、ほんの数人ですけど」

「一応その方々のリストとか上げといていただけますか? それと、聴取もしたいので。東京以外の方も地元に帰らないよう言ってくださると助かります」

「分かりました。ただ、そうなると彼女たちの滞在費用も」

「持ちます待ちます。松実ちゃん、書類作って出しといてね」

「僕!?」


 めんどくさい作業を部下へ丸投げできるのは上司の特権(だからと言って誉められたものではない)。

 彼女は嫌がる松実を意図的に視界から外すと


「ま、今はこんなところかな」


 一息吐いて椅子に腰掛け、ハンバーガーを手に取った。


「最近のコンビニハンバーガーは美味しいですよねぇ。立派な企業努力です。うふふ、私は昔の、妙になバンズも嫌いじゃなかったんですけども」

「千中さん! 僕にも分けてください! ドッグフードなんて食べられません!」

「自分で出前でも取りなさい」

「そんなぁ!」

「あ、そうだ丹下さん」


 もそもそ包装を剥がす高千穂の手が止まる。


「なんでしょう」

「亡くなった桃田さん、荷物番以外に何か役割とかありましたか?」

「え……」


 紬は脳が固まる感覚を味わった。


 どうしてそのことを? いったいどこから? 何かミスが? もしかしてもう全てバレて……


「え……、と。いえ、特には……」

「そうですか。ありがとうございます」

「どうしてそんなこと聞くんですか?」


 聞きたかったことを松実が代わりに聞いてくれる。なかなか便利である。

 対して高千穂は、何やら楽しそうな声で答える。


「被害者が殺されたのはここじゃないんだよ」

「えぇっ!?」

「……どういうことでしょう」


 彼女はハンバーガーを置いて椅子から立ち上がり、大仰な動きで床を指差す。


「ご覧ください。床が全然汚れていない。刺された現場がここなら、床に血が流れて汚れるはずなんです」

「でも、傷口をタオルで押さえてますよ? 止血ばっちり」


 松実が反論すると、高千穂はあからさまに「何言ってんだこいつ」という顔をした。


「ナイフで刺された人間が。血を一滴も溢さず即座にタオルで覆うなんて、できるわけないでしょ」

「なるほど」

「そのうえ室内は椅子も倒れてないし、そこ」


 続いてテーブルの上を指差す。そこには、透子が散々飲み食いしていた寛ぎセット。


「あれが何か?」

「お茶が溢れてすらいない。争った形跡がないんだよ。やっぱり他所で殺されてると思うんだなぁ」

「となると、トイレにでも行った時でしょうか」


 一応紬も協力的な態度を示すべく、そしてせめて少しでもミスリードすべく。見解を述べてみる。


「ですね! トイレ調べてきます!」


 松実が天啓を受けてラリった信者かのように、廊下へ飛び出していく。彼も『熱心なファン』の一人かもしれない。

 しかし高千穂はやはり、彼とは違うようだ。あごに手を当て、立ち止まっている。


「んー」

「どうかしましたか?」

「いえね? トイレなのかなぁ、と思って」

「それはどういう……」


 質問文を言い切るまえに、彼女は質問を被せてくる。


「丹下さん。本当に桃田さん、荷物番以外の役割はなかったんですね?」


 紬はギクリと肩が跳ねるところだった。


 なぜこの人はそこにこだわるの? 私が一番触れられたくないところに。

 まさか私が透子ちゃんを舞台袖に呼び出したことがバレてるの? 


 しかし彼女は、あくまで平静を装う。


「……いえ、ございません」


 すると高千穂はあっさり微笑んだ。


「そうですか。それよりお腹空いたんで、失礼して晩ご飯を」

「あ、どうぞ」


 許可をもらった彼女は再度ハンバーガーを手に取り、


「うふふ、……ん?」

「どうしました?」


 急に妙な呟きとともに静止。

 気になった紬が近寄ると、高千穂はテーブルの上のあるものを指差す。

 そこには


「ドッグフードの封が開いてる……」

「え……」

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