4.非公開放送
翌日。高千穂がベスパを走らせ、紬を匿っているホテルへ顔を出すと。
「やぁ宮沢くん、丹下さん今会える?」
四階の廊下、警護班の一人である宮沢は首を左右へ振った。
「あの人なら出掛けましたよ」
「出掛けた? この非常事態に?」
宮沢は腰に手を当て、軽くため息。
「なんでもメインパーソナリティやってるラジオの収録があるそうです。止めたんですけど、『これだけは休めない』って」
「ふーん。昨日の今日で、元気だね」
「毎週ラジオをやっているとなると、ストーカーも知っているでしょうから。東京で匿う意味はなかったかもしれませんね」
「どうかな」
高千穂はニッと笑う。目は笑っていない。
「じゃあそれより、ホテルに残ってもらってるスタッフの人たちに聴取でも」
「正体不明が売りですからね。ラジオのスタッフもその人たちがやるみたいで、ついて行きましたよ」
「じゃあ私無駄足?」
「こちらの放送局に行ってください」
「ちぇっ。ガソリン代返してほしいや。水久保日向の事件のタクシー代もまだ出ないし」
彼女は悪態を
駐車場を目指すべく、エレベーターの方へ数歩進んだところで。
意地悪な顔をして振り返った。
「ところで宮沢くん、警護班なのにどうしてラジオついてってないの? 何、サボり? 戦力外?」
「万が一ストーカーが入れ違いでホテルに来た時のための留守番です!」
都内のラジオ放送局。
サブにいるチームMUGI.の面々が、時計とブースを交互に見る。
放送開始まであと三十……、二十……。
五秒まえ、スタッフの一人、ディレクター担当がガラスの向こう。ブースにいるMUGI.に向かって指折りで時間を伝え、
時計の針が頂点を指した瞬間。
別のスタッフがオープニングのジングルを大ボリュームで出力。
数秒待ってディレクターが手でゴーサインを出す。
『今週も“ビールとばしのMUGI.Rock”始まります! いえーい! まずは昨日ライブに来てくれたリスナーさん、ありがとう! 疲れてるかもしれないけど、今日も最後まで付き合ってもらおう』
まずは予定どおりスタートできたことに、スタッフ一同一息ついていると。
「あ、
「何?」
サブは廊下から中の様子が見えるように窓がついているのだが。
そこからこちらを覗いているヘルメット女が。向こうも自分に気付いたことを察し、のんきに手なんか振っている。
「刑事ね。警備の増員かしら」
「強そうには見えませんけど」
「でも警察官なら剣道とか柔道とか、ピストルも練習するんでしょ?」
「じゃあ大丈夫か」
スタッフ一同で勝手に話を進めていると。
よく見ると彼女はニコニコしながら、ガラスの向こうでドアを指差している。
「刑事さん入れてほしいみたいですけど」
「どうします先輩?」
牡丹先輩は少しだけ考えると、一番ドアに近い位置のスタッフへ目を向ける。
「まぁいいでしょう。もちろん邪魔しないことは約束してもらって」
ドア近くのスタッフも頷いて、高千穂をサブへ招き入れる。
「どぉも。いやー、ラジオの裏方ってこんなふうになってるんですねぇ」
「興味深いかもしれませんが、放送中なのであまり動き回らないでくださいね?」
「えぇはい、大丈夫です。動きませんし長居もしません。ただちょっと、お話聞かせていただければ」
「話?」
勝手に警備の増援だとばかり思っていたスタッフたち。少し面食らっているが、彼女は特に気にした様子もなく続ける。
「はぁい。みなさんと丹下さんに少しばかり。あ、今大丈夫ですか?」
スタッフたちが返事をするまえに、高千穂自身は少し身を乗り出している。
本当は遠慮願いたい彼女たちだが、こうなると
「あー、私たちなら少しくらいいいですけど、紬さんは放送中なんで」
「そうですか、待ちます待ちます」
彼女はにっこり笑って、スタッフが少数精鋭ゆえに空いている席へ腰を下ろす。
「待つって」
「暇なんですかね?」
いろいろ言われているが、それすら物ともせず。平然と話を切り出す。
「では早速なんですが。丹下さんライブの時に、何かおかしいところとか。気になることとかありませんでしたか?」
「おかしいところ?」
「気になるところ?」
「はい」
高千穂とスタッフ二名がテンポの悪い会話をするなか、牡丹先輩だけが冷静である。
「いえ、別段いつもどおり。言うなれば、ほどよい緊張を持ちつつ落ち着いていましたが」
「そうですかぁ」
あまりにも簡潔に話が終わってしまいそうな刹那。
スタッフの一人がポンと手を打つ。
「あ、そうだ! あれですよあれ!」
「かこちゃん」
その場全員の目線が『かこちゃん』に集まる。
「すいません、あれ、とは」
高千穂の言葉に、彼女は背筋を伸ばす。
「着替え終わったあとでした。急に予定とは違う歌を挟んだんです」
他のスタッフも次々に頷く。
「あー、あったあった。新曲だってね。直前リハーサルにもなかったからびっくりした」
「それくらいですかね?」
と言っても、特にそれ以上はないようだ。
「そうですか。ありがとうございます」
高千穂が正直言って手応え不足な顔をしていると。
少し同情したか、スタッフの一人がマイクに向かって話し掛ける。
すると、
『えーっと、いつもみたいにしゃべりはじめるとさ。ただでさえ長いオープニングトークが、昨日の熱でもっと長くなりそう。ここは冷静に一曲いってみよう。というわけで優雅にゆったりと、
MUGI.のトークに合わせてかこちゃんが曲を流しはじめる。
すると、ロックスターがガラス向こうのブースから手を振った。
その顔へ、案内するように牡丹先輩が手を差し出す。
「曲のあいだだけですけど、どうぞ」
「うふふ、ありがとうございます。そちらのマイクで中と話せるんですか?」
「そこのスイッチを入れてくださいね」
「どぉも」
高千穂は牡丹先輩に席を譲ってもらい、マイクに話し掛ける。
「えー、失礼しますー。聞こえてますかー?」
『バッチリでーす』
MUGI.も収録用とは違うマイクへ話し掛けながら、サムズアップで答えている。
「ありがとうございます。今しゃべっても大丈夫ですか?」
『はい。マイクの音声切ってますから。でも曲が終わるまでね』
MUGI.はぶっきらぼうにペットボトルを取った。
高千穂はほうじ茶で喉を潤す彼女へ、やや興奮気味に話し掛ける。
「いやぁ、ラジオの方、いつも楽しく聞かせていただいてます。職場で必ず誰かしらが流してまして。そのスタジオに来られるなんて感激です」
『うれしいご報告ですけど、歌が流れてるあいだしか時間ないよ』
世間話を切るようにペットボトルの蓋を閉められる。高千穂も軽く居住まいを正す。
「そうでしたそうでした。まずご報告なんですが、桃田さんの死亡推定時刻が判明しまして。そのあいだにちょうど五分の休憩時間が被ってました」
『そうですか。じゃああの松実さんの推理も当たってるかもしれませんね。お話はそれだけですか?』
MUGI.としては願望込みの言葉だったが、当然それは儚い期待に終わる。
「いえいえ。次は質問なんですが。先日『桃田さんに何か、荷物番以外のお役目があったのではないか』というお話をしましたが」
『しましたね、そんな話。そんなことはありませんけど』
「はい、それでですね? それなら何か役目以外で控え室を出る心当たりはございませんか?」
まだそこにこだわるの?
やっぱり何かつかんでるのかな、嫌な相手だ……。
ギクリとした態度がガラスに遮られたことを願うばかり。彼女は自然に目線を逸らすため、ストップウォッチを眺める。
『それこそトイレに行ったところとかじゃ?』
「それはありえません。桃田さんがトイレに行くタイミングなんて、誰にも分かりませんから」
『ずっと窺ってたとか』
「そこなんです!」
急に力強い声を出したので、思わずMUGI.がそちらを見ると。
彼女はやはり力強い目付きで、こちらを指差している。
『何が?』
少し掠れた声が漏れたが、幸い高千穂に気にした様子はない。
「そうなると犯人は最初から、桃田さんを狙っていたことになってしまうんです」
『そりゃ私の控え室にいたんだから、犯人は最初からあの子を私だと思って』
「そういう意味じゃありません。犯人は『MUGI.』ではなく『桃田透子』を狙っていたことになるんです。先日も言いましたが、ずっと付け狙っていたのなら。そのあいだに隣でMUGI.がライブをしているのが聞こえてきて。狙っている相手は別人だと明白なんですから」
『そうでしたね』
「しかし、彼女を恨んでいる人に心当たりはないんですよね?」
『えぇ、まぁ……』
MUGI.が歯切れ悪く答えるうちに、彼女は勝手に話を進めてしまう。
「となると、彼女が狙われる条件は非常に限られてきます。なのでお聞きしたいのですが」
いったん言葉が区切られると、高千穂は身を乗り出した。
「やはり桃田さんがMUGI.と間違われるような。トイレ以外で外出していた役目はありませんか?」
言い終わった高千穂が、やや背もたれへ沈むように座り直したところで。
MUGI.はストップウォッチをもう一度見る。
早く終わってよ『サン・トワ・マミー』!
普段ラジオでは休憩時間になるということで。曲を流すのは好きなMUGI.だが、今日ばかりは逆である。
時間にして三分もない残り時間だが、黙ってやり過ごすにはやや長い。
彼女はなんとか反論を試みる。
『なんでそこにこだわるのか分かりませんけど。たとえ役目で外に出ていても、さっきの「隣で本人がライブをしている理論」。あれであの子がMUGI.じゃないことは明白なんじゃないですか?』
しかし高千穂はニヤニヤしながら首を左右へ振る。
「いいえ? 分からない時間があります。休憩時間です。あなたがお着替えをなさっていた、あの。死亡推定時刻も被っていますし」
『確かにその時間なら、歌ってないから分からないかも。でもそれなら、何度も言いますけど。その時間、役目じゃなしにトイレ行っていたら? 関係者用なら犯人も、「ここに観客は来ない! つまりこいつが!」って』
「ありえませんありえません。逆の立場で考えましょう。あなたがもし、顔も知らないアーティストを殺そうと狙っているとして。ライブの休憩時間だからってだけで、たまたまトイレにいた人。『こいつがターゲットだ!』と確信持てますか? たとえ関係者用トイレでも、客でなくともスタッフがいる可能性は大いにあります。だからそんな見切り発車はしないはずです」
『確かに』
MUGI.ももう反論は思い付かない。彼女が短く答えるだけに止めると、高千穂は持論を総括に掛かる。
「ですので何か別の用。うふふ、それも被害者をMUGI.と勘違いしやすい。そう、舞台の近くに来るような用があったのではないかと。そして留守番の人が役目を放棄して、わざわざ舞台に近付くとしたら。何か別の役目があったと考えるのが妥当です」
『まぁ普通はそうですよね』
反論が思い付かないからには、できるのは適当を言うだけ。
MUGI.は動揺や緊張を出さないよう、すっとぼけるような声を出した。
『でもそんな役目ありませんでしたからねぇ。そっちのみんなで何か頼んだりした?』
マイクは高千穂が独占しているので声は聞こえない。
しかし、ガラス越しのMUGI.にも、スタッフ一同首を横へ振るのは見えた。
『そういうことです。暇すぎて脱走してたんじゃないでしょうか? あとはそうだな。私が知らないだけで、恨みでも買ってたんじゃないですか? 喧嘩っ
「そうですかぁ」
「あの、曲が終わるのでそろそろ」
救いの鐘か、牡丹先輩が高千穂のマイクに割り込んでタイムアウト宣言をする。
MUGI.は思わずふうっとため息を吐いた。
この刑事さん。まさか「じゃあ次の曲やCMまで待ちます」なんて言い出さないよね?
横目でサブの様子を窺うと、
「うふふ、また来ます」
どうやら帰ってくれるようだ。腰を椅子から浮かせている。
少しだけ安心した彼女はテンションをラジオのトークに戻す意図もあって。
ヘルメット女に軽口を叩いてみる。
『また来ますって刑事さん、私和歌山住みですから。ラジオ終わったら関西に帰りますよ? 警視庁なのに追い掛けてくるつもりですかぁ?』
すると高千穂は椅子には座りなおさず、上半身を
「帰りますって丹下さん、あなたが帰るのはホテルですよ? 『犯人がストーカーの線を考えると、しばらく和歌山にお帰りになるのも控えた方がいい』って話、お忘れですかぁ?」
『あっ……』
高千穂のニヤッとした微笑みに、MUGI.は全てを理解した。
こいつ、やっぱり私が透子ちゃんを殺したっていう何かをつかんでるんだ!
ストーカーから匿うとかいうのも建て前で! 本当は私を逃さないよう東京に勾留するのが狙いなんだ!
今までの薄気味悪い疑念が、最悪の形で的中してしまったMUGI.。呆然とする暇もなく牡丹先輩の腕が『キュー』の動きをする。
慌ててマイクへ向き直る。力強いロックのあとすぐ、シルクのようなバラードも求められるのがアーティスト。切り替えは速くなければならない。
『さて、しっとりしたところで。今日のお便りいってみよう!』
さすがのプロ魂でトークを再開するMUGI.。
それをガラスの向こう、高千穂は含み笑いで見つめるのだった。
「……うふふ」
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