4.自殺か他殺か殺せるか
「そうですか」
嫌な気配を察知し、声が低くなったのを誤魔化すべく。水久保はタバコのせいかのように、軽く咳払いした。
「亡くなった犬養さん。おっしゃるとおりの経緯で睡眠薬をお持ちだったんですが」
「えぇ」
「うふふ、実は彼女。首を吊る直前に一錠だけ飲んでるんです。どうして一錠だけだと分かったと思います?」
高千穂は二本目のタバコに火をつける。
「さぁ」
「お持ちの睡眠薬が一錠しか減っていなかったんです。犬養さんが通ってらっしゃる病院に確認したところ。飲んだ一錠と残りの数で前回、それも随分とまえに処方した分とぴったり。古い分は飲み切ってからの処方だったらしくてですね。代わりに以前の余りを飲んでいたわけでもないんです」
「それがなんだというんですか」
高千穂はタバコを挟んだ、人差し指と中指を立てる。
「つまり彼女、長いこと睡眠薬を飲んでないんです。ここのところメンタルは安定していたんです。前回診察した時のカルテでも確認できました。『ここ数回の診察でも、客観的にメンタルが安定している。本人も睡眠薬を必要とする頻度が少ないと言っていた。処方する数を減らして経過を見る』と」
「つまり自殺に至る原因は、前々からのものではなく。昨日今日の出来事だと」
ここまでじっと静かにしていた課長がポツリと呟いた。それを皮切りに他の同僚も
「オレたちにまで捜査内容聞こえているけど、いいの?」
「喫煙所でのみ
「人の健康状態じゃなくて、仕事に役立つ情報を交わせよ」
「いや喫煙所内だけで仕事の情報回さないでよ」
とか小声で話しはじめる。
これはよくない。ギャラリーが多すぎる。
高千穂も、できる限り多くの人数に聴取したかっただけかもしれない。
だが、TPOを弁えてくれないのでは水久保も困る。
今回は特に。
「というわけなんです。何か別の心当たりありませんか?」
「いや……」
しかしこの女、もう明音の細かい病状まで把握しているとは。
水久保は方針転換、余計なことは言わない方向へ舵を切る。
が、
「ないわねぇ」
「とすると、もしかしたら。自殺ではないかもしれませんねぇ」
この女、最も恐れていた事態へ話を持っていこうとする。
あんな、どう見ても自殺の状況だぞ!?
動機が見つからないくらいのことで、あっさり話が変わるのか!?
彼としては信じがたいことだが、現にそうなっているのだから仕方ない。
「じゃあ誰かが睡眠薬を飲ませて、それから自殺に見せかけたってこと?」
警察でもない同僚が誰ともなく、嫌な核心を突いてくる。
しかしそうなるだけの、話の流れになってしまっているのだ。
「首吊りが怖くて飲んだだけでしょう」
水久保が少し険のある声を出しても、高千穂は
「しかし自殺の動機がない」
妙に
深呼吸してタバコを灰皿に放り込むと、そっと彼女に促す。
「……外へ」
「はい」
高千穂もタバコを灰皿で揉み消し、喫煙所を出る水久保に続いた。
水久保は誰もいない廊下で足を止めると、ようやく高千穂の方を振り返った。
「一つ、心当たりがあります」
「なんでしょう」
「その、無闇に口外しないとお約束いただけますか?」
「お約束します」
ヘルメット女はニヤリと笑う。しかし水久保が笑い返すことはない。
何せここからは、隠せるものなら隠しておきたいことを。下手すれば無用の疑念を持たれてしまうかもしれない、諸刃の剣を繰り出すのだから。
「私は明音と交際関係にありました」
「まぁ大人の男女が家に訪れるような関係なら、そういうものでしょう」
高千穂は腕を組み、大きく頷く。
しかしここからは、そんなメロメロの話ではない。水久保はバツの悪そうな顔を浮かべておく。
「ですが実は、私には故郷に残してきた女性がいるんです」
「おや!」
彼女は大仰に声を上げてから、周囲に人がいないか見回した。わざとなら性格が悪い。
「その彼女が、今度こちらに来るらしいんです。別れていない相手がいる、それが明音にはショックだったんでしょう」
精一杯しおらしい声を出すが、対する高千穂はわざとらしい、すっとぼけた声を出す。
「しかし、それだけで急に死んだりするでしょうか?」
どうやら水久保自身の口から、はっきり言わせるつもりのようだ。
こいつ……!
奥歯を噛み締める水久保だが、こうなっては仕方ない。もう切れるところまで身を切るしかないだろう。身を棄ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。
「……はい。私は榛名、故郷の女性の方を選びました」
「そうですか」
「おそらくはそれが自殺の原因でしょう。かわいそうなことをしました」
水久保は区切るように大きく深呼吸をする。
これでどうだ。言うだけ言ってやったぞ。自殺の動機はじゅうぶんだろう。
普通は言えないようなことをここまで白状したんだ。さっさと自殺で処理しろ!
思わず睨みつけそうにすらなるが、対するこのヘルメットは
「えーと、うふふ。大変申し訳ないんですがぁ、うふふ」
少し顔を
「なんですか」
「自殺でないことは、すでに分かっているんです」
「……なんだと」
この女!
叫ぶ一歩手前。
しかし高千穂は剣呑な彼に気付かないのか、怯まないのか。ニヤニヤしながら愉快そうに続ける。
喫煙所からずっと。親しい人が亡くなった相手に対して、あまり褒められない態度だとは思っていたが。
今はそのニヤつきに、明確な悪意を感じる水久保だった。
「犬養さん。彼女、食事の準備をしていたんです。これから自殺するというのに、ご飯食べようとしていたんです」
「それがなんだと言うんですか。仕込みには時間が掛かるものです。そのあいだに気が変わることもあるでしょう」
反論するも、高千穂の調子が崩れることはない。
「それはあるかもしれません。が、しかし。根拠はそれだけではないんです」
「なんですか」
「実はですね水久保さん。現場に残されたマグカップのコーヒーから、睡眠薬が検出されたんです」
「それが!?」
話が進まないことにイライラし始める水久保。対照的に彼女は、どんどん楽しそうになっていく。
「だっておかしくありませんか? 彼女、錠剤の睡眠薬を、わざわざコーヒに溶かして飲んでるんですよ? 溶けやすい粉薬ならまだしも、そうそう溶けることはない錠剤を。そもそも一口で飲めばいいものをです」
「……つまり?」
「自分で睡眠薬を飲む時に、こんな手間はかけません。つまり? 誰かが犬養さんに気付かれないよう睡眠薬を飲ませるために。コーヒーに混入したと考えられます」
人差し指を立てる高千穂に、彼もさらなる反論を試みる。無駄な気はするが。
「そして首吊りに見せかけて殺した、と。ですが例えば、殺人ではなく。睡眠薬を飲まされて乱暴された。起きてからそれに気付いて自殺したということは?」
「検死では暴行の痕跡は確認されていません」
「そうですか」
「というわけで。今回の件は、他殺である可能性が極めて高いんです」
高千穂はまるで、推理を自慢するかのように胸を張る。
しかし水久保とて、ここまで一連の会話によって。彼女がそのために来たのではないことくらい、よく分かる。
「……刑事さん」
「なんでしょう」
先ほどまではしおらしく演じていたが。今度はやましい印象を与えないよう、真っ直ぐ相手を見据える。
「他殺だと分かっていながら、自殺の原因をしつこくお聞きになった。あなた、私が明音を殺す動機を聞き出すのが目的だったんじゃないですか? 私が明音を殺したと言いたいんじゃないですか?」
対する高千穂は大仰に手を左右へ振る。
「いや、いや、いや、そんなまさか」
しかしその仕草はどう見ても、思ってもいないことを言っている時のそれだ。
それが余計に、水久保の神経を逆撫でする。
「下手な誤魔化しはしないでいただきたい。それならはっきりと言いますがね。昨日、遺体安置室で。刑事さん同士の会話を立ち聞きしてしまいましたけど」
「喫煙所を探しておられました、あの時ですね」
「そうです。それによれば、明音が死んだのは十三時半から十四時半のあいだなんでしょう? その時間、私は職場にいました。調べれば分かります。明音の病状なんかよりもすぐ」
「なるほど?」
一応は納得している態度なので、彼も話を締めに掛かる。
「そういうことです。私に明音を殺すことは不可能です。変な容疑は掛けないでくださいよ」
言うだけ言えた水久保は、余計な反論をされるまえにさっさと立ち去る。
高千穂も、ニヤつきつつも追い掛けてはこない。どうやら水久保の反論はうまく行ったようだ。
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