5.晩御飯は横着しないこと

 高千穂が桜田門に帰ってくると、松実が彼女のデスクの隣で待っていた。


「お疲れさまです千中さん」


 彼は立ち上がって礼をする。変なところで律儀な性分だったりする。


「やぁ松実ちゃん。お疲れさま。そんな毎度人のデスク間借りしてるなら、いっそ席替えする?」

「嫌ですよデスクが千中さんの隣とか。絶対植民地にされるんだもん」

「じゃあ松実ちゃん私のデスク国外だから関税掛けるね」

「意味が分からない……」


 ドン引きの松実だが、気を取り直してメモ帳を開く。


「水久保さんのここ数日の動き、追えるだけ追ってみましたよ」

「ありがとう。報告して」

「えーと、と言ってもあれですね。特に目立った動きはありません。出社して。仕事して。帰りに同僚と飲みに行ったり行かなかったりして。社宅に帰る。帰宅後いつ何をしていたかは……。犬養さんが亡くなる前日、薬局で買い物している姿が防犯カメラに映ってたくらいです」

「そっか」


 高千穂があごに手を当て、視線を下げる。松実はメモを閉じてその顔を覗き込む。


「にしても千中さん。水久保さんの足取りを調べろなんて、もしかして彼を疑ってるんですか?」

「さぁて、どうかな」


 明らかに適当な返事。


「それより彼、薬局で何買ったのかは分かってる?」

「えぇー? あの睡眠薬は犬養さんの持ち物ですよ? まさか水久保さんが薬局で睡眠薬買ってきた! とか言うつもりですか?」

「んなわけないでしょ。それよりも松実ちゃん、警察官のくせにまさか。その辺の聞き込みサボったんじゃないだろうね?」

「いや、だって、容疑者でもないんですし。足取りさえつかめたらそれで……」

「さっさと薬局での一挙手一投足聞いてこい!」

「やっぱり水久保さん疑ってるんだぁー!」


 ヘルメットを鈍器のように振り上げた高千穂。手抜き刑事は逃げるようにして聴取へ走っていった。






 夜。仕事を終えた水久保が社宅に帰ってくると、


「どぉも」

「……」


 癪なヘルメット女が、恋人か何かのように。この寒い中健気なで待っていた。

 昼間あれだけ言ってやったのに。厚顔無恥というか度胸が座っているというか。


「なんですか」

「お昼のお詫びと言ってはなんですが」


 高千穂が両腕を胸の高さで突き出すと、買い物袋がぶら下がっている。


「なんですか、それ」

「いえね? 事件のあとってショックで食事が喉を通らない方、多いんです。若い男性なんて特に食生活が雑……失礼。まぁとにかく、健康に不安が生じないよう。しっかりした食事をしていただこうと思いまして」

「警察っていうのはそこまでケアしてくれるんですか」

「いえ、個人的なことです。お昼のお詫びですから」


 彼女は上目遣いで微笑む。


 なんだ、そういう殊勝な笑い方もできるんじゃないか。


 少し笑ってしまいそうになる水久保であった。


「というわけですので、上がってもよろしいですか?」

「嫌だと言ったら?」

「食材を腐らせないとお約束いただけるなら」


 買い物袋を突き出す高千穂に、水久保は今度こそ笑った。


「いいですよ。上がってください」


 根負けである。別に明音を殺した証拠が置いてあるでもないのだし。






 水久保の部屋に立ち入った高千穂。あまり露骨にキョロキョロ検分したりはしないものの。

 見るところは見ているようだ。


「おやぁ、せっかく立派な灰皿、大変なことになってますよ? たまにはにしないと」

「そうですね。それより、今日は何を作っていただけるんでしょうか?」


 話題を振ると、彼女はキッチンに買い物袋を置いて手を洗う。


「うふふ、寒いですから肉じゃがでも。まぁ初めて作るので、味は期待しないでください。あ、鍋あります?」

「普通の鍋なら足元の収納に。ずいぶん使ってませんから、先に軽く洗ってください」

「鍋をずいぶん使ってないとは、自炊とかなさらないんですか」

「刑事さんの推理どおりね」

「うふふ。あ、ホントだ。ゴミ箱がカップ麺と冷凍チャーハンばっかり」



 彼は高千穂の方を見ずに、テレビとタバコの火をつける。画面では仰天の節約術がどうとか言っている。


 オレには関係ないな。


 煙を吐き出していると、


「おやぁ?」


 急にキッチンから頓狂な声が。


「なんですか」


 思わずキッチンの方を見ると。

 高千穂が冷蔵庫の戸を開けたまま、こちらを振り返っている。


「いえね? お醤油がないか探していただけなんですけども。それにしても、うふふ、いけませんよ水久保さん」

「何がです、か……」


 水久保は彼女が手にしているものを見て、思わず言葉に詰まってしまった。

 なぜならそれは、


「チャーハン。冷蔵室の方に入ってました。ほらここ、冷凍って書いてあるでしょ?」

「あぁ……」


 しまった! 昨日はつい浮かれて外食してたから、冷蔵庫や冷凍庫を開けることがなかった!


「冷凍庫に入れておきますね。もう手遅れかもしれませんが」

「あ、いや、自分で……」


 制止するより早く、高千穂は冷凍庫を開けてしまった。


「よかった。ちゃんとしまうスペースはあるみたいですね」

「あ、あぁ、そう……」


 水久保は呆然とタバコを口へ運ぶ。体が無意識に、ニコチンの摂取で落ち着きを求めたか。


 大丈夫、大丈夫だ。確かに冷凍チャーハンを冷蔵庫に入れていたのは不自然だが。

 そこから殺人の尻尾なんかつかめはしないはずだ。凶器が入ってるのでもなければ、冷却ジェル枕だってもう捨てた。

 オレのトリックまで、つかめやしないに決まっている……。


 そう思うしかない。

 対する高千穂は、


「あとは煮えるまで待つだけです。あ、それまでアニメ見ててもいいですか?」


 水久保の気も知らず、棚に並んだブルーレイを物色している。

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