4.レキソタン

 明石家の玄関にて。高千穂たちがインターホンを鳴らすと、妙齢の女性の声で応答があった。


『はい?』

「ごめんくださぁい。警察のものなんですがぁ」


 外が映るタイプのインターホンなのだろう。カメラらしきものがあるので、高千穂はそこに手帳をかざす。


『警察の方!? えっ、何かしら……。あっ、すいません。今出ます』


 通話が切れると、二人は顔を見合わせる。


「千中さん。僕、こういうとき、いつも市民の皆さんを驚かせて。なんだか申し訳ないような気持ちになります」

「分からんでもない」


 めずらしく意見が合致、頷き合うのだった。






 母親に通されて、二人は小春の部屋にやってきた。軽くノックをすると、


『どうぞ』


 ノイローゼというよりは、警察の来訪に緊張したような声が返ってくる。


「精神が不安定な人を怖がらせて、僕は……」

「うるさい男だな。シークレットブーツの訪問販売員にでも転職しな」

「あーっ!? あんた言ってはならないことを!?」


 低身長男の悲鳴を無視し、高千穂は部屋のドアを開ける。


「どぉもぉ。私、警視庁捜査一課の千中と申します。こっちは松実」

「こっちって、そんなみたいに」

「ふふ。明石小春です」


 小春も笑ってくれたのでよし。さっそく話に入る。


「お加減いかがですか?」

「今日はいい方ですよ」

「それはよろしいことです。でしたらちょっと、お話しさせていただきたいのですが」

「喜んで」


 人のいい笑顔が返ってきた。






「そんな、正貴さんが……!? そんな、そんな……!」

「……」

「……」


 取り乱して泣く小春を、二人はどうすることもできなかった。


「千中さん、僕、こういうときばっかりは……」

「それはもういいよ」

「うっ、うっ……」


 二人は背中を丸めて嗚咽する彼女へ視線を戻す。


「……ちょっとそっとしとこう」

「はい」

「お母さんの方に話聞いてくる。松実ちゃんはこの子見といたげて」

「えっ? ちょっと待って、その!」


 高千穂は松実の両肩を抑えて無理矢理床に座らせると、そそくさと廊下へ出ていった。






 小春の母はリビングにいた。落ち着かない、手持ち無沙汰な様子で食卓の椅子に座っている。高千穂は対面に腰掛ける。


「あのぅ、お母さん」

「な、なんでしょう」


 相手は明らかに動揺しているが、高千穂はそこに容赦ない質問をぶつける。


「昨日の二十時から二十一時あたり、皆さん何されてましたか?」

「いったいどうして?」


 小春の母は「言われている意味が分からない」という顔。それに対して高千穂は、やや遠回しな詰め方を継続する。


「あぁいえいえ。形式的なものなので」


 刑事ドラマで聞くようなワードに、彼女もピンと来たようだ。緊張で頭が回らないのだろう。


「もしかして、小春が容疑者、とか……」


 高千穂の思惑はそこではない。彼女は相手を安心させ話をスムーズにするべく、大仰にハンズアップをする。


「いえいえ、決してそんな。むしろその疑惑を晴らすためです」

「そうですか、安心しました……」


 本当に安心したというよりは「そう思うことにしよう」という感じ。それでも気持ちを切り替えるように、昨日の回想へ取り掛かる。


「私と旦那はリビングで寛いでいました。小春は絵梨ちゃん、友人と部屋にいました」

「絵梨ちゃん、五木さんですね」

「はい」

「そうですか。五木さんはこちらにいらしてた」

「はい」


 高千穂は軽くテーブルに身を乗り出す。


「そのあいだ、五木さんのことはお見かけになられましたか?」

「えっ?」

「五木さんの姿を、ご覧になられましたか?」


 やたら念押しで聞くので、小春の母はもう一度記憶をたどる。


「いえ……。一緒に食事をして、次に見たのは絵梨ちゃんがお風呂に入る時だから……、見てません。あの晩、小春は食後すぐに寝てしまったんです。ですから起こしてしまわないよう、部屋には近づかなかったので」

「そうですかそうですか。ありがとうございます、大変な時に」


 高千穂はニヤニヤ笑ったが、


「いえ……」

「どうかなさいましたか?」


 小春の母は何か引っ掛かるような顔をしている。


「いえ、警察の方にお話しするようなことでは」

「まぁそうおっしゃらずに。得てしてそういう些細なことが大切なものです」


 笑顔ではあるが食い下がるので、彼女もポツポツ口を開く。


「娘のお薬カレンダーを見たら、頓服薬が一錠減っていたんです。でも本人に聞いても『飲んでない』って。心のお薬で、睡眠導入剤にもなるだけに下手な飲み方してたら心配で……。あと、あの子最近薬を飲まないと寝られないことが多くて。そういえば、その小春が昨日は早くから寝たものだから、やっぱり」

「なるほど」

「なにか夢遊病とか記憶障害みたいなことを起こしてるのかも、と思ったら……」


 俯き気味になった小春の母。高千穂はニヤニヤとは違う、はっきり相手を気遣うような笑顔を見せる。


「でしたら私からも小春さんに聞いてみます。本人か、そうだ、五木さんの方が何か知っておられるかも。そちらにも聞いてみましょう。また捜査の過程でお会いすると思うので」

「お願いできますか?」


 すがるような目に、高千穂も大きく頷いて見せる。


「もちろんです。ちなみにどのような薬か見せていただいても?」

「はい。こちらです」


 二人はお薬カレンダーが掛けてある廊下へ向かった。






 小春の母はお薬カレンダーから一つを抜き取る。


「このレキソタンっていう」

「少し拝借」


 高千穂は薬を受け取り、まじまじと眺める


「ほぉー。よく気づきましたねぇ。私なら一錠くらいなくなっても分からない」

「こういう薬ですから、細かく管理しているんです」

「感服です」


 高千穂は笑い掛けながら薬を返すが、彼女は別の方へ意識が行っているようだ。


「それより、さっきから娘が泣いているんですが、何が」

「あー、いえ、娘さんの先輩がですね。昨日亡くなったんです」

「あぁ、あの正貴さんとかいう」


 表情が僅かに曇る。


「はい。同窓会の帰り、酔って滑ってお亡くなりに」

「……そうですか。へー」


 なんだかドロドロしだす小春の母。まぁ、娘をノイローゼに追い込んだ男なのだから当然である。


「あ、じゃあ娘さんにもお話し聞いてきますので」


 高千穂も深入りせずに逃げた。






 高千穂が小春の部屋に戻ると、彼女はすでに泣き止んでいた。


「あ、千中さん」


 松実がなのは変わらない。


「明石さん、大丈夫ですかぁ?」


 ゆっくり顔を覗き込むと、彼女は大きく頷いて見せる。


「はい。同窓会へ行った帰りに、酔って教会へ乗り込んだんですよね? そんなに酩酊していたのなら、きっと幸せな気分で死ねたのでしょう」


 立ち直ってくれたのなら、不用意に殺人事件と伝えなくて正解だったようだ。


「かもしれませんね。それでですねぇ。昨日の晩、お加減いかがでしたか?」


 この状況での聴取。松実はとがめるような顔をしたが、小春の方は気にせずスラスラ。


「昨日の晩は夕食があまり食べられなくて、ビタミン剤を何錠か飲んだんです。そしたらすぐに眠くなったので寝ました。そのあとはめずらしく朝までぐっすり。絵梨……同僚の五木さんがよく知っていると思います。ビタミン剤をくれたのも彼女です」

「そうですか、五木さんがビタミン剤を」

「はい」

「なるほどなるほど。あぁそうだ、あと、頓服薬が一錠なくなっているのですが、飲まれましたか?」


 小春も今度は首を横に振る。


「母にも聞かれましたが、飲んでいません」

「飲んだのはビタミン剤だけ」

「はい」


 小春がはっきり頷くと、高千穂は覗き込むようにしていた顔を離す。


「いやぁ、そうですかぁ。ありがとうございます。お邪魔しました。帰ります」

「そうですか」

「えぇ。ご協力ありがとうございます」

「いえいえ。私でよければ、いつでもいらしてください。大体は家で静養しているので」

「はぁい。お大事に」






 明石家を出た高千穂はベスパのエンジンを入れる。


「松実ちゃん、科研かけん行ってレキソタンっていう薬について詳しく聞いてきて」

「レキソタン? なんですかそれ?」

「んー、小春さんの薬なんだけど、なんか一錠なくなってるみたいで。お母さんが心配してた。飲みすぎとか誤飲しても大丈夫な薬、とか分かればご安心なされる」

「……誤飲してマズかった時は?」

「……」


 ベスパが勢いよく走り出す。


「あっ、逃げた! ていうかまた置き去りにされたぁ!」


 松実は走って追い掛けたが、さすがに人力でベスパに追い付けたら世話ない。


「あれ絶対時速30よりスピード出てるって!」


 彼の抗議は誰に拾われることなく、虚空へ消えていく。

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