2.小男とヘルメット

 今日は日曜日でもクリスマスでもない。

 しかしこの寂れた教会は大賑わいの様相である。駐車場はいっぱい、路駐まで。多くの人が出入りし会話が飛び交う。

 ただ今の時点においては、この教会こそが日本一の大盛況である。



 来訪者が全て警官と鑑識であることに目を瞑れば。



 その敷地の入り口でしている男がいる。

 小柄でそのうえ童顔。実際新卒から数年程度だが、風体ふうていのせいでそうとすら見えない。スーツが非常に似合わないのだ。

 男はスマートフォンを握り締め、表の通りを凝視している。


「遅いよ、遅いよ」


『私は肉食獣から逃げてきた小動物です』とでも言わんばかりの、恐慌状態に似た落ち着きのない様子。

 その小動物の耳が、軽いエンジン音を捉えた。


「あぁ! やっと来た! 千中せんなかさーん!」


 男は音の方向へ必死に手を振る。視線の先には一台の黄色いベスパ プリマベーラ。それがゆっくりと男の前で止まる。


 ベスパから降り立ったのは女性だった。

 白地で、左サイドに大きな黒の星マークが入ったハーフヘルメット。その下、ゴーグルの向こうは睫毛まつげが長い。

 体躯は男性ほどではないが女性には長身と言えるくらい。何より、首筋だけでじゅうぶん窺える痩せっぽちの細っこさ。より彼女をよりヒョロ長く見せる。

 その体躯を、千葉のプロ野球球団みたいなストライプのボタンダウンシャツ。モスグリーンのフライトジャケット。くるぶしまであるガウチョパンツ。レディースサンダル。

 野暮ったい服装で包んでいる。


「遅いじゃないですか千中さん!」


 辛うじて彼女より背が高い程度の男はご立腹のようだ。対する千中と呼ばれた女性、千中高千穂たかちほはゴーグルを上げる。哀れなモノを見る目が覗いた。童顔の男に比べると大人の顔つき。二十代後半くらいか。


松実まつみちゃん。第一種原動機付自転車の法定最高速度は時速30、速いわけがないんだよ。警察官のくせに、君はそんなことも知らないの?」


 松実ちゃんと呼ばれた男、松実士郎しろうまくしたてる。


「パトカー乗せてもらえばいいでしょ!」

「自宅から直で来たもんで」

「だったら! どうして! スクーターで現場に来るんですか! 自動車免許持ってるんでしょ!?」

「車の運転は好きじゃないんだって。何度も言わせるな。教習所以来運転してないの」


 高千穂はコバエを振り払うような仕草をする。


「『セナ』なのに?」

「自称じゃないから」

「だったら僕がお迎えに上がりますよ」

「君の運転は酔う。それより報告して」


 高千穂が言い合いを打ち切ると、松実はメモ帳を取り出しつつ教会内へエスコートする。


「どうぞ」


 ちなみに彼は、ベスパ プリマベーラが排気量125cc以上。つまり時速60まで出していいことを知らない。

 つまりことに気づかない。






「おやまぁ」


 高千穂がため息のように呟く。

 目の前には、頭から血を流して死んでいる男性。そのわりに落ち着いたリアクションなのは、


 彼女が立派な警察官、それも警視庁捜査一課だからだ。


 たとえ屋内でもヘルメットを被ったままの、冴えない風体だろうとも。


 松実がメモをめくる。


「遺品の運転免許証によると、亡くなったのは西城戸正貴さん二十六歳。都内のスポーツ用品メーカーに勤めていることが名刺から分かりました。ちなみに遺品は財布と中身。一万二千円残っており、各種クレジットカードなども盗られていません……と名刺入れ。あとは仕事の資料らしき書類が入った鞄のみです。通報があったのは今朝九時十六分。この教会の牧師である牧原牧雄まきはらまきおさんから。朝の礼拝に来たところ、死体を発見したそうです」

「朝のお祈りって、もう少し早い時間にあるもんじゃないの?」


 高千穂は死体に向かって、左手だけで半分の合掌をする。雑な合掌かと思えばちょこちょこ動かしている。取組後に懸賞金を受け取る力士かのよう。


「……何してるんですか」

「十字切ってるんだよ。仏さんキリスト教徒かもしれないし、その辺ケアしないと」

「十字は合掌の手付きでやるもんじゃないですよ」

「細かい男は嫌われるよ。続けて」


 高千穂はしゃがんだまま。


 さすがにメッカの方角に向かって礼拝はしないみたいだな。


 松実はメモに視線を戻した。


「牧原さんによると、帰宅する十八時前の時点で死体はなかったそうで。西城戸さんが亡くなったのはその後かと」

「牧師さんが帰ったあとで、彼はどうやって教会に入ったの」

「いつも戸締りはしないそうです」

「雑だな」

「千中さんほどじゃないです」


 松実のすねに肘が飛ぶ。


「あって!」

「余計なことは言わずに報告するべきじゃないかね、松実ちゃん?」

「はい……。死因は頭部の打撲。状況から見て、西城戸さんは無人の教会へ侵入。しかし中が暗いので、脚立を登って燭台に火をつけようとしたんでしょう。その際に足を滑らせて落下、ご覧のとおり真下のブロンズ像に頭部を直撃」

「この、血まみれのマリア像?」


 高千穂は薄く埃が張った台座をじーっと見つめる。


「はい。それで死亡、といったところでしょう。事故ですかね」

「ふーん」


 ようやく彼女は立ち上がった。


「この人、なぁんでわざわざ明かりもついてない教会に乗り込んだんだろうねぇ」


 松実はメモをパラパラとやって、


「酔っていたようなので、気が大きくなってつい?」

「酔ってたの」


 彼は死体の手元を指す。


「ご覧ください、ビール瓶握り締めてます。飲んでたんでしょう」

「んー? そう。……うふふ」


 対して高千穂は少し笑うと、鑑識を呼び止めた。


「ねぇ、このマリア像触っていい?」

「どうぞー」


 さっそくマリア像を少し持ち上げるも、すぐに元の位置へ戻す。


「これは事故ですね。僕ら捜査一課の出る幕じゃないです。帰りましょう」

「ねぇ松実ちゃん、マッチかライター貸してよ」


 高千穂がポケットをゴソゴソし始める。


「持ってないですよそんなの」


 彼女はタバコを取り出した。ネオンみたいなデザインのイラストが載った、真っ黒の箱。


「被害者の遺品でいいからさ」


 そのまま流れるように、箱からタバコを取り出す。


「遺品の内訳は説明したじゃないですか。そんなものはないし、第一ここは喫煙所じゃありません。……今、被害者っておっしゃいました?」

「残念。でも遺品にマッチもライターもないなら確定だね」


 高千穂はタバコをしまうと、グッと胸を張る。



「これは事件だ」



「どういうことですか!」

「松実ちゃんメモ帳んなってるよ」

「え? あ、あぁ、はい」


 少し松実がおとなしくなったところで仕切り直し。


「ただの事故ではありえないことが多すぎる」

「ありえないこと?」

「一つ目、マリア像が立っている」


 高千穂はマリア像を指差す。


「それが?」


 僕としては事故ってことにして早く帰りたいんだけどな。


 松実はそんな態度を隠さない。


「このマリア像、台座に固定されてない。このように持ち上がります」


 高千穂が実演販売士のようにマリア像を上下させる。


「そんなことよくありますよ」

「じゃあ固定されていない像の上に、脚立の上の高さから。人が頭打っておっぬほどの衝撃で落ちてきたら?」

「あ!」


 彼女は松実の驚き顔で満足そうに頷くと、マリア像を台の上に戻す。


「そう、こんな風に」


 横倒しにして。


「倒れる。なんなら吹っ飛んで台座から落ちる」

「確かに! 動いて倒れるはずのマリア像が立っているということは、元に戻した人物がいるってことですか!?」

「そう。そして二つ目、死体がビール瓶握ってる」


 今度は死体の手を指差す。


「これも!」

「そう。よしんばビール瓶握ったまま脚立登るなんてことを決行したとしても。普通は落下の衝撃で手から飛んでくはず。そのまま握られてるってことはありえない。これは被害者が酔っていたことを強調したいがための細工だよ」

「ていうか普通は割れますよね」

「どうかな。案外ドラマほど簡単にゃ割れないよ」

「そうですか。つまりマリア像よろしく、ビール瓶も遺体に握らせた人物がいる、と」

「そう。おまけに被害者はマッチもライターも持っていない。どうして燭台に火をつけるなんて発想に至ったのやら」


 高千穂は天井を見上げた。古い白熱灯が光っている。


「電気も通ってるのにね。明らかに、一連の状況を作り上げ、事故に偽装した人物がいる」


 対する松実はくしゃくしゃのメモ帳に書き込みをしながら、


「で、では殺人事件の方向で捜査を進めます!」


 目をグルグルさせていた。

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