第55話 また男湯ですね


「底と側面は2重にするから、きれいに敷き詰めて」

「蓋のところは折り返して」

「クラフトテープを使って」

 

 業務用の大きな段ボールがリビングに集められ、千早の指示に従って男子たちが協力して作業を進めている。

 千早の隣、ソファの上で見慣れない光景を眺める子ぎつね。

 横長の箱を縦に並べ、互いに接した面は切り取られて二つの箱の境界が消えた。

 これではすぐに二つに分解してしまうので、細長い底と二つの側面の大きさにぴったり合う板を別に作成する――それぞれの板は強度を上げるために3枚を組み合わした――段ボールの切り口を真横から見ると波のようにうねる紙が平たい紙にはさまれた構造になっており、波が進む方向には強いが、波間を抜けるのには脆弱であるので、箱の中心に強度をもたせるために、波が進む方向に揃えて各板は組成された。

 箱の内側の5つの面の全てに板が重ねられ端がぎゅっと詰められると、やや歪んでいた細長い箱はぴんと張って形が整う。

 最後に、段ボールに元々付いていた蓋の部分が内側に折り返され、クラフトテープでぐるりと張られて留まった。


「まあ、訓練のために作った偽物だからこんなものか?」


 棺の縁に添えた手を滑らせて触り心地を確かめるイワウ。

 折り返された蓋の中に補強板の切り口は隠されているので、彼女の手はするすると滑る。

 本物と比べればずいぶん小さいし、素材は段ボールであるが、イワウが「まあいいよ」と言うの聞いて、私たちは材料の残りと道具やらを手早く片付けて、段ボールの棺をリビングから運び出した。


  **


 カコーン


 うっかり蹴飛ばした風呂桶が浴場で鳴り響く。

 私とベルは、浴槽の底が乾いていることを確認してから、段ボールの棺をそっと置いた。

 一度上がってやや距離を取って見る。

 段ボールの茶色が異彩を放っている。

 タイルは水色なので、浴槽が空でも棺が水に浮かんでいるように見えなくもない。


 夕方の男子浴場に、ユニットCのメンバーが揃っている。

 械奈を呼ぶと、黒光りするイワウの頭上から応答が返ってきた。

 日本にいる全ての公国人が集まっている。


「私たちだけというわけじゃなく、イワウさんのスマホで捉える画像と音をずっと流してますからみんな見てますよ」


 スマホを取り出して見ると、浴室に不自然なマントをまとう者が映っている――私である。

 イワウの頭上の画面は黒光りを続けている。


 寮生が見守る中で私たちは訓練をはじめる――


 段ボールの棺に乗りこむイワウと私。

 横に並ぼうとしたが棺の幅はそこまで大きく作られていないので、身体を寄せて側面の板をたわませないと入りきらない。

 前方の視界を確保しなければならないという理由で私が前、イワウが後ろに位置を変えてダンボールの床に座り込んだ。

 イワウの背中には聖符の入った旅行鞄が置かれている。

 さらに後ろ、浴槽の縁に腰掛ける姿勢で3人の公民が並んでこちらを見ている。


「はい、スタート」


 ぱぁん、と手を叩いた音が浴場に響く中、千早の抑揚のない――でも容赦のない掛け声が発せられる。

 

 まず……どうしよう、ええっと。


「……来世の国に参ります」


 とりあえず行き先を述べた。が、すぐに。


「声が暗い! ぼそぼそと誰に向かって喋ってんの? 本番だと思ってやらなきゃ何の意味ないよ、稽古なめるな、やり直し!」


 千早の怒声が後方から打ち込まれる。

 しかし、彼女の言うとおりである。段ボールの棺に乗って遊んでいるわけじゃない。

 棺の縁を掴み、両膝を舟床に付けて立った姿勢で腹に力をこめてから、


「まず、来世の国に行く!」


 声を張って言った。

 3千4百と7枚の聖符を先に片付ければ荷が軽くなる、そうすれば舟が進む速度が上がるかもしれない。振り向くと、イワウが頷いて聖符の鞄に手を当てる。


 天井を見る。浴場の照明は明るいが、みんなに分かるように、


「真っ暗な闇である。月の光は海には届かない。棺の放つ仄かな光で水面に揺れるのが分かる」


 声に出して舟旅の情景を示した。

 舟体をぐるっと眺めて、


「水に浸かっても棺は光を保っている。影になるのはやはり私だけだ」


 消えかけている両手を広げて眺めていると、どしん、と背中に衝撃。


「だったら何だ! 勝手な真似は許さない」


 舟床で立ち上がったイワウが旅行鞄を私の背中にぶつけて叫ぶ。

 宙に手を浮かべていた私はよろけながら舟の縁を掴み、体勢を立て直した。

 こちらを睨みつける目と合うと更に視線は鋭さを増す。

 いがみ合うのは嫌だが……、イワウもそうだろうけど……。

 舟は進んでゆく。


「聖符から放たれた蛍火のような魂が岸に向かって飛んでゆく」

 

 来世の国に至った私は、旅行鞄を開けて最初の役目を果たした。

 舟の縁を両手で掴みながら、私が何か言ったら言い返そうと構えるイワウ。


 そのまま、金魚の国、ヒトの国、そしてむらさきの国、順に私たちは至った。

 火狩、ベルと械奈、千早に別れを告げる。


「じゃあ、来世の国へ戻ろう」

「いやだね、わたしはここを動かない」


 舟の上で私たちは対峙する――

 言い争いが口火を切る寸前――

 

 ぱぁん


 千早が手を叩いて音を響かせる。

 力も入れずにどうやってあんな大きな音が出せるのか分からない。


「ダメね、もう1回。暗いわー。金魚の国に向かうところからやり直しましょう」

 再びの稽古が指示された。正直に言うとしんどい。


「頑張りすぎはいいことない」


 そう言う火狩の手には風呂桶が握られている。

 少なくとも彼を金魚の国に運ぶことはできたことに私は確かな喜びを感じた。

 

 ――できることしかできねえ、これ当たり前ぇ

 ――どくどく鼓動俺にゃそれっきゃねぇ、捕まりたくねえ

 

 急にデカルトの言葉が胸に浮かぶ。自転車を立ち漕ぎながら彼はそう叫んでいた。


「ぎゃはははは」

 試しに私はデカルトの笑い方を真似てみた。


「どうしたの? 大丈夫? やっぱり頭痛いの?」

 こちらを見て心配するイワウ。


「イワウ、試しにヤンキーたちが言いそうなこと言ってみて」

 活路を探して私は問いかける。


「右みて左みてもう一回右みてー、きゃははは、トゥルーエンドをターンライト!」

 指差し確認した後、イワウは真っ直ぐに前方を指差した。

 

 舟の上で笑い合う声が浴室に響きわたる。

 

「来世の国へ運びたかったな、その顔は影になったら見えないよ」

「わたしは聖王様が笑ったら分かるよ」


 彼女の決意を変えることはできない。二人で選ばれた者なのだ。


 私たちは結論を出した――



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