第48話 訓練なしの魔法です

 わずかに階段に残っていた陽射しを踏んで降りるベル。

 私たちの少し上の段まで来て、彼は少し膝落として私たちの顔と同じ高さにする。


「はじめまして、私はベル・ネイファスト。お互い知っていたのかもしれませんが顔を見せ合うのははじめてでしょう?」


「何ですか? ベル・ネイファスト。もう世界を壊すつもりはありません、心配は無――」

「いいえ、壊したって私は構いません」

 

 ベルが械奈の言葉を遮って言った。

 どういうつもりかは分からない。心地よい声が階段に響く。 


「械奈さんの好きにしたらいいと思います。きっと誰も止められない」

「何が言いたいんですか? 止めとこうと思いましたが本当にやっちゃいますよ?」

「どうぞ。助力したいのですが、械奈さんは一人の力で成し遂げるでしょう」


 私からはスマホの画面は見えない。

 械奈は表情を変えているのか? 

 イワウは不思議そうな横顔でベルを見ている。


「寮の外へ出て、ヒトになる別の方法を探すつもりですか?」

「…………」


 彼女の沈黙にはどこか迷う気配がする。

 

「だったら? これは何かの時間稼ぎか? 無駄なことです」

「いいえ、私は会話を楽しんでいるだけです」


 彼は胸のポケットに入れていたスマホ――画面が黒いままのものを放って捨てた。

 階段を滑り、何段か落ちてスマホは止まる。


「ほら、私は何もできないしスマホも要らない。械奈さんと話したいだけです、あなたの声は合成されたものですか?」


「嘘の偽物だ! だったら何だ!」


 ベルは少し顔を寄せて問いかける。


「ヒトの顔や声に惹かれるということもあるかもしれませんね。それだけですか?」


「……私はまだヒトではないから分からない」


「これは私の考えですが、外見ではない内面に惹かれることもありますよね?」


「そんなことってあります?」


「ありますよ」


 そう言ってベルは笑った。


「惹かれたらよく相手を見るから、外見に惹かれたのだと錯覚するんじゃありませんか?」

「へえ、そういうものですか、勉強になりました」

「理由がちゃんとある感情ではないような気もしますね」

「顔だけじゃないというのは理解しました、ぜひ今後に活かしたいです」


 雑談のような二人の会話が終わる。


「ヒトになったら、言ってみたり、言われたい言葉がありますか?」

「それはもうい――」


 ベルは人差し指を彼の口に当てて言葉を遮る。

 そして指は離れた。

 穏やかなベルの表情、視線だけが鋭くなる。


「あなたと、、はっ、これは難しい」


 顔と首、彼の白い肌が染まる。

 画面をじっと見ながら膝に置く両手、全身にぎゅっと力をこめるのが分かる。身体の緊張が緩められて、彼は小さく息を吐き、静かに長く肺を満たして身体がふくらむように大きくなる。

 再び声が発される瞬間――


「止めろ! ベル・ネイファスト! 何の罠だ! 私は騙されはしない」叫ぶ械奈。


「どう判断するかは自由です。私の言うのを最後まで聞いてからにしてください」


 彼はゆっくりと、緊張を潜めて安らぐ声で、


 ――あなたと一緒にいたい、ずっと一緒にいたい、他の誰にも渡したくない


 呪文を唱えた。


 言い終わった彼は呆然としている。

  

「どういう意味? なんで私に言うんですか?」


 械奈の反応で、はっとするベルは姿勢を正した。

 

「さあ、どうぞ世界を破壊していただいても結構です」

 

 普段の様子に戻った彼は英国紳士みたいに左手を腹に当て、右手を腰にやって礼をした。いや彼は確かに英国紳士である。


「これは私の考えですが、外見ではない内面に惹かれることもあります」

「そうなんですか?」

「はい、そうです、私の考えです……先ほど械奈さんに言ったとおりです」

「…………」


 礼をした体勢から膝を曲げて、彼は鞄の聖符を取った。

 頭上から視線を少し下げてイワウの顔を見るベル。


 ベルはいったん階段を上って、火狩から何か受け取って帰って来た。


「世界を破壊しますか?」再び問いかけるベル。

「今はいいです」短く答える械奈。


 ベルは二つの聖符にペンを走らせる。


 械奈

 ベル・ネイファスト


 名が記された聖符が私たちに示された。


「アスタさんとイワウさんがどうするかは自由にしてくださって結構です。でも私たちが預けるのも自由……ですよね」


 私は聖符を受け取った。3千4百と11枚になった。


「「ヒトの国へ」」


 ベルと械奈の声が重なる――


 二人――械奈はまだヒトじゃないが二人は、公民になると宣言した。

 

「まあ、託すのは勝手だけど、私たちは夏休みの後は正社員だからね」

「夏休みにアルバイト? それは……なるほど、働いた分の対価を得る、ということですか、実に有意義で楽しみですね」

「やっぱりいいなあヒトは、機械は働いてもお金もらえないんです」


 3人の会話を聞きながら階段で屈み、開く鞄の口を閉じる。

 またひっくり返すと危険だからだ。

 ビニール袋に入った聖符が見える。火狩と千早のだろうか。

 他とは別にして私はスウェットのポケットにそれを仕舞おうとした時――


 ビニールの内側、3枚目の聖符に記された名は彫り付けられている。


 イワウ・サンクタイッド


 彼女の名が聖符に記されている――なぜ? いつ? 


「ははは、スマホがないとバイト先に連絡できないからよかったよ」


 この聖符は3千4百と11枚にきっと含まれていない。


 イワウはこれをどうするつもりだったのだろう――

 イワウはこれをどうするつもりなんだろう――

 

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