第47話 お願いではありません

「役目を果たしてください」「わたしたちはもう日本人だから無理だねえ、すまないねえ」

「いいえ、やってください」「夏休みが終わったら正社員になるからねえ」


 頭上のスマホと言い合うイワウ。

 むう、という顔をした管理人――械奈は眼光を鋭くする。


「私はお願いしているわけではありません」


 突然、寮中に鐘の音が鳴り響く――

 慌てて寮生たちは自分たちのスマホを取り出すと、各自のスマホから寮のチャイムの音色が鳴り続けている。

 みんなと同じように画面を叩いたり電源を落とそうとしてみたがやっぱり反応はない。


 ――不穏に鳴り続ける鐘。


「聖符を持って来てください! 2階の共有リビングに置きっぱなしになってる」


 械奈が命じる。彼女はユニットFの寮生を名指しして、あなたの足元にある旅行鞄のことだと説明を加えた。人だかりが割れて、彼が大階段に運んで来る。

 代わりに、私は両手のカップを渡してキッチンに持って行ってもらった。


 二人が立つところの一段上において鞄の底の安定をしっかりと確かめる。

 

「どうしたら私の言うことを聞いてくれますか?」


 エントランスや居室の扉、給湯器の電源。

 械奈は、寮の設備を掌握しているし、全員のスマホも操ることができる様子。


 小さな画面から私を睨んでいる。

 

 私はもう役目を捨てた。

 普通の日本人にはなれない、償うことのできない罪を負っている。だか、普通じゃない日本人にはなれる。


 私は偽聖王にせいおう


 金魚のことを火狩が忘れないように、公民を捨てたことを私は後悔する。

 見渡すと2階にいて目が合う。子どもみたいに嬉しげな笑顔で彼はこちらに手を振った。風呂桶を見つめる彼の眼には金魚の幻影が映っているのを知っている。

 千早も見つけた。いつもと違って眼鏡を掛けている。ふわっとしていた髪は、耳の横あたりで無造作に束ねられている。優美さは潜んで、凛々しい気配は変わらない。彼女が昨夜からずっと小説を執筆しているのが分かった。


 ――公民を捨てたことを忘れない。

 ――でも私は日本人になろうと思うよ。


「機械に頼りすぎるのは良くないね。脅してもダメだよ、すまないねえ」


 瞳を上にやって言うが、自分の頭上はどうやっても見えない。

 謝ったイワウと同じ気持ちで、私はスマホの械奈を見た。こちらを睨む彼女。

 

「機械を全部捨てたって生きていける、私たちは機械なしでずっと暮らしてきたから本当だ。すこーし、ちょっとだけ、まあずいぶん不便になるけどね」


 鳴り続けていた鐘の音が止む。

 画面の械奈は表情を失くして黙っている。


「スマホ元に戻してー」「壊さないで! むりー」「管理人を説得しろ!」


 1階や2階、あちこちで悲痛な叫びや嘆願が飛び交う。


「すまないねえ、みんな。日本中のスマホが壊れても役目はもうやらない。だから機械なしで日本で暮らすことにするよ」


 ざざっ、と頭上のスマホの画面が乱れた。


「本当に壊しちゃいますよ!」「どうぞ、すまないねえ」

「寮に閉じ込めておくこともできるんですよ!」「私たちはどっかから逃げるよ」

「逃げても分かるから!」「じゃあスマホは置いてこう、偽聖王にせいおう様行こう」

「ちょっと待って! 全部捨ててくつもり?」「ああそうだ、すまないねえ」

「じゃあ、寮以外の全てを壊します」「ん? それは困るなあ」


 ようやく糸口を掴んだと笑みを見せる械奈。

 その下でうーん、と思案していたイワウが、


「まあいいよ、仕方ないここで暮らすか? そうするしかないね、寮の外を全部壊されたらここにいるしかないねえ」


 世界の崩壊が了承された――

 寮生たちはみんな動きを止める。静寂が寮全体をつつむ。


 ざざっ、と頭上のスマホの画面が乱れる。

 天窓からの光の筋は、陽が傾くにつれ動いていつの間にか階段を逸れている。


「機械は望んではいけませんか?」「すまないねえ、私たちは日本人だからねえ」


 膝を打った痛みを我慢する顔をする械奈。

   

「私はヒトの国へ行けませんか?」


 械奈はこちらを見て問いかけた。

 首を横に振って答えを示す。


「聖符を見せてくれませんか? 見るだけです」


 旅行鞄を開いて、聖符の一つを手に取る。

 画面の械奈はじっと私の手を見ている。

 

「ヒトになってみたかったなあ」


 叶わない望みが明るい声で発せられる

 彼女の気持ちを分かる者はどこにもいない。


「顔を……、勝手にイワウさんのを借りてすみませんでした」


 謝る彼女に、これからどうするつもりか尋ねる。


「……もうお会いすることはないでしょう」


 明るい声で彼女は答えた。

 イワウに似た姿の管理人――械奈はどうなるのだろうか、分かる者はどこにもいない。


「魔法の呪文を唱えてみたかったです。あなたや火狩さんが唱えてたみたいに。私はイワウさんが羨ましかった。一度でいいから、言ったり……言われてみたかったです」


 嬉しくてたまらない時のイワウの顔をして械奈は言った。

 

「この顔は借り物で偽物です。私にはないです、管理人を電話で呼んでくれただけです、あなたが言った、世界で一番美しいって感じのも良かったですよ」


 彼女はそのまま表情を変えずに、


「ヒトになって、言ってもらいたかったなあ」


 このまま表情を変えないつもりだと分かる。


「寮生のみなさん、さような――」

 


「械奈さん」


 低く深みのある声が管理人の名を呼んだ――

 私たちの視線の先、大きな靴が階段を踏む――



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