第44話 支払いは金貨ですか

 駅のベンチに二人。

 30分に1本の列車が来るのを待っている。

 日はもう高く上がっていて、ホームの屋根がベンチの私たちを陽射しから遮っている。

 スウェット上下でも風が止むと暑いぐらい。

 

 充電は? ――昨日、千早のを借りて充電した。

 電源入れたら問いかけてきただろう? ――日本と日本語を選んだよ。

 ウェブサイトはどうだった? ――単なる機械だね、便利なだけだよ。

 

 昨夜のうちに充電と初期設定を終えて、朝には画面をオフにした状態で頭に付けていた、こんなふうにと彼女は示した。


 チリーン

  

 イワウにメッセージを送ると、頭上のスマホは喜ばしい鈴の音を鳴らす。

 画面が灯ったスマホをもう一度手に取って彼女は見て、


「親愛なるイワウヘ 

  スマホを使えることに驚きました

   真心をこめて アスタ」

  

 表示された私のメッセージを読み上げた。

 ほう、これは新しい遊びだねという顔をするイワウ。


 チリーン


「親愛なる偽聖王にせいおう様へ

  田植えの頃が待ち遠しいですね

   真心をこめて イワウ」


 私は彼女のメッセージを読み上げた。喜ぶイワウ。

 目の前に広がる畑には来月には水が湛えられるらしい、湖みたいになるんだろうか?


 見てみないとうまく想像できない楽しみだね、という視線を送ったら、

 水に足ぐらい入れてみてはダメだろうか? という瞳の色が返ってきた。


 電車はまだ来る気配がない。

 駅にはまだ私たちしかいない。 


 湖の中に入るのはやめておこうという首振りをしながらメッセージを打つ。


 チリーン


「親愛なるイワウへ

  就職が決まったと聞きました

   真心を込めて アスタ」


 読み上げた彼女は嬉しそうな顔をしてスマホを指先で叩く。


 チリーン


「親愛なる偽聖王にせいおう

  夏休み中のバイトが決まりました

   真心を込めて イワウ」


 昨夜のうちに応募していて、さっき採用の連絡が来たらしい。


「住居あり・食事付き・正社員の条件で応募した。……そうそうウェブサイトだよ。正社員はダメだけど、8月中にアルバイトとやらで1か月働いてみて欲しいっていうから、まあ仕方ないね1か月働いたら正社員にしてくれ、って言ったら働きぶりを見て考えるんだって」


 彼女は画面をこちらに向けて見せた。


(募集要項) 

 寮・社宅 あり(リゾート施設内、スタッフ用別館を使用可能)

 仕事内容 テーマパークでの接客★語学力ある方歓迎★

 ひとこと 友人やカップル同士での応募もお待ちしています   

 

 そういえばイワウは昨日学校の図書館で辞書を幾つか借りていた。


 工作一个月后让我成为全职员工。  

 정사원으로 해주고 1개월 일한 후에.

 Hazme un empleado de tiempo completo, después de trabajar durante un mes.

 Make me a full-time employee, after working for a month.


 語学はできる、とエントリーシートに書いてあるが一体何ができるのか? と電話してきた採用担当者に聞かれたので、何か国語かを使って言ってやったそうだ。

 

 ――1か月働いたら正社員にしてくれ。


 イワウは一度読んだことを忘れない。辞書の内容は全て暗記している。

 

 ホームに流れ始めるメロディ。

 間もなく電車がまいります、白線の内側まで、お下がりください。

 聞いたことのない旋律はなぜか懐かしく響く。


 電車がホームに止まって、空気を吐き出すような音がして扉が開いた。

 

 私たちは乗るつもりはなくて、電車が走るのを眺めたら元の来た道を歩いて帰るつもりだった。

 

 でも立ち上がった彼女は電車の開いた扉に歩を進める。

 咄嗟に長椅子から立ち、彼女の背に向かって叫ぶ。


「イワウ、乗ったら帰り道が分からない」


 一人で行かないでくれ。


偽聖王にせいおう様、わたしは、偽聖王にせいおう様を別の呼び方をした方がいいような気がしているよ」


 プシュー、と音を立てて電車の扉が閉まった。彼女は続けて、


「わたしの名前は黒瀬イワウ」


 彼女は名乗った。


偽聖王にせいおう様のことは何て呼んだらいいんだろうねえ?」


 彼女は自分に問いかけるように言ってこちらを見る。


 電車がホームを離れていく――


 




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