第43話 困ったら交番です
駅前交番は一泉駅のすぐ隣にあるこじんまりとした建物だった。
中をのぞき込むとカウンターの上にはパトロール中の案内看板が置かれて、今は無人の様子。
交番の
「どんな犯罪が起こるのだろうか?」私が尋ねると。
「猪が出たとか、たまに熊も出る」デカルトは山麓部の危険を伝えた。
灰色熊みたいな恰好の私たちは、奴らには会いたくないねと言い合う。
念のため駅の方に行ってみる。駅舎に入ると、こちらもやはり無人である。
ホーム――石で固められた高い台は線路に沿って長く伸びている。
真ん中には長椅子があり、そこだけ柱が立って雨に濡れない程度の屋根が設けられている。
試しにホームの端から端まで歩く。その先を見ても列車が来る気配はない。
次は30分後だそうだ。
戻った長椅子に並んで座った。眼の前には畑が広がっている。
縁取るように土が盛られ四角く区切られてずっと並ぶ、耕されたばかりの黒々とした畑。どこかで水が流れる音が聞こえる。
デカルトによれば、見えているのは畑ではなく、稲を育てる田んぼだそうだ。
5月になれば、水が張られて稲の苗が植えられる。
水面に空が映る田んぼに風が吹くと苗がたなびいて、さざ波が風下の方へ進んでゆくように見えるらしい、悪くない眺めだと彼は言った。
私たちは駅前交番に戻ったが、やはり警官は不在のままであった。
「じゃあな、そこで大人しく待ってろ」「バイバーイ、元気でね」
ポリスには顔を合わせたくないと言って、ヤンキーたちは自転車で走り去った。
私たち二人だけが無人の交番に残る。
カウンターの前に置かれた椅子に並んで座って待つことにした。
横を見ると、壁に貼られた紙には指名手配犯の顔が並んでいる。
いかにも凶悪な面構えの者もいれば、笑みを浮かべた者もいる。
こんなふうに笑いながら彼は罪を犯したのか?
今も逃れ続けながら、どこかでこんなふうに笑っているのだろうか?
笑う男に底知れぬ不気味さを感じた。
(自首について・刑法42条)
罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときはその刑を軽減することができる。
(刑の軽減について・刑法68条)
一 死刑を減軽するときは、無期の懲役・禁錮又は十年以上の懲役・禁錮とする。
二 無期の懲役・禁錮を減軽するときは、七年以上の有期の懲役・禁錮とする。
三 有期の懲役・禁錮を減軽するときは、その二分の一を減ずる。
四 罰金を減軽するときは、その二分の一を減ずる。
五 拘留を減軽するときは、その二分の一を減ずる。
六 科料を減軽するときは、その二分の一を減ずる。
壁をよく見ると、ヤンキーたちが言っていたようなことが書かれていた。
私たちがどれに当たるのかはよく分からない。
――逃げたら心証悪くなるから自首しなよ。
――まあやっちまったもんは仕方ねえんじゃねえ?
ともかく彼らは私たちの罪を減らそうとしたのだ。
横に張られた別の紙――大きく色鮮やかな文字が目に入る。
守ろう交通ルール!
自転車の二人乗りは危険ですからやめましょう!
二万円以下の罰金に処されるおそれがあります(道路交通法121条1項7号)
逃げずに交番に行くよう諭した彼らは、自首を成し遂げさせようと道路交通法を破ったのだ。私たちと一度ラップバトルしたにすぎないのに。
ヤンキーたちは心優しい民である。
他人を助けるためにはルールを破る、それが彼らのやり方なのだろうか。
二万円以下の罰金――いつも貧しくお湯を飲んで過ごしているわけがぼんやりと分かる気がする。
――そもそもお前らナニモン?
デカルトの言葉が脳裏をよぎる。
――もちろん守るよマイルール、
笑ったら気持ちわるいだろうか? デカルトたちのように優しく笑えない。
私はヤンキーにはなれない――
**
「こんにちは~、どうしました? 外国人さん? 落とし物? 道に迷った?」
パトロールを終えて戻った警官が、笑顔で私たちに問いかける。
私たち? あれ? 隣にいたイワウがいつの間にかいなくなっている。
そろそろ時間だから列車を見に行ったのかもしれない。
私は一人で警官に一部始終を話した。
魂を運ぶ聖王の役目を捨てたこと、歴史上にない大罪であること。
「逃げる気はありません……え、帰り道? 来たとおりに戻ればいいはずですが、難しい曲がり角があるので……そうですね、もしかしたら迷ってしまうかもしれません」
難しい顔をして聞いていた警官はにこっと笑って、
「迷子だね」
勤務日誌と表紙に書かれた本を取り出して開き、
迷子申出あり(英愛寮新寮生・石沢アスタ16歳)、地理教示して対応。
と書き記す。地図が広げられ、曲がる時に注意する目印や紛らわしい箇所について詳しい説明がなされた。
「逮捕しないのですか?」
「うん、あまり深く思い詰ないことだよ、悩んだ時にはいつでも交番に来ていいからね」
警官は手を振ると、せわしく次のパトロールに出掛けて行った。
**
「
駅の周囲を探しても姿は見えず、交番の前に戻って来たところで背後から声。
驚いて振り返るとイワウの銀髪がいつもより輝いて見える。
彼女が美しくなってゆくのは誰も止めようがないな。
眩しさに目を細めて見るうちに気付く。……ない。
スマホが頭にない――
慌てる私に向かってにこにこと笑う彼女。手にはスマホが握られている。
「就職が決まったよ!」
日本で働き口を得たことを彼女は告げた――
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