第35話 ともかく光ってる
共有リビングで雑談のあとに解散し、各自が居室に戻る。
バタンバタンと締める音が続く。
ふと強い視線を感じた方を見ると、ほとんど閉まった扉の隙間から片目だけでこちらを覗いている。
一つ挟んだ向こう側の居室。小村千早? 薄く扉を開けてこっちを見ているので顔が見えない。もしかして違う? 片目は瞬きもせず凝視したまま。
居室には居住者以外入れないから、2002号室にいるのは小村千早だと頭では分かっているし、はっきりした目元も似ているように見えても不安が消えない。
片目と私は動きを止めて、消灯の時間が近づいている。
「ちょっと来なさい」
やっと出した顔を見て私は安堵した。
そっと二人でリビングに戻る。他の寮生はまばらだったが、千早はソファに座るまでもないという感じで立ったまま、
「公民にしてくれてありがとう。むらさきに国へ行くのは心配しないでって言いたかっただけ……そんな顔しないでってこと」
あなたが必死になって探す必要ないから、と言う千早。
「海と陸を隅々まで探すつもりだが? それでも見つかるかどうか……」
千早はちょっと恥ずかしそうに笑ってから、
「私が連れてゆきたいって気持ちだから、むらさきの国には」
「私たちを信用していないのか?」
違う違う、と千早は首を振ってから、いつもの堂々とした顔に戻って、
「アスタとイワウ、それに火狩は大丈夫ね、ベルは……ちょっと分かんないけども。私は読者を3人も確保した。あなたたちは私の物語をずっと最後まで読んでくれる」
私は頷いた。
彼女の言うとおりだ……早く次の話を書いて欲しい。
1年かけて1話は遅すぎる。1か月、いや1週間に1話書いてもらいたいんだが?
「確かにそうね……分かったわ、1週間に1話進める……そうそう嘘ついたらアレでいいよ。完結まで読んだら、むらさきの国には迷わず行けそうだって3人には思ってもらえるように書く」
だからそんな顔しないでよ、と彼女は言った。
運ぶのは私たちだが、行き先を書き上げるのは千早である。
彼女は説明を加える。
「物語を読み終わって眼を閉じたら、むらさきの国が思い浮かぶ。棺で向かう方向も何となく分かって、そのまま夜の海を進んで行ったら何かが見えてくる。月のない闇でも魔法で常にぼやっと光ってるから」
光があるのか? それは大変ありがたい。
「読んでもらうために私は公民になったわ、私が書いて自分だけ読んでても物語は成立しないからね」
千早は公民となったわけを白状した。
1年の間、書いて消して書いて消してを繰り返して、ともかく最初の1話だけはできた。
書くという決意があっても、書けない日も消せない日もあったそうだ。
他の人は、1年で本を何冊分も――何十万字も何百万字も書くそうだ。
何百万字も? それはヒトでなく魔法を操る竜の仲間では? ――ヒトだと思うよ。
「才能がなくても書きたい」
やっと読んでくれる者を見つけた、と彼女は笑った。
闇と孤独の二人組と踊りながら進んでいるのかと思ったが、彼女も迷っていないわけではない。
「じゃあ頼んだわ、私をむらさきの国へ」
「分かった、私は楽しみに待ってるだけでいいはずだ」
千早がもう一度笑った。
むらさきの国は遠くから見るとぼんやりと光って見えるらしい。
暗い海の上では目立つだろう。
上空の雲も照らして薄く光っていて、かなり遠くからもきっと分かる。
紫なのか青なのかは分からないが、ともかく光っている。
消灯の時間になって天井の照明は、暖炉のような穏やかな色合いに変わった。
薄暗い通路を戻りながら、
「もっと公民を増やすつもりだよ、イワウは」
分かってると思うけど、という感じで千早が言った。
千早だって迷いながら書いている、イワウも同じなんじゃないか?
役目を果たすのも、日本で布教を続けるのも……。
じゃあ、イワウは何を迷いながらやっている?
**
ゆっくりと扉をしめてようやく戻った。
居室に何かが鳴り終わった後の響きだけが残っている。
耳鳴りかもしれない……が、意識を傾けるうち、
ガーンガーン
ベッドの壁が鳴った。かなりうるさい。
コンコン、コンコン、コンコン、コンコン
上段ベッドの床――イワウの天井が何度も鳴った。
色んなところを叩いてまわる遊び……かもしれないが、
コン
小さく一つだけ鳴って止む。
ぅン
もっと弱く、鳴ったか分からないほどの打音。
もしかして、私がリビングにいる間、ずっと叩いていたのか?
眠ったと思っただろうか? だったらあんなにうるさく鳴らさない。
じゃあ聞こえない振りをしているとでも思ったか?
急いで梯子をよじ登って、布団を剥いだ床を叩いた。
でも返事は返ってこない。
ぅン
弱い音がようやく聞こえた。
もう一度床を叩いても向こうから返事はこない。
――窮屈に感じたら手を握るか、棺を鳴らして返事をする
イワウが言っていた言葉を思い出す。
棺が窮屈なのか?
まだ棺じゃない彼女は何を窮屈と感じているんだろうか?
しばらく私は叩いたが返事はなかった――
鳴らない床を見つめて夜が更けてゆく――
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