第28話 公民になればいい

「3千4百と7枚だよ」


 翌朝、まだ日の明けきらない共有リビングの窓際。

 託された数を聞くとイワウが答えた。


 春になると私たちは村を巡って、新しく14歳を迎えた者の聖符を受け取ってまわる。

 これまでに10回繰り返して集まった数も記された名前も彼女は全て覚えている。

 

 来世の国がどこにあるかは誰も知らない。過去の王や棺から聞ければいいけど、泡になって消えた者たちに答えようがない。実は海に向かって声を上げてみたこともある……恥ずかしい。まあ当然だけど波の音しか返ってこなかった。


 何度も想像した光景を再び思い浮かべてみる――


 自分の身体が薄く光っているかと思ったら、棺となったイワウに照らされているだけだ。波が寄る砂浜は公国のどこかみたいだが、穏やかな潮騒と僅かな光だけで場所は分からず、眼の前に広がる闇に漕ぎ出すしかない。


 もう死んでいるので腹が空くことはないかもしれない。

 風邪を引いたりすることはないな、流石に。

 夜しか思い浮かばないけど日が昇ることはあるか?

 海が荒れることも、もしかしたらあるか?

 コンコン? コンコン コンコン? コンコン

 とにかく進んだ先に来世の国がたぶん見える。

 陸に近づいたら積んだ聖符から飛び出す光が向こうに飛んでゆくんじゃないか? 

 みんなが渡ったら役目はおわり。

 小さな泡になった私たちは音もなく消える。



 ――じゃあ金魚の国にはどうやって行くんだ?

 


 繰り返した想定に大きな変更が必要とされている。


 泡になりかけたのを気合で戻して、

 じゃあ次! と再び海へ漕ぎ出さないといけない、正直つらい。


「……名を記すのは何でもいい、炭で書きつけても、ナイフの先で刻みこんでも」

 

 今、リビングの窓際、イワウから聖符を受け取ろうと手を伸ばしながら、


「僕を連れて行った後、二人はどうなる? 戻れるのか?」


 火狩は問いかけて、こちらにも目を向けた。

 あまり眠っていない顔をしている。

 私たちがリビングに来たら、彼はもうここにいた。 


「来世の国には戻らない、海の泡になって消えるだけだ」


 つらい結末を、心配することは何もないという感じでイワウは答えた。

 彼はもう一度こちらを見る。――うん、本当のことだ。


 家に帰ると金魚は水に浮かんでいた。

 理由は分からないな、もしかしたら餌かもしれないし、水かもしれない。

 

 昨日、彼はそう言っていた。

 

 小さい生き物はすぐ死ぬ、羊だって朝になったら冷たくなってることがある。

 死んでしまった理由はたぶんもう分からない。

 自分のせいだと火狩は悔やんでいるのだと思う。

 死なせてしまった金魚が行く国があったらいいなと期待しているだけかもしれないが……。


「ちゃんと連れてゆく、わたしたちを選べばいい」


 役目を全うすると彼女は宣言する。

 安心していいんだよ、という顔をした。


「アスタ……、頼んだ」


 いつものように笑おうとしたが諦めて弱々しい表情をして私の名を呼ぶ。

 彼は聖符を手にとった。

  

 鶴来火狩


 キュッキュッ、と油性マジックのペン先が木肌を擦って鳴った。

 彼の胸ポケットにはいつもペンが数本入っている。

 

 指で触れてインクが乾いていることが確かめられる。


 託された聖符は、3千4百と8枚になった――


 金魚は淡水に住む魚だと聞いた……。

 海をわたって金魚の国まで行けるのか? 河を遡上?

 陸路だったらイワウを背負って行くしかないか? 


 

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