第25話 呪文を唱える

「べつになんともないな……ちょっと狭いな」


 ラウンジの片隅のソファ、鶴来火狩と二人で腰掛けながら、いつもとは違う雰囲気で話を続けようとしていた。が、大階段の手すりに腰を乗せて滑り降りるイワウの姿が見えた。着地して真っ直ぐにこちらに歩いてきて私たちの前に至ると、彼女はくるっと背を向けて腰を下ろそうとする気配、慌てて火狩も私もソファの端に身体を押しやって真ん中を空けた。

 

 すとん


「ラウンジに二人がいるから、行ったらきっと面白いよ、って千早が教えてくれた」


 ソファの真ん中で経緯の説明がなされた。

 千早の奴め、と言いながら笑ってる火狩。

 大階段の手すりはすべすべとして滑るのにうってつけであることは、イワウが今朝発見したらしい。

 3人連なって並んで滑って遊ぶという提案が発案者自身によって引き戻されて、


「ああ、あれか? 確かになかなかいいね」


 天窓を指差す。形を変えながら風に流される雲と、雨がガラスを打ち、撥ねた水が集まり筋となって垂れるのが見える。


 3人でしばらく真上を見て首が疲れてきたので、ぎゅっと寄せていた体勢をうまく変えることを試みる。


「こうか? だめだ。……こうなら? 聖王様も掴んで、そうそう」


 私と火狩が互いに伸ばした腕をソファの背の上に沿って重ね、男子二人が肩を抱き合うような体勢をとった。これで背もたれに体重をゆだねながら顔を上に向けることができる。

 大丈夫そうだな、という感じで頷いて左右の二人に目を配ってから、2本の腕にイワウがうなじを乗せる。

 

 ――頭上のスマホは黒光りして四角い空を映している。 



「うーん、もしかすると僕にもぼんやりと想像ぐらいはできるかな、魔法の呪文を唱えたい気持ち」


 空を見上げる体勢のまま、火狩はたぶん、私に向けて言った。

 

「魔法の呪文ってなあに? あ、一気にざーっと流れたね」


 まこと面白いことか? という期待が声に込められている。  

 雨は強まって大粒となり、陽が落ちかけて空が暗くなりはじめている。 


 1週間どころか、一度も通しで訓練をしないままだが、


「今から言うことをよく聞いて欲しい」


 魔法の呪文を私は胸のうちで唱えた。

 長く抱きながら言葉にすることなかったものが形を取って現れる。

 心の奥から発する言葉である―― 


「イワウ、あ、あなた……、ふぅー、…………」

「……?」


 思うとおりに喉を震わすことができず、深く息をつきながら唇を動かして準備を整えなおした。

 胸のうちで形をとった気持ちを述べる――


「あなたと一緒にいたい、ずっと一緒にいたい、他の誰にも渡したくない」


 びくり、としたイワウがこちらを向いて眼が合った。

 すぐ近くにある彼女の顔は緊張を帯びている。

 細めたまぶたで隠れた青の瞳が伏せられ、思案するような祈るような表情になって、それから見開かれた眼が私の心を確かめた。

 引き締まった神妙な顔に笑みを浮かべて、


「分かってる、みんなを連れてゆこう」


 ん?


「二人で来世の国へ導く、分かってるよ、わたしたちにしかできないことだからね」


 ん?


「もう嫌だぁ、とか言いながら聖王様は成し遂げる、わたしは分かってる」 



 深く頷いて見せる彼女。

 役目を全うすることを私は宣言した……か?


 自分の心と、声に出した言葉を改めて考える。

 イワウへの気持ちは役目と深くつながってうまく切り離せない。

 

 ――イワウと一緒にいながら役目を捨てるなんてできるのか?

 

 彼女を大事に思い一緒にいることは役目を果たすことになる。


 ――もちろん守るよマイルール


 デカルトの言葉が脳裏によぎる。


 

「恋のこと少しは想像できるかもと一瞬思ったけど、勘違いだったよ……ところで、役目って何のことか聞いてもいい?」


 空を見上げ、私の肩を抱いたままの火狩が聞いた―― 

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