第20話 公民になるのは簡単です

「日本に戻ってきた理由なんて別に何だっていいさ……僕は全然気にしてない」

 

 ばさぁっ


 脱いだ学ランの上着が、床に置かれた柳籠の中に投げ入れられた。

 既に一番上の一つは外されていて、鶴来火狩はボタンの二つ目に指を置いている。

 彼の指は長い。白いシャツ姿からも広い肩としなやかに胸に付く筋肉が分かる。

 

 夕食を終えた後、浴場に直行して来た私たちは、真新しく硬さの残る制服を脱ぎながら話をする。彼はいつものこだわりのない態度を示す。どんなことを言っても、もしかすると私たちの正体を明かしたとしても大して驚かないような気がした。

  

「環境は人それぞれ違うから、……どこ行ったんだろうな? ベルだってなんで英国からこっちに来たのかさっぱり分かんないし」


 肌に直接まとった袖のない衣の、鎖骨のあたりを片手で持ってから少し屈んでもう一方で背中を一気にまくり上げるようにして脱ぎ去った。上半身を露わにした火狩は、すっと背筋を伸ばして胸を張り、腕を組んで一瞬だけ思案して見せてから、


「彼女を放っておくことは多分できないんじゃないかなって思うだけだよ」


 そう言うと、ぱっぱっと全部脱いで浴室に向かってゆく。

 

 ガラァァぁ

 

 彼の隆々とした背中や尻は浴室内に消えて、誰かに話しかける明るい声が響いている。


 遅れて中に入ると、いつの間にか私たちより早く来ていたベルが、火狩と湯の中で両足を伸ばしている。


「ベル、何か腹減らない?」

「いいえ」


  ** 


「……頭を洗ったから外した、千早が髪も乾かしてくれた、あと千早の――」

「待ちなさい、男子には何でも話してはだめ……何でって、そういうものだから! 何でって、それもここでは言わないから、やめなさいって!」


 頭上から外されたスマホについて聞くと、イワウはお湯は熱すぎてつま先しか入れなかったことや髪を千早が洗ってくれたことなども話して、説明が具体的になってゆく途中で千早が話を止めに入った。

 

 湯気の中、喜んで走り回る子ぎつねの姿が思い浮かぶ。

 櫛を通して整えられたつややかな銀毛は、いつもと違って真上で丸くまとめられている。

 

 ビニール袋に入れられた光のないスマホはローテーブルの上に置かれた。

 次に旅行鞄の底が絨毯が着地する。取っ手を離した手の平が赤くなっている。


 ローテーブルを5人が囲むと、

 じゃあはじめるよ、という気配を彼女が放った。

 話をするからね、と4人を向いた彼女の横顔。


 公国の墓地に保管された木棺がイワウの本当の姿と言うなら、

 同じ材で作られた聖符は、銀毛の一糸よりも重い彼女の欠片だ。

 

 来日前に一緒に墓地に行った後、彼女は一人で戻って旅行鞄に聖符を詰めたのだ。 

 少しずつ違う形、木目や色味も、きっと指で撫でながら残すものを持ってゆくものをより分けた。


 旅行鞄を開けた手を中に入れて、


「今じゃなくてもいいけどね……そう、じゃあ方法はねえ」

 

 聖符を一つ手に取って見せて、


「このイワウ・サンクタイッドが授けるから……自分の名前を入れてわたしに返すんだよ」


 

 公民になるのは簡単なことだよ、心配しなくてもいい、という表情をする。


 公民の名が記された聖符は、墓地の聖棺に順に入れられる。

 来日前に見た時にはもう棺の足元が埋まっていた。


 二人で公民の魂を来世の国・ナーシュへ運ばなければならない――

 役目のことを考えると私はこわい――

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