第4話 これはビスケットです

「そういうのは過保護、彼女のやりたいようにやらせなさいよ」

 

 役目でないと言っても聞かず、まだ納得していないイワウに慌ててそれならと自薦したが、小村千早が反対する。単に面白がっているようにも見える。


「立ってないで座らない? 共有リビングは飲食可、だよね? ベル何か買って来て」

「では紅茶を……お話は進めてもらって構いません」

「僕も一緒にさっと行って……あー、下の自販機じゃなくて? じゃあ待ってる」


 たくましい腕で軽やかに手を振ってから隣接する共同キッチンへ歩いてゆくベル。 

 大きな背を見送って、私たちは低いテーブルを囲んだ。

 長椅子は羊に乗ってるみたいに柔らかい。

 座面に尻を跳ねさせてひとしきり遊んだイワウが話を戻す。


「私たちは選ばれた者だろう? ……いいや違わない、聖王様の冗談は飽きた。そういうふうに役目のことを茶化すのは良くないと思うよ」


「どこの言葉? 全然聞き取れないから通訳してアスタ」


 私たちの不毛なやり取りに割って入り自然に命令する小村千早。その内容を思案する一瞬のうち、


「リーダーです」


 たった今習得した日本語を使うイワウ。

 ちょっと待って! と止めようとするのを彼女は眼をぎらっとさせて制する――いや、今はさせない!


「リーダーです」「リーダーじゃない!」

 

 二人の声が重なった。大きなまぶた、眼を細めた青い瞳が熱を帯びる。


「リーダーじゃない」「リーダーです!」

 

 私たちはもう一度睨み合う。

 

「まあ面白いからベルが戻るまで放っておく?」

「僕らは漫才のテストを白紙で出しちゃったかな」


 香りを漂わせて戻ってきたベルがテーブルに配した器にお茶を注ぎながら、

「入試は全て英語で受けたのですか? 間違い探しとなぞなぞだけ……それは外国人や帰国子女向けの特別入試でしょうね、はい、どうぞ召し上がってください」

 皿に乗った焼き菓子をイワウに出した。

「半分は残しておこう、聖王様、さっきの透明なの出して……うんありがとう」

「失礼でなければ教えてほしいのですが、聖王様というのはアスタさん、あなたのことですか?」

「あなた王様なの? わあこのお茶おいしい」

「イワウさんこれはクッキーだよ、英国ではビスケット? オーケー、今からこれはビスケットだ」



「私たちはアーシュ公国から来たんだよ、聖王様が決めたから」


 イワウがそう言って動きを止めた3人は確かめるような視線を私たちに送る。

 仕方なく、発されたイワウの言葉に私は辻褄を合わせた。


「幼い頃に乗っていた船が難破してアーシュで育った、ということです。そして今、日本に戻ってきました」


 実際に海難に遭う者はいた、すぐに英国に届けられたはずだが。あと、


「聖王様というのは、イワウの、兄の私に対する敬称です」 

「またそういうこと言うの? 聖王様の冗談は本当につまんないね」

  

「本当に? おとぎの国から来たの? じゃあ帰ろうと思えば帰れるってこと?」


「いいえ、それはできません」「1年経ったら帰るよ」

 お茶とビスケットをもった私たち2人は横を向いて睨み合う。

「帰る」「帰りません」

 んー、と唸って怒っていた彼女は食べる作業に戻った。


「一緒に行けたらなぁ、あなたは公国を見たことある?」

「いいえ、各地に知り合いがいますが公国人と会ったという人すら聞いたことがありません」

「僕たち何か大事なことを忘れてる気がするなあ」


 ごくん、と頬張っていたものをイワウは飲み込んだ――


   **


【アーシュ公国】

 大西洋の北方に位置する島国。中世から続く伝統を守っており、「現代に残る中世」や「おとぎの国」と呼ばれている。

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