第2話 砂糖の甘さよ
「その焼き菓子だって、帰国すれば口にすることはできない」
「だから今食べてるんでしょ!」
人に嫌なこと言ったらダメ、とこちらが怒られた。
寮に来る前に立ち寄った市役所で、紅茶と一緒に出されたものをイワウは薄い透明な袋に入れてもらってずっと手に握っていた。壁際に並ぶ長椅子の一つに私たちは座る。
サクサクと頬張る音が広いラウンジに響く。
焼き菓子が消え失せた後、透明な袋の隅っこに残る欠片を指先で取ろうと苦戦していたイワウが、
「聖王様はなんでそんなことを言うの? 意地悪なの?」
親指と人差し指の腹ではさんだものを自慢げに見せて言う。
欠片は小さくてほとんど見えない。でもイワウの指は綺麗だ。
そういえば昔ランプの光でよく影絵を作って遊んだ。同じ形にしても、私のは狼になるし、イワウのは子ぎつねに見える……。
――捨てた国を私は懐かしんでいる、なんて愚かな!
恥ずかしさに黙っているうち、
「注意します、ラウンジではドリンクのみ可能です」
急に響く誰かの声。私たちは身体を固める。
上のほうから聞こえた気がして、おずおずと天井を覗くと変わらず雲のない快晴。
視線を合わせた後、ラウンジには誰もいないことを二人でこそこそと確認した。
光が差すところに戻って、空を見上げる体勢で問いかける。
「私たちはこの寮に新しく来た【石沢アスタ】と【黒瀬イワウ】と申します。ここで食べ物をいただいてはいけない、知らずに失礼しました……今注意くださった方はどちらにいらっしゃいますか?」
「…………」
返事はない。
大理石の床には塵一つ落ちてないし、ここではやっぱり食事はすべきじゃなかった。隣のイワウは透明な袋を両手で握りしめている。
「聖王様……もうアーシュに帰ろう」
ここはこわいよ、聞き取れないぐらい小さな声。
透明な袋を彼女から取って自分のポケットに収めた。
こちらを握り返す小さな手がエントランスの方に引っ張ろうとするのを踏ん張って留めながら私は再び天を仰いで、
「お姿が見えません! どちらにいらっしゃいますか!」
名乗って姿を見せよ、という怒気をこめた声が響く。
――確かにイワウは食べかすをこぼしたが、そちらも無礼じゃないか……。
残響が消えても返事はない、荒い感情で胸が詰まる。
イワウは腰を落として漁網を引くような体勢、私の手がひどく痛む。
「管理人はオフィスに常駐しています、必要な時はお電話で対応します」
さっき見つけていた、ソファの横にある機械を手に取った。
鋭い言葉が頭の中を巡る。
プルルルルルル
「はい管理人です、石沢アスタさんですね、さっきは怖がらせてしまったみたいで本当にすみません、えっと、もうすぐ寮生が集まって来るので先輩に言われて気まずい感じになるよりお知らせした方がいいかなあと、ちょっとどうしようか迷ったんですけど」
思いがけない感じの気さくな口調に呆然としているうち、
「新寮生はあなたたちを含めて30人、在寮生もほとんど集まります……ほらもう」
ピィイコーン、ピィイコーン、ピィイコーン、、、
私たちが通った時にも聞こえた奇妙な鈴の音がエントランスで連続して鳴る。
そして堅木で造られた重厚な扉が開いた――
**
【石沢アスタ】
アスタ・アーシュの日本での偽名。
【黒瀬イワウ】
イワウ・サンクタイッドの偽名。戸籍上の石沢アスタの妹。
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