聖王様はヤンキーになれない~布教されるほど負担が増えます~

尚乃

第1章 寮で異文化交流

第1話 濡れた靴下はまた登場する

「聖王様の言ってることはさっぱり分からない……あとさっき水たまりで遊んだ時に靴下濡れた」


 弓なりの形をした島国の内側――内海に面する地域において【私立一泉学園高等学校】は最も古い歴史を持つ名門校だ。県内外から集まる生徒の多くが自宅からの通学は困難なので、敷地内に学生寮が設けられている。長年愛された旧・英愛寮は老朽化により居住が禁止され文化財として保全されるのと同時、広大な敷地内に新たに建造されたのがこの新・英愛寮。ということは全て募集要項に載っているが……。

 石造りに似た――鉄筋コンクリートと呼ばれる工法で造られた5階建ての建築は、写真よりずっと大きく、攻め入る隙のない山城のように見えた。


 エントランス――やたら明るい玄関口をくぐると内部は更に煌々としている。

 ラウンジ――広い休憩室には私たちしかいない。両手の旅行鞄を大理石の床に置く。


 見上げると天井を全てぶち抜いているのか空が目に入る。公国で見る青と同じ色。ごく無音。ラウンジは今、聖教会のような静謐な雰囲気を帯びている、と感じたのは私一人だった。

 空港から陸路で約5時間かけて到着した海辺の町、新生活をはじめる時を見計らい用意した説明をするがイワウに一蹴された。その上、


「それで今日からここで暮らすのか? 屋根に穴が空いてるのは正直辛いな、まあしょうがない許す許す……うん、それはあとで片付けるから置いておいて」


 嘘だ! 絶対に脱いだら脱ぎっぱなしだ!


 ひととおり叱ったが効果は見られない。硬い床の上でぐにゃりとした雨水に濡つ靴下。削がれる気力を私はかき集めて別案――もっと簡単に結論を述べる、を試みる。


「大事なことだからしっかり聞いてほしい。私はアーシュには戻らない、日本でずーっと暮らすんだ……うんうんよく聞いてくれた、なぜってそれは自分のためだ、どう生きてどうやって死ぬのか自分で選べるんだって! それが普通のことなんだよ、私たちは知らなかっただけで。自分のことは自分で決める、これが世界の――」


 聞いているのかいないのか、彼女はふらぁーと背を向けて歩いてゆく。

 青い天井から差す明るいところに立って振り返った。結った銀の髪に光が跳ねてきらきらと輝く。光の帯の中で彼女、【イワウ・サンクタイッド】は空より深い色合いの瞳をじっとこちらに向けている。


「私は聖王様と一緒に死ぬ、それでいい」


 性急に結論を出してはいけない。

 それに替えの靴下を履こう、4月はまだ寒いから。

 

「疲れたー、聖王様は一体何がしたいというんだ、こんな世界の果てまで来て」

 

 日本から見れば、アーシュ公国こそが世界の最果てだ。地図で見たら大西洋の海に塗りつぶされて見えなかった。あのままアーシュにいたらそんなことも気付かないままで、

 

「一度きりしかない人生を楽しみたい……いやいや、ちょっと! そんな話じゃなくて、こういうのがごく普通の一般的な考えだからね」


 まだイワウは腹を抱えて笑っている。

 

「役目があるのに、ひい、ひい、人生を楽しみたいだって、はああすんごい面白い、聖王様が冗談言うなんて珍しいね」


 細い手をひらひらして僅かな風を火照った顔に送っている。

 汗の伝う神妙な表情。単に暑さを我慢しているだけで、役目のことを考えているというわけではない……かもしれないが。

 

 アーシュ公国の公民のために死ぬ。


 それが私たちの役目だ――

 

    **

 

【アスタ・アーシュ】

 アーシュ公国の聖王。1年間の留学を理由として来日したが、公国に帰還するつもりはない。


【イワウ・サンクタイッド】

 聖棺。聖王と同じく公民のために犠牲となる役目を担う少女。

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