ツイてるわたしの予想屋稼業

真宿豪々々

第1話(全1話)


 今週のオークスも先週のヴィクトリアマイルに引き続いて予想が的中した。払い戻し、馬連で27.8倍。頭流し5点の買い目だったし、乗ってくれたみんな、けっこう儲けたのではないかな。これでわたしの的中率は七割を超えた。回収率なんて400%を超えたはず。春のGⅠ戦線も後半にはいって、波に乗っているのだ。

 レース確定後、ツイッターのアカウントにお礼のコメントが殺到しだした。



<今週もおかげさまで払い戻し28万円です!ありがとうございます!>


<足向けて寝られませんわw、馬屋お七さん、ずっとついていきやすwww>


<よっ!令和の天才美女馬券師お七様!さすがやわ!おおきに!!>


<なんでわかちゃうんです?!?!……こんなに儲けられるなんて夢みたいですよ!!!>



 続々とコメントを寄越す人たちは、馬屋お七こと、わたしの予想を買った人たちだ。

 競馬歴5年の28歳と公表しているが、実際のわたしは競馬歴3か月の22歳。大学卒業間際まで就活を真面目にやらず遊びに遊んでしまい、さてどうしたものだろうと焦り始めたとき、久しぶりに会った飲みサークルOBの高野さんにちらっと冗談めかして相談したらこの仕事というべきなのか、方法というべきなのかを教えてくれた。競馬予想のAIを内緒で譲ってくれたのだ。


 わたしはつくづくツイてる女だと思う。なにせ、人に恵まれるのだ。たとえば、講義によってではあるけれど、出席確認やノートの書き写しに困ったことがない。バイトだって、困ったときには向こうからすぐに手助けしてくれる人が何人もいた。だいたいの男の人は下心バレバレだったけれど、そこはうまく、わたしははぐらかすことができる。


 すぐさまツイッターで馬券的中の報告ツイートをした。成果をひけらかすような印象にならないように気を付けながら、当たったというインパクトだけを端的に伝える。これは炎上防止策をほどこした次への宣伝なのだ。「陽」の部分だけじゃ妬まれる。「陰」の部分への配慮をするのも、わたしのネットスキルだった。


 世の中には思いのほか、ギャンブル下手のギャンブル好きが多数いるもの。そういう人たちをおびきよせる蜜として、購入金額部分を画像処理してぼかした的中馬券画像を載せてあげる。そのほかに、ちょっと露出が激しめの服を着こんで、顔までは写さないまでも、胸元や上半身のラインを官能的に魅せる自撮り画像を載せたりもする。彼らの金銭欲を、性欲まで喚起させて押し込んでやれば、わたしの予想サイトの会員になろうか迷っている男ならばURLをポチりやすくなることをアクセス解析データからよく理解している。そんな彼らは今、儲けている。わたしの存在が、人助けになっている。


 さて、高野さんから譲っていただいた競馬予想AIの話をしておこう。このAIは、ユーザーが比較的自由にカスタマイズできる仕様だ。ユーザーの使い方によってAIの性格は変わり、出る予想もがらりと変わる。

 出走する競走馬のデータを引っ張ってきて読み込ませることはもちろん、コース、距離、枠順などの基本データ、馬場のクッション値や天候のほか、天気予報サイトから仕入れる風向きと風の強さの情報なんかも読み込ませる。調教のタイムや騎手のデータ、調教師のデータ、血統と生産者のデータもあるし、わたしは日曜日のメインレースしか予想しないのだけれど、前日の土曜日のレース傾向も参考データとして読み込ませることができた。

 まだまだ細かい、距離適性や走破タイムなどのデータもあり、それらのなかから、ユーザーはどのデータを優先させるかその優先順位を決めてAIに予想させるのだ。たとえば血統最優先で、そのあとは騎手、枠順、競走馬の通算成績……みたいにパーセンテージを振り分けていって、ユーザー好みの予想をクリックひとつで瞬時にはじき出せるようになっていた。


 わたしはこの、カスタマイズのやり方にセンスがあったらしい。初めに手ほどきしてもらった高野さんの説明がクリティカルだったせいもあるだろう。素人なのに、数レース試行錯誤するだけで、今とほぼ変わらない精度のカスタマイズAIができあがったのだから。わたしはほんとうにツイてる。


 ただ、自分で馬券を買うのだとすると、やっぱりギャンブルなのだからリスクがある。賭け金の額面だってじゅうぶんに考えなきゃならない。極端な話だけれど、少額を賭けて何度か当たったとしても、外れたときに大きな額を賭けていたのでは、的中率が高くても負けてしまう。

 AIには「自信度」という予想信頼度の評価がつく。でも、経験上、信頼度AでもCでも、あまり精度に変わりはなかった。このあたりはAIであっても難しいのだろうと思う。自信度Aを信用して大損することは十分にありうる話だった。


 高野さんはわたしに、自分で馬券を買うというリスクをとらずに、WEB予想屋デビューしたらどうか、と提案してくれた。わたしの馬券予想サイト自体は彼が作ってくれるというのだ。予想を売るのならば、それはれっきとした商売。ギャンブルを相手にしてはいても、やっていることはギャンブルではなくて販売業になる。こうなるとずいぶん安全なほうだ。予想がそれなりに当たって評判になれば、ふつうのアルバイトよりも稼げる、と高野さんは愉快そうに微笑んでいた。そうして、今のわたしがあるのだ。


 今週の的中ツイートも終わり、やっと一週間の終了。追い切り調教のある水曜日からまた、次の日曜メインレースのデータ収集がはじまる。来週は日本ダービーだ。高野さんによると、日本の競馬のなかで最高峰のレースなのだそうだ。






 問題が起きてしまった。日本ダービーの二日前の金曜日の午後。もうとっくに枠順が決まり、競馬ファンの多くが馬券検討の最終段階にはいっているだろう頃だった。

 わたしは大学時代にゼミが一緒だったことで友人になった奈々美とチェーン店のカフェにいて、おしゃべりを楽しんでいた。奈々美は大学院を目指し研究生として大学に残っていてわりと時間の融通が利き、わたしのようなWEB予想屋なんていうわけのわからないふらふらと遊んでいるのとあまり変わらないような人間とはつるみやすかった。


 就職して五月病の危機をくぐり抜けた同窓生たちの近況に奈々美は詳しく、わたしはテーブルにノートパソコンを置いてダービーの情報収集に余念がなかったのだけれど、奈々美の話し方がとても巧みで笑わせてくることもあってうんうんと何度も頷きながら会話を楽しんでいた。1時間半ほどそうしたあと、奈々美が大学に戻るというので、わたしはまだここに残ることを伝え、とりあえず化粧室に立った。このカフェであと少しだけデータの吟味をするつもりだったのだ。化粧室からテーブルに戻り、PINを入力して画面をデスクトップ画面に戻すと、競馬予想AIアプリのアイコンが見当たらない。その代わりに見慣れないテキストファイルが無題の状態で貼りついていた。開くと、<もうやめておけ>の一行だけがあった。

 わたしは戦慄を覚え、震える手でノートパソコンをたたむとすぐに店を出た。






 WEBではAIを使っているとは公表せず、自分自身の論理で競馬予想をしているという体裁にしていた。でもこれまでに数回、DMで、「AIを使っているだろ」というようなものが送られてくることがあった。バレちゃってるのか、と思いつつ、笑って無視していた。また、よくわからないものに、「予想家を賭けの対象としているサイトがある」というものもあった。それは仮想通貨を賭けて行われていて、WEBの深いところにある会員制サイトだと続けてあった。わたしも賭けられているのだろうか、と一瞬思ったのだけれど、だからどうだっていうのだろう、自分にはちっとも影響の及ばないことだろうなと判断した。だって、どうせ勝手にやってることなのだろうから。


 高野さんにこの話をしたとき彼は、知っている、と言っていた。高野さんも参加しているんですか? と意地悪く冗談で訊いたのだけれど、どことなくバツの悪そうな生返事で否定していたのを覚えている。奇妙だといえば奇妙だった。


 私は高野さんに電話した。AIがノートパソコンから消されてしまったこと、気味の悪いテキストファイルが残されていたことを話すと、高野さんはいらだったような口調ですぐに会おうと言った。またあのAIを譲るからダービーの予想をがんばれと言うのだ。


 わたしはさっきまで奈々美とコーヒーを飲んでいたカフェに戻り、高野さんが来るのを待った。一時間も待たずに高野さんはやってきた。高野さんは会社員のはずだからスーツ姿でやってくるのだと思っていたのだけれど、チノパンツと青緑色の薄手のパーカー姿でうっすら無精ひげを生やしていたし、頭頂部の小さな寝ぐせなんて直していないままだったくらいなので、あれ、と思ってちょっとびっくりした。すぐにUSBメモリを渡されてそこからノートパソコンにAIをコピーする。おかえり、わたしのAI。

 高野さんは、これからカスタマイズのし直しが大変だろう、邪魔になるから俺は帰るわ、と小声でもごもごと言ってコーヒーも注文せずに店を出ていった。今日は休みだったのだろうか。体調不良だったのかもしれない。


 AIアプリのカスタマイズはほどなく終わった。一息つくと、わたしはなんとなしに気持ちにひっかかり始めていた「予想家を賭けの対象としているサイト」についてのDMをツイッターのログから掘り起こし、差出人にDMを返してみた。もっと詳しく、と。しばらくして<あんた、騙されてるぞ>というメッセージが返ってきた。

 そのとき、わたしはなぜか、この言葉を意識の奥でちょっとばかり予期していたような心持がした。






 帰宅してすぐ、携帯に着信があった。スワイプして電話に出る。高野さんからだった。


「さっきはばたばたして済まなかったよ。今は家かい?」


 カフェの時とは違って、いつも通りの落ち着いた口調の高野さんだった。


「こちらこそ、すみませんでした。ちょうど帰宅したところです。おかげさまで、ダービーのデータ入力までは終わりました」


「そうか。目下4連勝中だもんな。もう外れる気がしないんじゃないか?」


「そうですね。もう当たる気しかしません」


 予想にたいしては順調すぎて自然と笑い声が漏れ出てしまった。電話の向こうで、高野さんも大きな笑い声をたてている。そして笑いながら、あのさ、と言うのが聴こえた。


「あのさ、そろそろ勝負してみなよ、おまえも。きっとダービーも的中するって」


 わたしもそのことについてはちょっと考えていた。AIの予想にわたし自身も乗って儲けたらいいのではないだろうか、と。


「ちょっとだけ、買ってみようかな」


「いや、大勝負しなって。実はな、おまえにこのAIを使わせられるのは、ダービーまでなんだ。悪いけど、予想屋稼業も今週までにしてもらう」


「え、急ですね」


「そう、急だよな。すまない。でも、だいぶ稼いだろ? 俺もさ、おまえがこのAIをこんなにうまく使いこなすなんて思ってもみなかったんだよ。まったくすごい成果だよ。天才」


「いえいえ、高野さんのおかげですから」


 いまや予想屋として評判になりたての時期にいた。あまり有名になりすぎる前にこの稼業をたたむのは悪くないかもしれない。有名になりすぎるとたぶん、詮索や干渉の嵐に見舞われることになるだろうから。


 予想の売り上げはここまでうなぎのぼりで、特に先週のオークス予想の販売分が大きく、携帯で貯金額を確認すると胸が熱く高鳴るほどだった。

 でも――――。






 翌日の夜まで、わたしはじっくり考えた。


<あんたがダービーの一番人気。それもダントツ。>


 わたしは再び、あのDMの相手とやり取りをしている。予想屋の予想が的中するかどうかを仮想通貨の賭けの対象としているサイトに、残念ながらしっかり巻き込まれているのをわたしは知った。


<そうなの? でもまた当たってしまうと思う。そのほうが喜ばれるんでしょう。>


 そう返信すると、すぐに相手からメッセージが返ってきた。


<わかってないな。今回、あんたはかなりの人気を背負いながら外すんだろ。いや、外れることになる、が正しい。それで胴元が大儲けする。>


<外れる確率はだいぶ低いよ。>


<わかってないのは当たり前なのかもしれないが、その愛用のAIが罠なんだ。>


 この相手にもAIだとバレていた。もうしらばくれるのはよすことにした。どうせ、今週を最後にわたしはWEB予想屋を引退するのだし。


<ダービーのデータ収集に間違いはなし。馬場も良馬場で開催されることはほぼ間違いないみたい。今回は不確定要素が低いとAIの評価を待たなくてもわかるレベルだけれど、それでも的中率七割まで育て上げたわたしのAIがミスすると思うのね?>


 この相手は、わたしの頭脳をブレさせようとしている。でも、そんな小手先の言葉に翻弄されるものですか。わたしはわたしの知らない予想通貨の賭けサイトでの一番人気におそらく応えるだろうし、わたしもはじめて自分のお金をつぎ込んで馬券を買って、引退してもしばらく楽ができるくらいのお金を手に入れるの。


<信じるか信じないかはあんた次第だ。でもダービーでそのAIは最後だと言われただろう? 仮想通貨の賭けサイトもダービーまでで閉鎖される。こういうのはマジョリティに露見する前にやめるってたいてい決まってるものなんだ。いいか、ここからが重要なポイントだし、胴元をやってるヤツが気に食わないから教えてやるんだが、ちゃんと読めよ。AIの内部パラメータが、ダービーの週に自動で改変される仕組みになっている。だから、AIの出すダービーの予想はでたらめなんだ。気が付かないだろうけどな。いくら頑張ってAIに情報を詰め込んで情報の優先順位を教えてやろうが、まともに動作はしないよ。ある種の時限爆弾だったんだ。で、ダービーの予想は出力させたか?>


<まだ出していない。>


 すぐにAIアプリを立ち上げ、最後の仕上げの操作をしてダービーの予想を出させた。一番人気の馬をAIも本命にしている。でもその結果に、わたしはどことなくねじくれたものを感じた。このDMの相手を信じ切っていたわけではないのだけれど、AIが時限爆弾的な罠だと言われた影響なのかもしれない。混乱するな、と自分をなだめるように落ち着かせようとした。それでも胸騒ぎがする。いつものAIじゃないように感じる。きっと錯覚なのよ、と頭から払拭しようとしたのだけれど、肩や太ももに走った緊張感は抜けず、ノートパソコンの上に漂う両手の指は細かくわなないていた。


<AIを提供してきた人物にはバレないほうがいいだろうな。もしも、あんた自身も馬券を買ってみろよ、なんて言われていたとしたらやめとくんだ。さらに大金を賭けろとまでそそのかされていたなら、それはお前を金銭的に堕としめて身動きを取れないようにするためだ。あとで何かあったときに反撃も復讐もできなくするためにな。>






 わたしはツイてない。つくづく、ツイてない。


 就活を前にした時期、キャバクラ勤めで安易にお金を手に入れて、遊びに遊んでしまったのには理由がある。

 ひとつは大好きな彼氏を取られたこと。高校時代から付き合っていたその彼氏があるとき、ふらっと部屋を訪ねてきた。部屋には先に遊びに来ていた同じ飲みサークルに所属する女がいて、彼氏とその女がちょっと意気投合したふうで気にはなっていたのだけれど、知らない間に連絡先を交換されていて、さらに知らない間に親密になっていて、ある日、よくわたしも歩く商店街への通りで二人を見つけてしまった。なんで? と思って声をかけてみたら、そういうことなんだ、と軽く言われて目の前が真っ暗になった。それでヤケになったこと。


 もうひとつは、その出来事のすぐあと。二つ下の弟の奏太が交通事故に遭い、それからずっと意識が戻らないことだ。わりあい、というか、世の中の姉弟の平均値と比べてもおそらくずっと仲の良いほうの姉弟だと思う。いろいろなことを相談し合えた仲でもあった。


 わたしは彼氏に裏切られたことでぐちゃぐちゃに泣き、もう枯れたと思っていたはずの最後の涙以上の涙を奏太の事故で流し、奏太の意識が戻らないことで、少しずつ感情面の平衡感覚を崩していった。もうすべてがどうでもいい、とそのときどきの楽しさだけを求めて慰めにするようになった。


 そして、今、信頼していた高野さんから罠にかけられているのかもしれない状況にある。サイアクだ。現在だけの話でもない、ずっと、ずっとサイアクだったのだ。

考えれば考えるほど、憂鬱になっていった。


 ふと思って時刻を確かめると、ダービーの予想をサイトに更新する期限まであと一時間を切っていた。このサイアク中のサイアクの最中に、わたしはどう行動したら正解なのだろうか。


 携帯がバイブした。母からだ。こんなときになんだろう、とうざったく思いながら出てみると、涙声でつよく、


「奏太が目を覚ましたの! 奏太が!」


と、このサイアクの状況の真っただ中になんなの、と訳が分からなくなるくらいうれしい知らせをしてくれた。

 ああ、なんてうれしいことが! こんなとき、奏太に相談できたなら!

 病院に駆けつけたかったけれど、ごめん今夜は無理だから明日の朝に行くね、と母には伝えた。

 奏太に相談できないのはわかっていたけれど、どういうわけなのか、そのとき胸の内に清冽な風がつよく吹き抜けた。わたしは、覚悟というものを決めたのだった。






 その瞬間わたしは、自信を持っていいのだ、という内なる声を聴いた。まったくもってその通り、とでもいうかのような確かな手ごたえに似た気持ちが自分の胸に宿っているのを感じたのだ。もはや迷うことはないのかもしれない。いや、迷わない、それは自分の意志として。


 AIを使いながら、これまでのわたしはずっとAIの思考を辿るように考え続けてきた。自分の考えから出た答えとAIのそれとを照らし合わせて間違い探しをするようにそのつど復習を試みてきていたのだ。そうしているうちに、なんとなく、AIの考え方がわたし自身にもわかるようになってきた。AIだったらたぶん、こういう答えをはじき出すよね、と思ってAIアプリの予想出力ボタンをクリックすると、八割くらい当たっていたことがある。AIに頼っていながら、わたし自身がAIのような競馬予想の思考を、感覚的に持つようになっていた。

 そんな自分のセンスを信じようと思う。


 高野さんを不審に思うと、その不審さはだんだん真実のように思えてきた。わたしは狙われてしまったのだ。他人からの親切さに飢えていることを瞬時に見抜かれたのだ、おそらくは。わたしの弱点は高野さんの生温かな手で巧みに扱われた。彼にとっての都合の悪い想像など少しだってわたしの頭には浮かばないように、しっかり囲われたゆりかごで揺らされて、きゃあきゃあ喜んでいたに過ぎなかったのかもしれない。

 それでも、わたしは自分自身を信じよう。


 わたしの今回の行動は、正真正銘のギャンブルになる。奈々美がもし事情を知っていたならば、「人生、かかっちゃってるけど?」とやめるように諭してきたかもしれない。






 考えられるだけ考えて、区切りをつけ、答えをだして予想屋サイトを更新した。それからすぐに思い切った金額を賭けたのち、眠れない夜をベッドの中で過ごした。ダービーのことと奏太のことを交互に考えていると鼓動が速いまま落ち着かなった。

 そのうち思考はさまよいだして、ひとりでに奈々美のことを考えたり、子ども時代のささいな記憶をたどったりしはじめ、そうこうしているうちに、脈拍は通常程度まで遅くなり、陽が昇りはじめたころにうとうとしだし、数時間は眠ることができた。


 まだ午前八時前。身支度をして部屋を出る。長い眠りからやっと目覚めた奏太が入院する郊外の病院へとわたしは急いだ。






 奏太は起こしたベッドの背もたれにもたれながら身体を起こしていて、気怠そうな表情のまま懐かしい笑顔をつくってわたしを迎えてくれた。病室に入ったわたしは、すべてが透明な無のようになったその瞬間と溶け合って、言葉という言葉がなにも浮かんでこない。そのまま、奏太を抱きしめていた。


 奏太はまだ、目覚めたばかりで頭がうまく回らないらしい。胃腸も弱っているので、食べたいものをお見舞いの品にするわけにもいかず、もう少し元気になったらなにを食べたい、などと家族みんなで和気あいあいに奏太を囲んだ。


「あまり長い時間居ると奏太が疲れるだろうから」

と母が言って、両親とわたしは昼頃に病院を出た。近くのファミレスに誘われたのだけれど、近況についていろいろ訊かれると面倒なので、また今度ね、とやんわり断り、そのまま駅まで歩いた。電車に乗ってみたものの、まっすぐ部屋に帰るのもなんとなくためらわれ、途中で下車した街でぶらぶら当てもなく歩いてみたりした。


 やっと覚えた空腹のために、道すがらの昭和モダン風の喫茶店に入る。ピラフを注文した。彫り細工がなされた木枠の壁掛け時計に目をやると、あともう少しでダービーの発走時刻を迎えるころだった。でも、わたしはレースを見ようという気分になりはしなかった。見たところで、わたしにできることなどなにもない。なるようになるだけなのだから。

 ピラフを食べ終え、食後のコーヒーを飲み干したころ、携帯で口座の確認をしてみた。

 そういうことよね。

 わたしは会計を済ませ、駅を目指した。






 一週間後、わたしは奈々美と台湾の小さなお店でかき氷を食べていた。インスタに載せたくなるようなカラフルでたのしげなかき氷だ。

「あんた、騙されてたぞ」不意に低い声で奈々美がいたずらっけな表情でささやく。そして、声をもとに戻して「高野って最低だよね」と眉をしかめた。


「こんなに頭を使ったことも、勘を信じたこともなかったよ」


 わたしはマンゴーソースのかかった部分を細い金属製のスプーンでつつきながらそう言って、さらに続けた。


「奈々美、ありがとうね。でもさー、もうちょっとわかりやすくやってくれてもよかったんじゃない? ちょっと不満は残ってるのよね。オトコ言葉がしっくりきすぎだったし」


「いやいや、あたしだって怖々とやってたのよ」


 奈々美が、だから感謝してよね、とウインクするので二人で小さく笑いあった。


 奈々美は高野の元カノだった。わたしはまったく知らなかったのだけれど、どこでどう人は繋がっているものかわからないというひとつの例のようだった。

 結局、わたしはツイてたのだろうか。……いや、もうやめよう、すべてを運か不運かで考えるのは。ツイてるだとかツイてないだとか、運だけで見てしまうとめくらましになることが世の中には多すぎるし。


 わたしは以前のように現実から目をそむけたくない。そうであれば、結果をツキだけで判断しないことが第一なのだろう。ツキだけで判断すると、自分の今の実力だってわからなくなるものなのだから。大切な、地道だったりするそれまでの過程だってふっとんじゃう。


 そう、ツキなんていうものをあまりに信じてきたから、自分がわからなくなるのだ。罠にハマるときは、ツキに乗ろうと思ったときだったりしないだろうか。だからわたしは、頼りなくても自分の足で地面に立ち、これからは自分の力で歩くことをやめないでいたい。へとへとになったら、ちょっと休憩をとればいいだけ。わたしは自分の人生の歩き方を自分で決める。もうツキには決めさせない。






 かき氷の店を先に出た奈々美がわたしへと振り返りながら、


「夜は屋台だね、楽しみだよね」


と両腕を広げてくるくる回ってみせる。


「そうだね。全部こっちがおごるんだから、遠慮なくなんでも食べてよね」


「ふふふ、ツイてる!」


「わたしさ、“ツイてる”なんていう言葉を本気で使いたくなくなったね。謙虚さの表れっていう意味なら有りなんだけれど。そういった意味としてしか、わたしは使いたくなくなったな、なんか」


「それはちょっとばかり傷が深めかもね」


「でもまあ、傷と引き換えに得たものは大きかったわけ」


「この、金持ち」


「というか、そっちじゃないほうのが、もっと大きかったの」




 ときおり通りを走り抜ける柔らかな風が気持ちよくて、この風をお土産にできたらいいのにな、と病室の奏太を思い浮かべた。そして、いつか奏太を連れて一緒に台湾を訪れる日のことを夢見た。


 奏太を想ったあのとき、胸の内を舞った清冽な風。わたしはずっと、忘れないでいたい。




<了>

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