早朝明朝春暁、朝の世界を歩く

黒羽椿

第1話

 皆さんは、早朝の街を出歩いたことはあるだろうか? まだ薄暗い午前四時、段々と青白くなっていく午前五時、もう日が昇り始めた午前六時、そんな時間帯を。


 六時くらいなら、経験がある方もいるだろう。では、五時は? 四時は? 意外と少ないのではないのだろうか。


 この時間に、空いている店は少ない。いや、東京や政令指定都市は違うのかもしれないが、少なくとも僕が住む地域では、明かりは街頭や信号機が多いのである。


 僕は、深夜のコンビニの雰囲気が好きだ。小学生の時、大晦日の日に母親に連れられてコンビニに行ったのは、いい思い出である。店員さんの顔が死んでいて、何となく社会の闇を感じたものだ。


 そんな僕は、ある日こんなことを思った。早朝のお店って、どんな感じなんだろう? 気になった僕は、朝起きられる自信も無いので、徹夜をして朝方の24時間営業のお店に行くことにした。


 早朝のコンビニなんて、ちょっとつまらない。とは言っても、僕が歩いて行ける近辺で24時間営業なのは、コンビニ以外だとコイン精米や無人のコインランドリーくらいだ。この辺、田舎は不便だなぁと感じつつも、地図アプリを開いて近くのお店を検索した。


 すると、ある馴染み深い場所がヒットした。それは、僕が良く行くドラッグストアだった。思い返してみれば、窓ガラスにでかでかと24時間営業と書かれていたのを思い出した。そこならば、普段とどう違うのか分かりやすいだろう。早速、徹夜をして朝方5時半ごろ、家を出たのだった。冬の五時半はまだ暗く、まだシンとしていた。


 こんな早朝に一人で出かけるのは初めてなので、少しドキドキする。真っ暗な世界で、何度も機械的に切り替わる信号機が、やたらと怖かった。いつもだったら、イヤホンをして好きな音楽を聴きながら歩くのだが、その日はそんな無粋な真似をしたくなかった。


 遠くでゴォーっという大きな音と、自分の歩く音しか聞こえない。周りに人もおらず、静まり返った道をただ歩いた。普段だったら何気なく通り過ぎる道も、人の気配が無くなるとこんなにも違うのかと、少しワクワクした。


 そんな道を歩きながら、大通りに出た。そこは大きな交差点があり、大型トラックが何台も通り過ぎ、時たま普通自動車が、法定速度を超えているように思える速度でかっ飛ばしているだけだった。夜中でも、見えない所で働いている人はいるのだと、強く痛感した。


 そこを通り過ぎると、目的地はすぐそこだった。眩い光が煌々と、僕の眼を貫いた。この日ほど、ドラッグストアの明かりにほっとした日は無いだろう。僕は小心者なので、ここに来るまでなんだか悪いことをしている気分だったのだ。


 店内に入ると、何時ものように陽気な店内BGMが流れている。店員さんはおそらくは二名で、お弁当コーナーの品出しをしているおじさんと、冷凍食品のコーナーで段ボールから冷蔵庫へ商品を移している眼鏡をかけた人だけだった。


 店内に客は僕以外誰もおらず、店員さんに迷惑ではないかとても心配になった。いらっしゃいませー、と多少抑え気味な声に申し訳なさを感じながら、僕は目的の品の場所に向かった。そこは、ソフトドリンクのコーナーで、僕の好きな缶コーヒーが目当てだった。


 六缶一セットのそれを、一個、二個、三個、四個とカゴの中に突っ込んでいく。本来はそんなに買い込むことも無いのだが、深夜テンションと応募券が付属しているとのことで、僕は出してあった在庫四セットを全て買い占めた。ちなみに、そのうちの一つは古いものだったようで、応募券は付属していなかった。


 ついでに、冷凍食品のコーナーで冷凍チャーハンを買おうと、ガチャっと冷蔵庫の扉を開けた、すると、その後ろで陳列作業をしていた眼鏡の店員さんが、その場から声をかけてきた。


 「あっ、お品物。出しますか?」


 まさか話しかけられると思っていなかったので、少し頭がショートしかけた。しかし、何とか言葉の意味を嚙み砕いて、店員さんに言葉を続けた。


 「あ、ダイジョブです。ありがとうございます」


 ただの接客の一種なのに、その時は妙に心臓が早まった。それを受けて店員さんは、失礼しましたと一言言って、ぺこりとお辞儀をしてきた。この丁寧な接客に、僕はとても感銘を受けた。勝手なイメージで、夜中の店員さんは覇気が無くて、眠そうな顔をしているのだと思っていたからだ。


 不規則な生活で、体調は決して良いとは言えないだろう。それなのに、そんなことを微塵も感じさせない対応、本当に凄いと思った。僕はそのまま冷凍チャーハンと、ついでに冷凍うどんをカゴにぶち込んで、レジに向かった。


 レジには誰もおらず、ベルを押して店員を呼んでくださいとの張り紙がしてあった。それに倣い、僕はベルを押した。チーン……と甲高い音が店内に鳴り響き、お弁当コーナーで品出しをしていたおじさんが、ハーイっ、と言ってこちらに向かってきた。


 「お待たせいたしました。レジ袋は……あ、はい一枚で。バーコード失礼いたします……はい、いつもありがとうございます」


 はきはきとしていて、早朝の6時前に仕事をしている人とは思えない。その対応に感動しながら、淡々と進められていくレジ作業を眺めていた。全て会計が終わって、いつも通りバーコード決済をお願いした所、店員さんがこう言った。


 「今、クーポンの配信をしていて、すぐに出来ると思うんですけど、どうしますか?」


 これもまた、平常の時には言われなかったことだ。別に、それを責めるつもりは無い。彼らだって、レジの渋滞を避けるため、必要最低限の確認だけで済ましているのだ。ただ、このおじさんの接客に僕が勝手に凄いと思っただけのことである。


 「あぁー-……え、っとだいじょ、ぶです」


 「そうですか、失礼いたしました。お会計――」


 四セットも買ったせいで、平常よりも少しお高い会計を支払って、レシートを後ろのポケットに突っ込む。カゴも運んでくれて、最後まで丁寧な接客だった。また、今度も来よう。


 大きなレジ袋に買ったものを詰め込んで、外に出た。結局、お客は僕以外には一人だけしか来ていなかった。若干青くなってきた空と共に、今度は違う道で帰ることにした。左手を馬鹿みたいに重たい荷物で締め付けられながら、今度は大通りを通っていく。


 赤と黄色が混じり合った色に、何だかスポットライトみたいだなぁとか思いつつ、何度も袋を持ち変えつつ歩いていく。その途中、7と11のコンビニがあった。折角なので、ここにも寄りたいと思う。


 店内に入ると、おばちゃんがおでんの具材を投下している所だった。そこに声をかけて、ホットのレギュラーコーヒーを頼む。何気に、ここのコンビニのコーヒーは美味しくて好きだったので、ちょうど良かった。


 もうかなり明るくなってきた六時過ぎ、僕は左手にちょっと破けたレジ袋、右手にコーヒーを持ちながら帰路についた。いつもと同じはずのコーヒーの味が、寒さもあって凄く美味しく感じたのだった。


 僕はこうして、早朝歩きの楽しさを覚えた。それは新鮮で、思っていたよりも楽しいものだったのも大きい。そんな僕が次に目を向けたのは、24時間営業の牛丼屋だった。すきがつくその店を、僕はあまり好きでは無かった。


 その理由は、テイクアウトを注文しに行った時のことであった。いつも通りの牛丼大盛つゆだくと豚汁を注文し、会計をしている時のことだった。


 「よろしければ、こちらを使ってもよろしいでしょうか?」


 「? はい、大丈夫です」


 若干、何を? と思ったが、何かのクーポンでも使うのだろうと勝手に解釈して、それが何なのかを良く確認せずに僕は了承した。すると、店員さんは何かのバーコードを読み込んで、会計に200円が足された後、70円が引かれたのだった。


 これは、その店が独自に行っている商品の一つで、200円で券を買ってそれをお会計の時に出すと、70円を値引きしてくれるというサービスだった。要するに、三回以上食べに来ればお得になる、お客を呼ぶサービスなのだが、僕はそれを了承してしまったのだ。


 これの何が問題かと言うと、その日はもう下旬の真っただ中で、その割引券の有効期限はあと一週間も無かったのだ。おまけに、僕はそんなにテイクアウトや店内飲食をしない。だから、無理をしない限りは130円、無駄になってしまうのだ。


 みみっちぃ奴だが、僕はそれをめちゃめちゃ気にしていた。別に、店員の態度がーとか、牛丼が不味いーとかではない。僕の不注意を、店員に責任転嫁しただけのことだ。だから、これはただの逆恨みだ。あと一週間しか使えない券を勧めんなよと、思わなくはないけど。


 だが、そんなことを言いつつも、近くで24時間やってる飲食店はそこしかない。と言うか、近辺だと24時間営業はもう、前言った場所を除いてガソリンスタンドくらいだったのだ。今度は夜中の4時に、僕は財布とスマホ、それと家の鍵とマスクを持って出かけたのだった。


 家から数分で着く場所にあるので、道中はそれほど緊張しなかった。ただ、四時からトラックは走っていて、ひたすらにお疲れ様ですと、お辞儀をしそうになった。


 店内に入ると、陶器が擦れるカチャカチャと言う音と、落ち着いたBGMが流れていた。すぐ近くのカウンターに座って、タッチパネルを操作していると、お冷が差し出された。


 「おはようございます。ごゆっくりどうぞ」


 外は真っ暗で、眩しいハイビームばかりが見えるのに、おはようございますなんて、ちょっと不思議だった。注文は、牛丼並盛に豚汁の二つにした。朝四時に食べる代物では無いが、徹夜明けでお腹が異様に空いていたのだ。注文から僅か一分ほどで、目的の品が届いた。こういう所、牛丼屋は早くて助かる。


 遠くから何かの作業をする店員と、外から聞こえるトラックの風を切る音だけが場を制圧していた。僕以外に誰もいない店内で、熱々の牛丼と豚汁を啜るのは、通常よりも三割増しで美味しかった。これもまた、早朝の特権だ。


 20分ほどで全て平らげ、レジに向かう。ここでもまた、店員さんは丁寧な接客だった。偏見だけで物事見るべきでは無いと、早朝勤務を少し舐めていた僕は反省をすることになる。何だか、無性に最敬礼でもしたい気分だった。まぁ、恥ずかしいのでそれはしなかったけれど。


 早朝の街に繰り出して、分かったことがある。一つは、朝や夕方、夜とも違った姿を見せるということだ。早朝の雰囲気は、早朝の雰囲気としか語られない、独特の趣があったのだ。今回は冬の早朝だったが、これが夏だったり、はたまた春だったりしたのなら、また変わってくるのだろう。


 二つ目は、僕が知らない所でも世界は回っているということだ。知識として知っていても、それを直に体験することは、何にも代えがたいものだった。コンビニ以外にもトラックの運転手や牛丼屋、ドラッグストアなども朝からひたむきに仕事をしているのだ。百聞は一見に如かず、という言葉にもある通り、その事実を見てくることは大切なことだと思う。


 最後に、現代社会のありがたみを感じた。夜中にお腹が減れば、牛丼やコンビニ弁当が食べられる。24時間、いつでも日用品を購入することが出来る。それを可能にしているのは、僕達が寝ている間にも仕事をしている人たちがいるからなのだ。


 そのことを、僕はこれからも忘れたくない。それは、早朝の仕事以外でもだ。通販で頼んだ品物が、明日に届くありがたさを、忘れたくない。宅配ピザを届けてくれる感謝を、忘れないでいたい。


 早朝の街とは、なんと不思議な場所なのだろうか。普通なら当たりまえに感じる全てが、特別に映る。自販機の缶コーヒー一つでさえも、それは感慨深いものになり得るのだ。これを読んだ皆さんも一度、早朝に繰り出してみるのはどうだろうか? 未成年でも、朝ならば補導の心配も無い。誰でも簡単に非日常を、味わうことが出来るのだ。

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早朝明朝春暁、朝の世界を歩く 黒羽椿 @kurobanetubaki

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