2
1、
新湾岸地区のオフィス街は、深夜ともなれば人通りは皆無に等しい。
終日運行の無人地下新交通システムの存在によって、タクシーもほとんど見られず、小綺麗な街路には街灯の明かりだけが落ちている。
だが、闇はあった。
ビルの照明、街頭、警備ドローンの投光器から逃れるようにして、ふたつの影が闇から闇へと飛び石のように移動している。
『ホワイト、急げ』
「了解」
戦闘用スーツのヘルメット内に聞こえてくるブルーの声に、ホワイトは焦燥を感じ取った。
沈着冷静なチームの頭脳と呼ばれていたはずの彼が焦りを隠し切れていない。その事実がホワイトからも落ち着きを奪っていく。
乱れた呼吸を必死に整えようとしながら、それでも耐えきれなくなったホワイトは前方を走るブルーに通信を繋いだ。
「ブルー、このままだと置いていかれちゃう。もう少し速度を緩めて……」
『――――』
歩道橋を飛び越え、ビルの隙間を縫うように駆け抜ける。
目的地までは直線距離で十三キロ。以前ならば自分の足で走るのではなく補助ビークルを使うような距離だ。
「ブルー……!」
再度呼び掛ける。
そこでようやく、ブルーの足が止まった。ビルの合間にある細い道路でホワイトを待っている。
『すまない。急ぎすぎた。まだ時間はあるのにな』
「ううん、わたしこそごめんなさい」
ブルーは自分を責めているようだった。
ふたりは互いの焦りに気づきながら、それを気遣うだけの余裕がない。以前であれば――五人のチーム全員が揃っていた頃ならばこんなことはなかった。
誰かが平静を失えば、他の全員がフォローに回った。
どんな危機的な状況下でも、チームメンバーに気を配るだけの余裕があったのだ。
自分たちは世界最高のヒーローだという自負が、責任感がそうさせていた。ヒーローとは人々の手本にならなければならない。人々がどれほど絶望に打ちのめされていても、ヒーローはその絶望を振り払い、立ち続けなければならない。自分たちはそう訓練された。
だが、今はそんな基本的なことさえできない。
チームはふたりしかおらず、バックアップスタッフもいない。
ホワイトは、自分たちをこの戦いに送り出した育ての親であるザンド博士の言葉を思い出していた。
「奴らの力は強大だ。政府にも彼らの手先が紛れ込んでいる。だから、この作戦では一切の手助けができない。君たちふたりだけで、奴らの本拠地から仲間たちを救出してもらわなくてはならない」
湾岸地区の小さなビルの地下にあるセーフハウスに設けられた作戦司令室で、ザンド博士はモニターに映る巨大なビルを指し示しながら言った。
奴ら――『Villain.inc』。
表向きはこの国を拠点とする複合企業だが、裏では多くのヒーローたちを捕らえては操る悪の組織だと言われていた。
これまで多くのヒーローたちが彼らに立ち向かい、力及ばず敗北してきた。協力関係にあったヒーローたちも次々と捉えられ、現在この地区に残るヒーローは自分たちだけになってしまった。
なによりも彼らが悪辣なのは、表向きはまったくの優良企業であることだ。
『大異変』によって発生した多くの難民を受け入れて仕事を与え、政治家への寄付や公共事業を通じて政府に対しても強い影響力を持っている。
それだけではない。世論を操ることも彼らにとっては容易いことだった。
『大異変』の終結によってヒーローたちの数は大きく減った。しかし、それを隙を狙う悪は必ず現れると考えて活動を継続したヒーローたちも少なくなかった。
だが、『Villain.inc』はそれをよしとせず、ヒーロー不要論などという荒唐無稽な言葉で人々を操り、ヒーローたちを追い込んだ。
脅威が去った世界ではヒーローたちの強い力こそが脅威であるというのが、彼らの主張だった。
確かに悪との戦いで多くの被害が出たのは確かだ。しかしそれは、より多くの被害を防ぐための致し方ない犠牲だったし、自分たちもそれを喜んでいたわけではない。
ヒーローたちの多くは自分たちの行動で犠牲が出たことを常に悔やみ、中にはその罪の意識から悪の道に堕ちてしまう人さえいた。
それほどまでに自分たちを責めていたヒーローたちを、さらに苦しめようとする彼らに対して、多くのヒーローたちが怒りを抱いていた。だが、その時点ではまだ、彼らはごく普通の企業だと思われていた。
しかし、ある組織の諜報員が彼らの正体を掴んだ。
彼らは『絶対悪』を掲げ、各地のヒーロー組織を強襲しては壊滅させていたのだ。
ようやく正体を掴んだヒーローたちは反撃に出ようとした。だがその時点で政府系のヒーローは解散しており、民間系ヒーローの支援をしていた政府組織は業務を縮小して公的なバックアップは受けられなくなっていた。
おそらく『Villain.inc』側が政府に働きかけた結果だろうと博士は言っていた。彼らは直接自分たちと戦うのではなく、人々を操ることで自分たちを弱体化させる手段を選んだのだ。
それでも、ヒーローたちは諦めなかった。
「ヴィランに正義を見せつける」
それを合い言葉に残ったヒーローたちは『Villain.inc』に戦いを挑もうとした。
残ったヒーローたちによる一大反攻作戦は水面下で準備が進められ、発動直前に、壊滅した。
自分たちも本部を失い、仲間の多くは捕らえられた。
残っているのはザンド博士と自分たちを含めても三〇名足らずでしかない。かつては千人近い人員を抱えていた組織とは思えない有様だった。
「もはや、君たちに頼るほか道はない。『Villain.inc』の力で我々はここまで追い込まれた。逆転の手段はただひとつ、奴らの本拠地に侵入し、『Villain.inc』のCEOにして支配者である“ロード・ダークネス”を討ち取るのだ」
モニターに映し出されたのは、精悍な顔つきの若い男。見た目からは悪の組織の首領とは到底思えない。
しかし、この地区のヒーローで彼の正体を疑う者はいなかった。
「しかし、奴らの本拠地に乗り込むとなれば、かなりの危険を伴います。入念準備が必要だと思いますが……」
ブルーの言葉に、ザンド博士は頷いた。
「それは分かっている。だが、そうもいっていられない事情ができてしまったのだ」
モニターに新たなウインドウが開かれ、病室らしき場所で眠っている三人の男女の姿が映った。いずれも頑丈な拘束具でベッドに縛り付けられている。
「これは……」
ホワイトは驚きに目を見開いた。
ブルーは怒りからか、固く握り締めた拳を振るわせている。
「『Villain.inc』に侵入した仲間からの最後の通信で、レッド、グリーン、イエローの三名が奴らの本拠地に捕らえられており、間もなく移送が始まるとの情報を得た。別の場所に移送されてしまった場合、今の我々にそれを追跡するだけの力はない。彼らを救うチャンスはこれが最後になるだろう」
「準備の時間は取れないということですね」
「ああ、すまないが最低限の装備しか用意できない。EXモード用のアンプルも二本だけだ」
ザンド博士が差し出した小さなアンプルをひとつずつ手に取り、変身用ブレスレットに嵌め込む。
通常の変身よりも遙かに大きな力を発揮できるEXモードはこれまでの戦いで自分たちを何度も救ってきた。しかし、そのために必要なアンプルを作るには膨大な時間と高度な設備が必要になる。今の自分たちにはもうそれらは存在しない。この二本が、最後の切り札ということだ。
「頼んだぞ。ふたりとも」
「はい!」
ザンド博士に力強く両肩を叩かれたブルーは、昂揚感に身を震わせていた。
仲間を救い出し、悪の組織を壊滅させる。それこそが自分たちヒーローに課せられた使命だ。どんな状況であったとしても、自分たちが諦めることはない。たったふたり残された自分たちこそが、人々を守る最後の砦なのだ。ブルーの昂揚も理解できないわけではない。
しかしホワイトは、自分を取り巻く状況から滲み出るわずかな違和感を拭いきれなかった。
◇ ◇ ◇
『Villain.inc』の本社ビルは再開発された東京湾の新港湾地区にあった。
巨大なガラス張りのビルは大きな敷地に余裕を持って建設されており、周囲の緑地もあって到底悪の組織の本拠地には見えなかった。
「まだ明かりが点いてる」
『組織とは無関係の人も働いているらしい。人質のつもりか?』
ブルーは『Villain.inc』の卑怯な行いに怒っているようだった。
『悪の組織なら悪の組織らしく、地下にでも籠もっていればいいものを!』
「落ち着いてブルー。侵入するだけなら、人質がいても関係ないわ。目標はみんなの救出と、ロード・ダークネスだけでしょう?」
『……そうだな』
落ち着きを取り戻したブルーに先導され、ホワイトは地下駐車場へ向かう。そこにはライフラインの点検のために作られたトンネルの入口があった。
『ここだ』
事前に調べられた範囲で、目的地まで辿り着けるルートはここだけだった。
この点検用トンネルの途中でさらに地下深くへと伸びる縦坑に入り、そこから一気に悪の組織としての『Villain.inc』の中枢を目指すことになる。
『準備はいいな?』
戦闘用スーツに身を包んだブルーの顔色は分からない。
だが、ホワイトには分かった。ブルーはきっと笑っている。
困難な状況を前に、それでも自分たちの勝利を信じて笑っているはずだ。
(でも、本当にわたしたちは勝てるの?)
そう思ってしまうのは、自分がまだヒーローとして未熟だからなのだろうか。
先代のホワイトが戦いの中で負傷し、離脱を余儀なくされた結果、自分が新たなホワイトになった。他の四人に比べたら、ヒーローとしての経験は半分にも満たない。
だからだろう。ザンド博士の言葉にも、ブルーの言葉にも納得できない自分がいる。
ヒーローにあるまじき迷いだ。
「…………」
その迷いを振り払うように、ホワイトは頭を振った。
そして、ブルーに頷いて見せる。
「行きましょう」
そうして、元民間ヒーロー組織『正義救難隊ブレイブファイブ』のブルーとホワイトは、悪の組織の本拠地へと身を投じた。
◇ ◇ ◇
『大異変』に伴う混乱の中で幾度も戦火にさられた結果、首都機能の喪失を恐れた政府が打ち出した首都分散計画の一環で、東京以外の三都市――京都、博多、函館が副首都となり、すべての省庁もまた分割された。
同時に巨大企業も生き残りのためにその本社機能を各地に分散させることを選び、時間の経過とともに世の中は国会から企業、学校までもが通信による繋がりと連携を当たり前のものとして受け入れるようになった。
その結果、東京首都圏にあったビルは戦いによって破壊されたあとそのまま再建されるのではなく、より土地を広く使う形で立て直された。密集したままでは建物の崩壊に周囲の建物を巻き込んでしまうためだ。
自然、そのビルの地下空間もまた広大になる。そこに悪の組織が秘密基地を置いていても気付かれないほどに。
『ここまでは順調だ。警備システムも事前に調べていた通り、普通の企業と変わらない』
配管のトンネルにはきちんとした照明があったが、ふたりはそれを使わなかった。スーツの暗視機能と変身に伴う身体機能の向上によって、暗闇でもまったく問題なく進むことができていた。
「ブルー、おかしくない? いくら表向き普通の企業だからといって、本拠地のこんな近くまで簡単に入り込めるなんて……」
『人質代わりの一般人に怪しまれることを避けたんだろう。自分が働いている会社が悪の組織だと知ったら、善良な市民なら警察かヒーローに通報するはずだ』
「それはそうかもしれないけど……」
ホワイトの内にある不安は、トンネルを進むほどに大きく強くなっていた。
その不安自体がヒーロー失格であることはわかっている。しかし、未熟な自分にはどうしてもブルーのように疑いなく先に進むことができない。
「ブルー、お願いだから話を聞いて」
何度目かのその言葉に、ブルーは足を止めて振り返った。
スーツのヘルメットで表情は見えないが、明らかに苛立っている。
『さっきからなんなんだ! お前は義兄さんたちが心配じゃないのか!!』
「そんなこと言ってないでしょ! あなたこそ、どうしてしまったの!? いつもレッドやグリーンが無茶をすると、真っ先に止めてたじゃない!」
『その義兄さんたちがいないんだよ! だったら俺が義兄さんたちの代わりに前に進むしかないじゃないか! 博士だってそう言っていた!!』
そこでホワイトは思い出した。
出撃直前、ブルーだけが博士に呼び止められていたことを。
そのときに何か言われたのだろうか。
『博士は言ってたんだ! 今のブレイブファイブを引っ張るのは俺だって! これまで義兄さんたちを手助けすることしかできなかった俺が、やっとみんなを引っ張ることができるんだ! お前はどうしてそれを邪魔するんだ!!』
ブルーの呼吸は荒い。
あまりの緊張から冷静さを失っているのだろうか――ホワイトがなんとかブルーを落ち着かせようと手を伸ばしたその瞬間、トンネル内に警報が鳴り響いた。
〈館内に不法侵入者を確認。警備スタッフは地下整備トンネルD5に急行せよ。館内に不法侵入者を確認。警備スタッフは地下整備トンネルD5に急行せよ。通常社員はただちに所定の避難エリアに退避せよ。これは訓練ではありません。全社員は冷静に行動してください〉
『くそっ! 気付かれたか!』
ブルーは踵を返すと、そのままトンネルを走り出す。
このままでは敵に取り囲まれてしまう。
「どうするのブルー!!」
『こうなったら、敵の親玉を狙う! そうすれば義兄さんたちを助け出すこともできるはずだ!』
「だったら、レッドたちの救出を優先するべきよ! 敵のボスなんて、一番警備が厳重なところにいるに決まってる!」
『だから行くんだ! ヒーローは困難に立ち向かう者だ! 決して回り道なんてしない!!』
ブルーの速度がぐんと上がる。
ブレイブファイブの中でもグリーンに次ぐ俊足の持ち主だ。ホワイトは姿を見失わないよう走るだけでやっとだった。
「ブルー!!」
警戒を促すために名前を呼んでも、もうブルーは振り返らない。
彼はトンネルを走り抜け、扉の鍵をホルスターから取り出したショックガンで撃ち抜くと、そのまま明るい通路に飛び出した。
通路には先ほどと同じ放送が流れており、天井近くの非常灯が点滅している。
どこか遠くから自分たちを追い掛けているらしい敵の戦闘員の声が聞こえてくる。
『いくぞホワイト! あそこが目的地だ!!』
ブルーの指し示す先には、一際大きな金属製の扉がある。
『Villain.inc』の社章が刻まれた扉は、悪の首領を守るものとしてはあまりにも禍々しさが欠けていた。
ホワイトは混乱した。
ここは敵の、悪の組織の本拠地ではないのか。
それなのになぜ、かつての自分たちの本部と同じような構造をしているのか。
侵入者を倒すための攻撃装置もなければ罠もない。
本当にここは、自分たちが倒すべき人物のいる場所なのか。
(なぜ、なぜ、なぜなぜなぜ……!)
これまで抑え込んできた疑問が一気に脳内に溢れ出す。
明らかにおかしい。自分たちは本当に、ヒーローは本当にここに来るべきだったのか。
「ブルー!!」
混乱の中でホワイトは叫び。しかし、ブルーは大扉に手を掛けていた。
驚くほど簡単に開く大扉。その向こうにあったのは、広大な空間だった。
◇ ◇ ◇
そこは、まるでパーティホールだった。
正面には二階へと通じる大きな階段があり、踊り場に『Villain.inc』の社章と老人の肖像画が掲げられている。
その肖像画の前に、ひとりの男が立っていた。
『ロード・ダークネスかっ!!』
ブルーがショックガンを構え、ホワイトが静止する間もなく発射する。
「!!」
遅れて広間に入ったホワイトが見たのは、ショックガンの弾丸が階段の踊り場にいる男の眼前で甲高い音を残して消し飛ぶ光景だった。
『くっ!!』
ブルーが次々と弾丸を発射する。
対バイオモンスター用に設計されたショックガンは、普通の人間相手であれば十分以上の殺傷力がある。威力を落としたスタンモードであれば人を気絶させるだけだが、ブルーは常にフルモードで発射していた。
キン、キンとガラスを弾くような音とともに弾丸は掻き消える。
透明な防弾壁にぶつかって反射しているわけではなく、文字通りに消滅していた。
『くそっ! クソッ!! ホワイト! バスターブレットを!!』
「う、うん」
ブルーに促され、ホワイトはショックガンのパワーアップアタッチメントを手渡した。
強固な装甲に守られた敵を倒すために作られた特別製の弾丸。それを発射するためにショックガンに取り付けるアタッチメントだった。
ブルーは手慣れた様子でそれをショックガンに取り付けると、すぐに反動を抑えるために大きく足を開いた。
『食らえっ!!』
ブルーの掛け声とともに放たれるバスターブレット。
先ほどよりも強力な光を放つ弾丸が飛翔し、男に迫る。
『これで……!!』
ブルーは勝利を確信していた。
目の前の男には、かつての敵のような恐ろしさがまったく感じられない。
こちらを倒そうという意思も、強さも感じない。
ならば、これで倒せるはずだ。
「バカなことだ」
それが覆されたのは、男が発した言葉と同時だった。
バスターブレットは男に命中する直前、その動きを止めてしまったのだ。
『なんだと!?』
「そんな!!」
ブルーもホワイトも、目の前の光景が信じられなかった。
確かにバスターブレットに耐えるような敵はこれまでにもいた。だが、なんのダメージも与えられないことなどなかった。
バスターブレットとは、それだけの力を持つ武器のはずだった。
「これは正当防衛だ。お返ししよう」
男が手を翳すと、バスターブレットはブルーとホワイト目掛けて放たれる。
『ホワイト! 避けろ!!』
ブルーの言葉に従い、身を乗り出すようにして転がる。
背後で巨大な爆発が発生し、破壊によって発生した破片がパラパラと降り注いだ。
「う……」
直撃は免れた。
しかし、発生した衝撃波は戦闘用スーツを貫いてホワイト自身の体を痛めつけていた。
何とか体を起こしたものの、痛みは全身に広がり、ヘルメット内には戦闘用スーツの破損状況を知らせる警報が鳴り響いていた。
「ブルー、大丈夫……?」
『だ、大丈夫だ……』
土埃の中で立ち上がったブルーに肩を貸す。
ホワイトは自分もブルーも、これ以上の戦闘には耐えられないことに気付いていた。チームの中で仲間たちの健康状態を把握し、サポートするのが本来の彼女の役目だ。だからこそ、自分たちの状態を正しく理解していた。
(もうこれ以上は戦えない。わたしたちの体も、スーツも限界)
完全なバックアップを受けていれば、ここまでダメージを受けることはなかった。
戦闘用スーツを完全な状態に保つには、本部の設備が必要不可欠だ。それを失って以降、戦闘用スーツの戦闘能力は低下の一途を辿っていた。
生き残った技術者たちが懸命に整備をしても、それが精一杯だった。
「ブルー、いったん撤退しましょう」
『だが……』
「ここでわたしたちが負けたら、誰がレッドたちを助け出すの? なんとかスーツを直してもらって、もう一度……」
ホワイトはブルーを説得しようと必死だった。
しかし、土埃が消えたとき、その考えが甘かったことに気付いた。
『罠か』
周囲の視界が開けたとき、ふたりは完全な包囲下にあった。
真正面の男の両脇を固めるようにして、大きな杖を持ったスーツ姿の女と、対異界生物用の装甲強化服を纏った何者かが立っている。
それだけではない。
踊り場から左右に延びる階段には、右に学生服を着た眼鏡の少年、派手なシャツのラテン系の男、魔女のような風貌の腰の曲がった老婆。左には軍刀を提げたラフな格好の女性、マオカラースーツをきっちりと着込んだ青年、ゴシックロリータ風の衣裳を完全に着こなす少女が居並んでいる。
さらに、ふたりのいるホールを見下ろす二階には先ほどの装甲強化服を簡略化したような装甲服の一団が並び、グレネードランチャーにも見える武器をホワイトたちにしっかりと向けていた。
『最初から分かっていたんだな。だから警備もなかった!!』
ブルーが憎々しげに罵倒の言葉を口にする。
徒党を組まなければなにもできない卑怯者。人々を騙し、正義を蔑ろにする極悪人。一般人を人質にしてヒーローたちの攻撃から身を守る臆病者。
『貴様など、レッドたちがいれば必ず打ち倒してやったものを!!』
ブルーがどれだけ相手を罵ろうとも、ふたりを取り囲む者たちはまったく動きを見せない。軍刀の女とラテン系の男だけが面白そうに口を歪めているだけで、他の者たちはふたりに大した興味は持っていない様子だった。
『人々を食い物にする悪の権化め! いずれお前たちは正義によって討ち滅ぼされるだろう!!』
「ブルー! あまり喋ってはダメ!」
『知ったことか! 義兄さんたちを助け出すこともできず、諸悪の根源を倒すこともできなかった! 今さら俺の体がどうなったところで関係ないだろう!』
ブルーはホワイトを振り払う。
そして、ショックガンとは反対のホルスターに入っていたショックブレードを引き抜き、変身用のブレスレットのEXモード発動ボタンに手を掛けた。
「ダメ! 今の状態でEXモードを使ったら!!」
制止は間に合わなかった。
もはや完全な勝利はない。なら、悪に一矢を報いることだけが自分たちのこれまでの戦いを肯定する唯一の手段だと思えた。
ブルーはボタンを押し込んだ瞬間、体の中に流し込まれた強化薬によって全身が燃え上がるような錯覚に襲われた。これまでEXモードを使ったときは、体中に力が漲るような感覚だった。しかし、負傷した体ではアンプル内の薬品に耐えられなかったのだ。
『ぐ……ぐあああああああああっ!!』
それでも、ブルーはショックブレードを腰だめに構え、すべての力を込めて跳んだ。
踏み込んだ床にクモの巣状の罅が入り、その破壊と同じだけの力をブルーの体に与えた。
ぐん、と近付く敵の親玉の顔。
これまで薄暗くてよく見えなかったそこには――ごく普通の、ブルーとさほど変わらない青年の顔があった。
『があああああッ!!』
もはやブルーには思考する余力もなかった。
目の前の男に剣を突き立てることだけが生存目的になっていた。
背後で自分を呼ぶ仲間の声も聞こえない。
そして、視界の端で動いた大きな杖の女の動きにも気付かなかった。
「ブライト・ラライト・オレンジライト!!」
女の声。
その言葉はかつて多くの魔法少女が用いていた発動呪文に聞こえた。
実際、その言葉で杖の先端にオレンジ色の光が宿り、ロード・ダークネスの前に割り込んだ彼女が杖を地面に突き立てた瞬間、ブルーの体はオレンジ色の柱に包まれてしまった。
「ブルー!」
ホワイトは悲鳴を上げる。
彼女には、ブルーの体がオレンジの光に焼き尽くされて消滅したように見えたのだ。
だが、それは彼女の見間違いだった。
「橙の楔よ! その者を捕らえたまえ!!」
再びの呪文によりオレンジ色の柱が消失し、体中を光の鎖で縛られたブルーが転がった。
ブルーは完全に気を失っているらしく、呻き声さえ発しない。
「どうしますか、ボス」
巨大な装甲強化服のスピーカーから、男の声が聞こえた。
どうやら装甲強化服の中にいる人物の声らしい。かなり落ち着いており、ブルーの最後の一撃にもまったく動揺していないようだった。
「――ほかの三人と同じ治療を始めろ」
「承知。ドクター、出番だ」
「はいはい、まかせておいてちょうだいな」
ラテン系の男がウキウキとしたステップでブルーに近付き、その体を軽々と持ち上げる。
連れ去られる。それに気付いたホワイトは慌てた。
「待って! 彼をどこに連れていくつもり!?」
叫んだ途端、スーツのヘルメットに亀裂が走り、真っ二つに割れて落下した。
外気に晒された汗まみれの顔で、ホワイト――ミレッタ・篠井は叫ぶ。
そこにいるすべての視線が彼女に集中し、その圧力にミレッタの膝が震えた。
「仲間を、彼をどうするつもりなの?」
「治療するというボスの言葉が聞こえなかった?」
学生服の少年が、ミレッタをバカにするかのような口調で言った。
「他になにをするっていうのさ? どこかの正義の組織みたいに人体実験でもすると思った? 君たちと一緒にしないでよ」
「えっ?」
ミレッタはその言葉の意味が理解できなかった。
彼は今、なんと言ったのだ。
「ノア製薬が組織した民間ヒーローチーム『正義救難隊ブレイブファイブ』。主に東京エリアで活動していたヒーローで、政府の解散命令に抵抗して現在は地下組織化」
ゴシックロリータの少女が、ビーズやジュエリーで綺麗に飾り付けられたタブレットを操作しながらミレッタの所属する組織の情報を明らかにする。
だが、その情報はミレッタの知らないものだった。
「地下組織化……そんな、わたしたちは正義のために身を隠していただけで……」
「そう教えられていたということか? なるほど、操り人形に不要な情報は必要ない。都合の良い情報だけ与えておけば、自分たちの組織を疑うこともないということだ」
マオカラースーツの男が無表情のまま口にした言葉に、ミレッタは頭を殴り付けられたかのような衝撃を受けた。
「そんな、嘘よ。だって、レッドたちはみんな、みんな、人々のためにがんばってきて、でもあなたたちが政府を操って……そうよ! あなたたちが手を回して出させた解散命令なんて聞く必要ないわ!」
ミレッタの悲鳴にも似た声に答えたのは、彼女とその仲間が目標としていた人物だった。
「それが君たちの正義か?」
敵の親玉とされていた人物に問われ、ミレッタは痛む体を支えながら答えた。
「そうよ。そのためにみんな戦ったの! 人々をあなたたちの魔の手から救うために!」
「なるほど、では我々が行った悪とはなんだ?」
問われ、ミレッタは記憶の中にあるザンド博士の言葉を口にした。
「政治家たちと裏で繋がり、政府を操った!」
「私たちは法に則って献金を行い。然るべき書類を公表している。違法性はまったくない。政治家への働きかけにも違法な手段は一切用いていない」
「は、破壊された街の復興を名目に、人々を奴隷のように扱った!」
「『大異変』の最終決戦で仕事や住まいを失った人々に仕事を与えたことか? 確かに高額な報酬ではなかったが、経験も資格もない人物に必要以上の報酬を与えれば、全体で雇える人数が減ってしまう。そうなれば、困るのは人々では? もちろん、元建築業の経験者には、そのスキルに見合った報酬を支払っている」
「孤児を連れ去って自分たちの組織の戦闘員に仕立て上げた!」
「彼らは私たちが運営する施設に入所しただけだ。親戚や里親に引き取られた子供もいるが、施設に残って暮らしている子どももいる。少なくとも、組織に引き入れたことはない。普通に就職試験を通過して入社した者はいるがね」
「わたしたち以外のヒーローを捕らえ、操っている!」
「君たちと同じく地下組織化したヒーロー組織の残党のことを言っているのだとしたら、彼らは法によって裁かれたあと、罪を償うためにがんばっているよ。君たちのことを教えてくれたのも彼らだ」
「そ、そんな……」
ミレッタはヒーローたちが自分たちを売り渡したことにショックを受けた。
「だって、正義は正しくて、悪は滅ぼして……わたしたちはそのために……絶対の正義のために……」
どんなときでも決して壊れないもの、それが正義だったはずだ。そう教えられてきたのだ。
だからミレッタとその仲間は、正義の志はどんな状況であろうと絶対だと信じていた。
「ぜっ……たい……?」
それは、なんのことだろうか。
そう疑問に思った瞬間、ミレッタの体はぐらりと傾いていた。
力の入らない体。どんどん近付いてくる床。
受け身を取るだけの力もないミレッタは、そのまま床に倒れる。
――ことはなかった。
「正義とはなにかね?」
ロード・ダークネスと呼ばれていた男が、ミレッタの体を支えていた。
いつのまに移動してきたのか、全身の力が抜けていたとはいえ、その動きはミレッタにはまったく捉えられなかった。
「それは、わたしのこと、わたしたちは正義の、ヒーローで……」
「君たちのそれは単なる相対正義――社会正義というものだ。しかも、ノア製薬という企業の利益を前提とした、限られた範囲の」
「ノア製薬……わたしたちの本部……」
ブレイブファイブの指揮官であるザンド博士が所属し、自分たちのバックアップをしてくれていた会社がノア製薬だった。
「そうだ。この世界に侵攻してきた異世界のひとつ『バルザード』より流入した魔法毒、それを研究して抗体薬を作ったノア製薬。君たちはその副産物である身体強化薬によって変身するヒーローだった。だが、その身体強化薬には副作用があるのを知っているか?」
ミレッタは力なく首を振った。
ロード・ダークネスはブルーに目を向ける。
ピクリとも動かないその身体には、ミレッタの体内よりも遙かに多量の身体強化薬が残留していた。
「身体強化薬に適性のある人間を使ったとしても、体が耐えられるのはせいぜい一年。それを過ぎれば生きていくために必要な機能が低下し、やがて死に至る。君はそれを知っているはずだ。いくら緩やかなマインドコントロールを受けていても、ブレイブホワイトというヒーローになるまでは一般人だった君なら、覚えているだろう?」
すぐに思い至った。
先代のブレイブホワイト。
ブレイブファイブの中で最初に身体強化薬を投与され、ヒーローとしての活動を始めた女性。彼女は、活動を開始して一年が経過した頃、戦闘中の負傷で戦線離脱を余儀なくされる。
ミレッタをはじめとしたブレイブファイブのメンバーは、そう知らされていた。
「彼女は……彼女は無事なの?」
ミレッタは力なくロード・ダークネスの服を掴んだ。
もはや、彼女は目の前の男の言葉を疑ってはいない。これまでザンド博士たちに抱いていた違和感の正体に気付いたのだ。
彼らは徹底的にミレッタたちに与える情報を選別していた。
悪の組織によるマインドコントロールを防ぐためといって外部からの情報を遮断し、スタッフが選んだ情報だけを与えられてきた。
「君たちの本部を強襲した際に保護した。そのときに得た情報のお陰で、君の仲間たちの治療ができる」
ミレッタの視界はぼやけていた。
それが涙のせいなのか、視神経に異常が出ているからなのかはミレッタ本人にはわからなかった。
ただ、誰かが近付いてくる足音は聞こえた。
固い踵の音。ぼやけた視界でも分かる装飾の多い服装。
先ほどロード・ダークネスの横に立っていたゴシックロリータの少女だった。
「ほい」
少女はスカートを丁寧に畳んで屈み込むと、タブレットの画面をミレッタの眼前に掲げた。
「あなたのボスの末路」
画面はほとんど見えない。しかし、ぼんやりとした映像と音声は判別できた。
《さきほど新東京湾空港のターミナルビルにて、国際特殊指名手配犯のロバート・ザンド博士とその一味が出国直前に逮捕されました。彼らはすでに有罪判決を受けているノア製薬の経営陣と共謀して違法な薬品を流通させていた疑いが持たれています。ノア製薬は先の大災害時に民間ヒーロー組織を作り、それを隠れ蓑に違法な実験を繰り返していた可能性が高く……》
すべてが自分を抱き支えている男の陰謀の可能性はある。
だが、ミレッタにはもう、誰かを信じ、自分を支えるだけの気力がなかった。
すべてがどうでもよく、自分がこれからどうなるかなどまったく興味がなかった。
唯一気になったのは、結局この男が何者かということだ。
「ねえ」
「なんだ?」
「結局、あなたは誰?」
悪であることを否定せず、しかし自分や仲間を助けようともしている。
悪なのか正義なのか、分からない。自分たちの価値観では理解できない。
そして、男の口から発せられた答えは、ミレッタの疑問を溶かすことはできなかった。
「君たちが言っていただろう。俺……私は『絶対悪』を志す、悪の組織の親玉だ。それ以上でもそれ以下でもないとも」
①『Villain.inc』ー当社の社是は"絶対悪"ですー 白沢戌亥 @white_hound
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